フォーヴィスム / Fauvism
内的感情や感覚を色彩で表現する前衛運動
概要
フォーヴィスムの起源
フォーヴィスムは、20世紀初頭のフランスで発生した前衛運動のひとつである。
1905年、パリの第二回サロン・ドートンヌ展に出品した画家たちの作品を見た批評家のルイ・ヴォークセルが、その原色を多用した強烈な色彩、また粗々しい筆使いに驚き、「この彫像の清らかさは、乱痴気騒ぎのような純粋色のさなかにあってひとつの驚きである。野獣(フォーヴ)たちに囲まれたドナテロ!」と叫んだ。
これがフォーヴィスムの起源である。
フォーヴィスムの特徴
フォーヴィスムは、色彩それ自体に表現があるものと見なし、とりわけ、人間の内的感情や感覚を表現するのに色彩は重要なものとし、色彩自体が作り出す自律的な世界を研究することが目的である。
フォーヴィスムの画家
フォーヴィスムの代表的な画家は、アンリ・マティスやアンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンクである。
サロン・ドートンヌに出品した作家の中で、特に非難を浴びせられたのはマティスの《帽子の女》だった。原色系を多用した画面を見た聴衆はこれをやじり、嘲笑。しかしアメリカ人のコレクター、ガートルード・スタインとレオ・スタインはこの絵の真価を認め、ただちに買い取った。
フォーヴィスムの作家に直接的に影響を与えたのは象徴主義の画家のギュスターヴ・モローである。モローのアトリエで学んだマティスやフォーヴィスムの画家たちは、伝統的様式を押し付けられることはなく、ひとりひとりの個性を自由に伸ばす美術教育をモローから受けたという。
また間接的な影響としては、後期印象派のセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、新印象派のスラー、シニャックが重要である。特にゴッホの激しい原色を大胆に利用するそのままフォーヴィスムにつながっている。またゴーギャンはドランに影響を与えている。
短命に終わったフォーヴィスム
前衛芸術のなかでもフォーヴィスムの運動は短命であり、1904から1908年の数年間のムーブメントで、展示は3回だけだった。運動が収束した後、画家たちはそれぞれの道を歩み始めて行き、マティス自身も、色彩の激しさよりも調和を求める画風へと変化していった。