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【作品解説】フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルの病院」

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アルルの病院 / Hospital in Arles

ゴッホが入院していた病院


《アルルの病院の庭》(F519)
《アルルの病院の庭》(F519)

概要


「アルルの病院」は、フィンセント・ファン・ゴッホが、1888年12月と1889年1月に滞在していた病院を描いた2枚の絵の題材である。

 

この病院は南フランスのアルルにある。そのうちの1枚、《アルルの病院の庭(アルルの病院の中庭ともいう)》は、4つの建物の間にある中央の庭の絵でよく知られている。もう1枚は病院内の病室を描いた《アルルの病院の病室》である。

 

ほかにゴッホは、入院中の主治医の肖像画《フェリックス・レイ医師の肖像》も描いている。

背景


アルル


1888年2月20日、アルルを訪れたゴッホは、当初レストラン・カレルの下宿に滞在していた。アーモンドの木が芽吹き、雪景色で冬の気配が感じられる。ゴッホには、その光景が日本の風景のように思えた。

 

アルルは、フランス南部のブーシュ・デュ・ローヌ県、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールと呼ばれる地域にあり、ニームの南東約32キロ(20マイル)に位置する。

 

アルルは、ローマ時代、フランス貿易の港として栄えた。17世紀から18世紀にかけて、北アフリカから多くの移民がアルルにやってきた。その影響は、この時代に建てられた町の多くの家屋に反映されている。

 

アルルは、ローヌ川の主要港として長年にわたり経済的に重要な位置を占めていた。19世紀に鉄道が開通すると、河川貿易の多くが奪われ、街の商業活動は縮小した。アルルはプロヴァンス的な魅力を保ちながら、ゴッホのような芸術家を惹きつけた。

 

アルルは、今まで住んでいたところとは全く違うところだった。気候は晴天で暑く乾燥しており、地元の人々はスペインから来た人々のような風貌と声をしていた。

 

プロヴァンスの「鮮やかな色彩と力強い構図の輪郭線」から、ゴッホはこの地を「南の日本」と呼んだ。この間、『星月夜』『カフェ・ド・ニュイ』『ひまわり』など200点以上の絵画を制作している。

 

ゴッホはアルルにほとんど友人がいなかったが、郵便配達人のジョゼフ・ルーランや、次に居候したカフェ・ド・ラ・ガレの店主ジヌーとの知己により、ルーラン一家やジヌー夫人の肖像を数多く制作している。

 

友達を作るのが苦手なのは、プロヴァンスの方言を使えないからだった。「食事やコーヒーを注文する以外は、誰とも一言もしゃべらずに一日が過ぎていく」。

 

しかし、アルル滞在当初は、プロヴァンスという土地に魅了され、人とのつながりがないことに悩まされることはなかった。

 

1888年10月、ポール・ゴーギャンはアルルを訪れ、「黄色い家」の部屋を借りてゴッホと一緒に過ごした。残念ながら、ゴッホが訪れて描いた場所の多くは、第二次世界大戦の空襲で破壊されてしまった。

アルルの病院に至るまで


ゴッホの精神状態は悪化し、1888年12月にはポール・ゴーギャンと口論になり、ゴッホは自分の左耳の一部を切り落とすなど、驚くほどエキセントリックな状態になった。

 

その後、数ヶ月の間に2度、アルルの病院に入院した。病院では、「全身譫妄を伴う急性躁病」と診断された。

 

また、同病院の若い研修医フェリックス・レイ医師は、「一種のてんかん」である可能性を指摘し、「精神てんかん」と名づけた。

 

ヨハンナ・ファン・ゴッホ、ポール・シニャック、ドワトー&ルロワ医師らによれば、ゴッホは耳たぶの一部を切除したと言っているが、美術史家のリタ・ウィルドガンズは、アルルの目撃者が例外なく全員、左耳全体を切除したと言っていると主張している。

 

1889年1月、ゴッホは自分が住んでいた黄色い家に戻ったが、その後1ヵ月間、幻覚や毒殺されたという妄想に苦しみながら病院と自宅を行き来していた。

 

1889年3月、30人の町民から「フー・ルー(赤毛の狂人)」と呼ばれる嘆願書が出され、警察はゴッホの家を閉鎖。シニャックは入院中のゴッホを見舞い、ゴッホは彼の付き添いで帰宅を許された。

 

1889年4月、洪水で自宅の絵画が被害を受けたため、フェリックス・レイ博士の部屋に移り住む。この頃についてゴッホ、「ときには筆舌に尽くしがたい苦悩の気分、ときには時間のベールや運命的な状況が一瞬引き裂かれるような瞬間」と書いている。

 

1889年5月、ついにゴッホは自分の精神的な弱さを理解し、アルルを離れ、サン・レミ・ド・プロヴァンスのサン・ポール精神病院へと向かった。

《医師フェリックス・レイの肖像》(F500, JH1659)油彩・キャンバス 1889年 プーシキン美術館 。レイは自分の肖像画を嫌い、手放した。
《医師フェリックス・レイの肖像》(F500, JH1659)油彩・キャンバス 1889年 プーシキン美術館 。レイは自分の肖像画を嫌い、手放した。

アルルの病院


旧アルル病院の中庭は、現在「エスパス・ファン・ゴッホ」と名付けられ、ゴッホの作品の中心となっており、その中にはマスターピースもいくつかある。

 

四方を複合施設の建物で囲まれた庭は、1階のアーケードを通って入ることができる。1階と2階には回遊式のギャラリーが設置されている。

 

アルルの旧病院は、オテル・デュー・サン・エスピリットとしても知られ、16世紀から17世紀にかけて建設された。その正面玄関は、アルルのデュロー通りにあった。16世紀初頭、この街には32の慈善施設が存在した。

 

アルルの大司教は、これらの施設をアルルの中心部に1つの組織として統合することを決定した。建設は2世紀にわたって行われた。

 

発掘調査では、原始時代(先史時代と文字史の間の時代)の遺跡が発見され、古代都市の骨格の一部が明らかになったほか、ローマ時代の遊歩道からネクロポリスが発見された。

 

1835年、コレラの大流行に対応するため、3つの棟が建設された。20世紀初頭、病院は当時の医療水準に合わせるために改修された。1974年、ジョセフ・アンベール病院が開院し、アルルの旧病院の多くの機能が新病院に移された。

 

1986年にはすべての診療科が退去し、病院は文化・学術センターとして再生されることになった。

 

 

このプロジェクトに選ばれた建築家ドゥニ・フロイドヴォーとジャン・ルイ・テトレルが、ローマ時代の遊歩道など歴史的な特徴を反映させている。

絵画


《アルル病院の病棟》は施設の様子を、《アルル病院の庭》は病室の窓の外やバルコニーからの風景を描いている。また、ゴッホはときどき、病院の外に出て、戸外で絵を描くことができた。

アルル病院の庭


ゴッホは1889年6月に病院の中庭の絵を描いている。視点は病院内の自室からである。

 

ゴッホは庭の描写をすることで、青いひげ菖蒲、忘れな草、キョウチクトウ、パンジー、サクラソウ、ポピーといった花を識別することができるようになった。放射状に広がるセグメントの周囲には、アヤメの花で埋め尽くされた花壇が設置されている。

 

絵と実際の庭の違いは、ゴッホが構図をよくするために中央の魚庭を原寸よりも大きく描いていることだ。

 

色彩で雰囲気を表現することに長けており、青と金の色調は憂鬱感が漂う。黄色、オレンジ、赤、緑は、《アルルの寝室》など他のアルルの作品に見られるような鮮やかな色調とはいえない。

《アルルの病院の庭》(F519)
《アルルの病院の庭》(F519)

アルルの病院内の病室


1889年10月、ゴッホは《アルルの病院の病室》と題した熱病棟の絵を描き始める。この大きな作品はしばらく手つかずにされていたが、ゴッホはフョードル・ドストエフスキーの著書『死者の家の思い出』に関する記事を読んだのきっかけに描きはじめたという。

 

ゴッホは妹ウィルに次のように説明している。「前景には大きな黒いストーブがあり、その周りには灰色と黒の患者の姿があり、その後ろには赤で舗装された非常に長い病室があり、白いベッドが2列に並び、仕切りは白だがライラックか緑の白、窓にはピンクと緑のカーテン、背景には白と黒の修道女が2体描かれています。天井は紫色の大きな梁があります」。

 

『ゴッホの花』の著者であるデブラ・マンコフは、「『アルル病院の病棟』では、廊下の誇張された長さと患者の姿を描き出す神経質な輪郭が、ゴッホの孤立と監禁の感情の重みを表している」と批評している。

《アルルの病院の病室》 1889年 オスカル・ラインハルト・コレクション "Am Römerholz", スイス、ヴィンタートゥール (F646)
《アルルの病院の病室》 1889年 オスカル・ラインハルト・コレクション "Am Römerholz", スイス、ヴィンタートゥール (F646)

医師フェリックス・レイの肖像画


《医師フェリックス・レイの肖像》(F500, JH1659) 油彩・キャンバス 1889年 プーシキン美術館  レイは自分の肖像画を嫌い、手放した。
《医師フェリックス・レイの肖像》(F500, JH1659) 油彩・キャンバス 1889年 プーシキン美術館  レイは自分の肖像画を嫌い、手放した。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Langlois_Bridge_at_Arles、2022年6月27日アクセス



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