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【美術解説】米倉寿仁「文明崩壊と第2次世界大戦の予兆」

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米倉寿仁 / Hisahito Yonekura

文明崩壊と第二世界大戦の予兆


《ヨーロッパの危機》1936年
《ヨーロッパの危機》1936年

概要


生年月日 1905年
死没月日 1994年
国籍 日本
ムーブメント 戦後日本の近代美術

米倉寿仁(1905-1994)は日本の画家。山梨県甲府市生まれ。名古屋高等商業学校卒業。大正15年、名古屋高等商業学校を卒業後、郷里に帰り教職につくかたわら、絵を独学で学ぶ。

 

1931年、「ジャン・コクトオの『夜曲』による」が、第18回二科展初入選。1935年より独立展に出品。福沢一郎と知己になる。1936年個展(銀座、紀伊国屋画廊)、1937年阿部芳文と二人展を二回開催(銀座、日本サロン)、またグループ「飾画」に参加。詩集『透明ナ歳月』を刊行(西東書林)。1938年創紀美術協会結成に参加。1939年美術文化協会結成に参加。戦後は1951年美術文化協会を脱退し、翌年サロン・ド・ジュワンを結成して活動。

 

サルバドール・ダリの影響が濃く見られる。代表的な作品は1936年に発表した《ヨーロッパの危機》。発表時の題名は「世界の危機」。ダリのおなじみのモチーフである卵からコンパスや機械など合理性を彷彿させるモチーフが飛び出している。背景はダリのカダケスの風景とよく似ている。

 

米倉はこの作品について「ヨーロッパ的物質文明の崩壊による第二次大戦への予感」と回想している。

『破局(寂滅の日)』(1939年)
『破局(寂滅の日)』(1939年)
『早春』(1940年)
『早春』(1940年)

■参考文献

・「地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画」



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