ヤン・ファン・エイク / Jan van Eyck
初期ネーデルラント絵画の改革者
概要
生年月日 | 1390〜1395年頃 |
死没月日 | 1441年7月9日 |
活動場所 | フランドル |
ムーブメント | 初期ネーデルランド絵画、北方ルネサンス |
代表作 |
・アルノルフィーニ夫妻像 ・ヘントの祭壇画 ・宰相ロランの聖母 ・受胎告知 ・教会の聖母子 |
ヤン・ファン・エイク(1390年-1441年7月9日)は、ブルージュで活動したフランドル地方の画家。
初期ネーデルラント絵画の革新者の1人として知られており、また初期北方ルネサンス芸術の最も重要な画家の1人でもある。
ファン・エイクは1380年から1390年頃、現在のベルギーのマーセイク(当時のマーセイク、それが彼の名前の由来)で生まれた可能性が高いとされている。
1422年頃ハーグで仕事をはじめたときには、すでに助手付きの工房を所有する巨匠で、オランダとハイノーの支配者であったピティレス家のヨハネ3世の庇護のもと画家や使用人として活動した。
1425年にヨハネが亡くなると、ブルゴーニュ公フィリップ・ザ・グッドの宮廷画家としてリールで活動し、その後、1429年頃にブルージュに移り住んんで、亡くなるまでそこで暮らした。
フィリップに公に高く評価され、公爵とポルトガルのイザベラの婚約交渉で1428年にはリスボンを訪問するなど外交官としても活躍した。
現存する約20点の絵画の中には、《ヘント祭壇画》や『トリノ=ミラノ時祷書』の装飾画など、1432年から1439年の間に描かれたものがある。
ファン・エイクは、祭壇画、一枚板の宗教的な人物、依頼された肖像画など、世俗的なものと宗教的なものの両方を主題とし、一枚板、二枚板、三枚板、ポリプティク板など多様な形式で制作している。
パトロンだったフィリップは、画家が「好きな時に好きなだけ」描くことができるよう安定した高額報酬を行い、また芸術的な自由を保証されていたので、ファン・エイクは好きなときに好きなだけ描くことができた。
ヴァン・エイクの作品はもともとは国際ゴシック様式に由来しているが、自然主義とリアリズムを重視する方向へ発展した。また、油絵具の技法の水準を高め、その後、非常に影響力を持ち、その技術やスタイルは、初期ネーデルラントの画家たちに採用され、洗練されていった。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Jan_van_Eyck、2020年8月26日アクセス