サグラダ・ファミリア / Sagrada Família
世界最大のスペインの教会建築
概要
設計 | アントニ・ガウディ |
着工 | 1882年3月19日〜 |
場所 | スペイン、バルセロナ |
様式 | ゴシック・モダニズム |
公式サイト | https://sagradafamilia.org/ |
サグラダ・ファミリアはスペインのカタルーニャ・バルセロナにある巨大なローマ・カトリック教会。正式名称はサグラダファミリアのバシリカ(The Basílica de la Sagrada Família)。スペインの建築家のアントニ・ガウディが設計、現在も建設中であるが、既にユネスコ世界遺産に登録されている。
また2010年11月には、ベネディクト16世 (当時のローマ教皇)が礼拝に訪れて、正式にローマ・カトリック教会として認定するミサを行い、着工から128年目にして大聖堂(カテドラル)とは異なる上位の教会「バシリカ」となる。
サグラダ・ファミリアの着工は1882年に始まっている。1882年3月19日、建築家フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビジャールの指揮下でサグラダ・ファミリアの建設が始まった。しかし、1883年にビジャールが辞任するとガウディが主任建築士に任命され、建設計画を独自の方向へ変更した。
就任後、ガウディはゴシック様式と曲線的なアール・ヌーヴォー様式を組みわせたゴシック・モダニズム様式路線に変更。直線、直角、水平がほとんどない外観が特徴である。
ガウディは1923年、76歳の最晩年まで精力的にこの建設企画に関わったが、彼が生きている間に完成することはできなかった。なお、ガウディの亡骸はサグラダ・ファミリアに埋葬されている。1926年に彼が亡くなった時には、プロジェクトの4分の1以下が完成していた。
サグラダ・ファミリアの建設は、個人の寄付金のみに頼っていたが、スペイン内戦の影響で工事が遅れ、中断された。1936年7月、革命家たちが地下室に火を放ち、作業場に侵入したため、ガウディのオリジナルの図面や図面、石膏模型が一部破壊され、16年の歳月をかけてオリジナルの設計図の断片をつなぎ合わせる作業が行われた。
建設は1950年代に断続的に再開された。その後、コンピュータ支援設計やコンピュータ数値制御(CNC)などの技術の進歩により、より速い進歩が可能となり、2010年には半分が完成した。
プロジェクトの最大の課題は、新約聖書の重要な聖書の人物を象徴する10本の尖塔を建設することだという。1980年代には、完成までに300年くらいはかかると言われていたが、IT技術などの進展により、現在ではガウディ没後の2026年の完成が見込まれている。
美術批評家のライナー・ツェルプストは、「全地球の美術史においてこのような教会建築は前代未聞である」と批評しており、またアメリカの建築批評家のポール・ゴールドバーガーは「中世以来のゴシック様式において最も異常で個人的なカラーの強い建築物」と批評している。
サグラダ・ファミリアはバルセロナの住民の間で長い間意見が分かれてきた歴史がある。当初はバルセロナの大聖堂と競合する可能性があったこと、ガウディのデザインそのものをめぐって、ガウディ死後の作業がガウディのデザインを無視したものである可能性があったこと。
2007年には直下にフランスとつなぐスペインの高速鉄道を建設するという提案があり、安定性が損なわれる可能性があった。着工時の建築許可が更新されず失効していたことから、130年以上にわたって違法建築状態が続いていた。
歴史
背景
サグラダ・ファミリアの建設は、「聖ヨセフ信者の霊的な協会」の創設者である本屋のジョセップ・マリア・ボカベラの構想がルーツとなっている。
1872年にバチカンを訪問したボカベラは、ロレートにあるサントゥアリオ・デッラ・サンタ・カーザに影響を受けて、イタリアに戻ると教会の建設を企画する。教会の地下礼拝堂が、1882年3月19日の聖ヨセフ祭の日に、建築家フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビジャールの設計で寄付金により建設された。当初は標準的なゴシック・リヴァイヴァル建築になる予定だった。
地下礼拝堂は1883年3月18日にビジャールが辞任する前に完成していたが、アントニ・ガウディがデザインの責任を担当するようになると、当初の設計を根本的に変更した。ガウディは1883年に教会の工事を開始したが、1884年まで建築家の総監督には任命されなかった。
建設
建設期間が非常に長くなることについて、ガウディは次のように語ったと言われている。「クライアントは急いでいない」。1926年にガウディが亡くなったとき、教会は15〜25%の完成度だった。
ガウディの死後は、1936年のスペイン内戦で中断されるまで、ドメネク・スグラネス・イ・グラスの指揮の下で工事が続けられた。
未完成のバシリカとガウディの模型と工房の一部は、内戦中にカタルーニャのアナーキストによって破壊された。現在のデザインは、火災で焼失した図面を復元したものと、現代的にアレンジしたものをベースにしている。
1940年以降は、建築家のフランチェスク・キンタナ、イシドレ・プイグ・ボアダ、ルイス・ボネット・イ・ガリ、フランチェスク・カルドナーが事業を引き継いできた。
イルミネーションはカルレス・ブイガスがデザインした。現在のディレクターであり、リュイス・ボネットの息子でもあるジョルディ・ボネで、1980年代から設計や建築のプロセスにコンピュータを導入している。ニュージーランドのマーク・バリーがエグゼクティブ・アーキテクト兼研究員を務めている。
ジャウマ・ブスケッツや外尾悦郎による彫刻や物議を醸したジュセップ・マリア・スビラクスらが幻想的なファサードを装飾している。2012年にはバルセロナ出身のジョルディ・フォーリが建築監督に就任した。
2000年には中央の身廊のヴォールトが完成し、それ以降の主な作業は、トランセプトのヴォールトとアプスの建設だった。2006年の時点では、イエス・キリストの主尖塔と中央身廊の南側の囲い(グローリーファサードとなる)の横断面と支持構造に集中して工事が行われていた。
サグラダ・ファミリアは、1909年にガウディが建設作業員の子供たちのために設計したサグラダ・ファミリア・スクールと建物と敷地を共有していたが、2002年に敷地の東側の角から南側の角に移設され、現在は展示室となっている。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Sagrada_Fam%C3%ADlia、5月29日アクセス