天野可淡 / Katan Amano
早逝の球体関節人形作家
概要
生年月日 | 1953年 |
死没月日 | 1990年11月1日 |
国籍 | 日本 |
表現媒体 | スカルプチャー、絵画 |
天野可淡(1953年-1990年11月1日)は日本の人形作家。球体関節人形作家、画家。
東京の世田谷区で生まれる。1974に女子美術大学に入学し、在学中より人形製作開始。手先が器用で、衣装なども瞬時に作り上げたという。
1981年に銀座小松アネックス「更染沙ギャラリー」初個展。1988年、ドールスペース・ピグマリオンのスタッフとなり、代表者であり人形作家である吉田良一(現在、吉田良に名前改め)とともに活動を続ける。異様なまでの気魄に満ちた球体関節人形でカリスマ的な人気を博すようになる。
1989年に人形作品写真集『KATAN DOLL』、1990年に『KATAN DOLL fantasm』を出版。
しかし、1990年11月1日午前11時10分、可淡は37歳の若さで事故により永眠。没後も人気は衰えることなく、1992年に追悼作品集『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』が刊行され、萩尾望都、綾辻行人、高山宏、大塚英志が言葉を寄せるなど、球体関節人形の第一人者で在り続けている。
なお、3冊の作品集は2007年に再出版されており、2015年には人形博物館「マリアの心臓」が所蔵する人形作品を片岡佐吉が撮影した形で作品集「天野可淡 復活譚」を出版。
作品集
略年譜
■1953年
東京都世田谷区に生まれる。
■1962年
東映児童研究所第4期生となる。
■1974年
女子美術大学(洋画専攻)卒業(在学中より人形製作開始)。
■1977年
劇団民藝による「炎の人」に人形協力(人形が小道具として巡回)。
■1981年
12月、銀座小松アネックス「更染沙ギャラリー」にて個展。
■1982年
11月、吉祥寺PARCO「パルコギャラリー」にて個展。
■1983年
12月、渋谷PARCO「PARCOVIEW」にて個展。
■1984年
「第二回創作人形協会展」に出品。グランプリ受賞。
個展(画廊「荘」)
■1985年
「第十六回齣展」に出品(東京都美術館)。
「第一回人形達展」に出品(プランタン銀座)審査員特別賞受賞。
個展(ドイツ文化会館・OAGハウス 東京渋谷)
国立に創作人形教室設立。
■1986年
「東京ファッション・ウィーク 人形アーティスト56人展」に出品(池袋サンシャインシティ)
「第十七回齣展」に出品(東京都美術館)
個展(画廊「荘」、国立市)
「第二回人形達展」に出品(プランタン銀座)テクニック賞受賞
「第十二回現代童画展」に初出品(東京都美術館) 奨励賞受賞 /会友推挙により88年、89年と出品。
■1987年
「第十八回齣展に出品(会員となる/東京都美術館)
■1988年
ドールスペースピグマリオンのスタッフとなる。
日活ロッポニカ「悪徳の栄え」にて吉田良一氏と人形協力。
「アリスの国のアリス展」に協力出品(池袋西武)
個展(画廊「荘」、国立市)
「第十三回現代童画展」に出品
■1989年
「第二十回齣展」に出品(東京都美術館)
「ピグマリオン展」に出品(プランタン銀座)
10月、第一人形作品集『KATAN DOLL』(トレヴィル)出版。
12月、六本木ストライプ美術館にて個展。
「第一四回現代童画展」に出品
■1990年
「第二十一回齣展」に出品(東京都美術館)
「不思議の国のアリス展」に出品(所沢西武)
8月、第二人形作品集『KATAN DOLL fantasm』(トレヴィル)出版。
東宝系映画『咬みつきたい/ドラキュラより愛を』タイトルバック用人形制作。
「アガサ・クリスティーのミステリー王国展」へ出品。(名古屋PARCO・パルコギャラリー)(船橋西武10Fアートフォーラム)(大阪八尾西武ホール)
11月1日、午前11時10分 永眠。
11月、「第十五回現代童画展」に遺作出品。
12月、国立画廊「壮」にて遺作展示会。
■1992年
天野可淡追悼人形作品集『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』出版(トレヴィル)
■2002年
「天野可淡展」(人形博物館・マリアクローチェ 東京御徒町)
■2004年
「球体関節人形展」へ親族および関係者の協力を得て17点出品(東京都現代美術館)
■2007年
「天野可淡展」(人形博物館・マリアの心臓 東京渋谷)
作品集『KATAN DOLL』、『KATAN DOLL fantasm』、『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』再出版(トレヴィル)
■2015年
「天野可淡展」(人形博物館・マリアの心臓 京都大原)
■2016年
マリアの心臓企画展「聖キアーラの予兆 」(東京・銀座)
■参考文献
・「天野可淡 復活譚」片岡佐吉著 KADOKAWA