コンセプチュアル・アート / Conceptual art
概念芸術
概要
コンセプチュアル・アートとは
コンセプチュアル・アートは、1960年代後半から70年代にかけて現れた前衛美術ムーブメントである。
ミニマルアートをさらに推し進めて、もはや絵画や彫刻という形態をとらなくても、構想や考えだけでも芸術とみなすというものである。概念芸術ともいわれる。そのルーツは、マルセル・デュシャンのレディメイド作品「泉」までさかのぼることができる。
ただ、コンセプチュアル・アートは、完全に手仕事、画家が自ら絵を描くことがなくなるため前衛美術とはいえない。コンセプチュアル・アートから「現代美術」「ポストモダン・アート」とみなしてよいだろう。
観念の芸術
「こんなものはアートではない!」と多くの日本人を激高させるのが得意な美術が、「コンセプチャルアート」である。
ここに便器があるとする。私たちはふつう、便器を見たときに「排泄するための道具」であると認識する。これが「観念」である。
意識作用の向かう直接の対象は物質ではなくて、もともと自分の心の中にもっている「観念」であるという。そして、観念は外界の事物を代理的に「表象」する。外的対象は観念によって表象されるという。
美術館に便器が展示されているとする。プレートには「泉」、作者はマルセル・デュシャンと書かれている。このとき私の知覚は「便器」という表象から「オブジェ」という表象に変化する。これは私たちが「アート」という観念をもって、便器を見ているからである。もし便器が便所に置かれていたら私たちは「アート」と認識しないだろう。「排泄するための道具」であると認識する。
デュシャンはいう。
「私が興味の的になったのは表題のおかげです。中身の意味はありません。「処女」「花嫁」「裸体」などのタイトルを使っていれば興味をひくだけです。特に裸体に向かい合っていれば、スキャンダラスなものに見えたのです。裸体は尊重されなければいけませんからね!(デュシャンは語る)」
つまりデュシャンは、何も描かれていなかったり、モザイクだけが描かれた絵画でも、タイトルに「裸体」など、人が興味をひく言葉を入れることで必死に鑑賞するだろうということ。それは、目の芸術ではなく脳の芸術なのである。
ジョゼフ・コスース
コンセプチュアル・アートの起源はマルセル・デュシャンだが、「コンセプチュアル・アート」という言葉が現れたのは1960年代になってからで、1967年にソル・ルウィットが使ったとされる。
コンセプチャル・アートの代表作家は、ジョゼフ・コスースである。彼の代表作品『1つと3つの椅子』は、実物の折りたたみの椅子と、その椅子の原寸大の写真、そして辞書から引いた「椅子」の説明文からなりたっている。
実物の椅子は、知覚の対象としての知覚の対象としての「折り畳み椅子」(物体)と、個人の心理的象徴による「折り畳み椅子」(表象された観念)の2つに よって「椅子という記号」を形成している。
一方、写真と辞書のそれは、それぞれ物体の代用物と表象された観念の代用物であって「椅子のメタ記号」といえる。
そこでは椅子の形の美しさが示されるのではなく、実物の椅子とその写真、椅子を定義する言語的な記述と3つの構成要素の間の関係 を無意識のうちに読み取られる。
表現したいこと、その表現単体(=物質的側面)やそのものよりも、表現に至るまでの手段、過程(観念的側面)に着目したアートである。
■参考資料