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【美術解説】プッシー・ライオット「ロシアのパンクアート集団」

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プッシー・ライオット / Pussy Riot

プーチンに反発するフェミニズム・ロック集団


プッシー・ライオットという名前を聞いたことがありますか?彼らが何を主張し、どのように世界を変えているのか、ご存知でしょうか?もしそうでないなら、この記事では、フェミニズム、ゲイの権利、プーチン大統領のロシア政権への批判といったプッシー・ライオットのコンセプトについて詳しく説明します。また、ロシア正教会の総主教との関係についても触れていきます。ぜひご一読ください。

概要


拠点 モスクワ
活動期間 2011年〜
ムーブメント プロテスト・アート 

プッシー・ライオット(Pussy Riot)は、モスクワを拠点とするロシアのフェミニスト抗議・パフォーマンス・アートグループ。

 

2011年8月にバンド結成。20〜33歳の約11人の多様な女性で構成されている。

 

初期は挑発的なパンクロック音楽で注目を集め、その後、より親しみやすいスタイルに移行。

 

初期の頃は、公共の場で無許可で挑発的なゲリラライブを行い、その様子をミュージックビデオとして撮影し、インターネット上で公開していた。

 

彼女らのコンセプトはフェミニズム同性愛者の権利、そしてウラジミール・プーチン大統領のロシア体制への批判である。彼女らはプーチンをスターリンとみなし、またロシア正教会総主教との癒着を批判する。

 

2012年2月21日、5人メンバーがモスクワの救世主キリスト大聖堂内でパフォーマンスをしたが、すぐに教会の警備員によって阻止された。そのライブはネット上で「パンク-聖母よ、どうかプーチンを追い出して!」として公開された。

 

この反乱のリサイタルは、ロシア教会総主教が大統領選でプーチンを支援したことを非難するものであった。

その後も彼女らは、さまざまな過激なパフォーマンスや抗議運動を行う。これまで、メンバーの核となるナデージダ・トロコンニコワ、マリア・アリョーヒナ、エカテリーナ・サムツェビッチが逮捕されている。

 

彼女たちに対する法的手続きは、特にアメリカやヨーロッパで大きな注目を集めた

 

アムネスティ・インターナショナルなどの人権団体は、女性受刑者を「良心の囚人」と名付け、多くの著名人がその趣旨を支持した

 

2022年にロシアがウクライナに進出した際にマリア・アリョーヒナは配送ドライバーに変装して軟禁を逃れ国外へ脱出。現在、メンバーは独裁政権から逃れ、世界中に亡命してウクライナを支援する活動を行っている。

重要ポイント

  • プーチン政権に対する過激な抗議運動で世界中で注目を集める
  • フェミニズム・LGBTの権利を主張している
  • ウクライナ戦争勃発後は世界中に亡命して活動している

経歴


起源


プッシー・ライオット(Pussy Riot)は、2011年末にロシアの国政に反発して結成された集団である。

 

ラテン語のアルファベットで書かれた2つの英単語からなるその名前は、通常ロシアの報道ではそのように表示されるが、キリル文字に訳され「Пусси Райот」と表記されることもある。

 

当初は出演者の十数名と、インターネットに掲載する動画の撮影・編集などのスタッフを担当した15名程度で結成された。公式なメンバー制度はなく、誰でも参加できるとしているが、通常10人から20人のメンバーで構成されている。

 

 

メンバーは匿名性を好み、演奏時には鮮やかな色のバラクラバを着用し、インタビューには偽名を使うことで知られている。

 

メンバーの内、ナディア・トロコンニコワ、その夫のピョートル・ベルジロフ、サムツェビッチの3人は、2007年のアナーキスト芸術集団「ヴォイナ」の初期から2009年の分裂までメンバーとして活動していた。

 

ヴォイナの創始者オレグ・ヴォロトニコフと同じように、自分たちにもこの名前を使う権利があるとして、分裂後、モスクワを拠点に別のグループを結成し、同じく「ヴォイナ」と名乗って活動していた。

 

モスクワの救世主キリスト大聖堂事件


 当初は無名だったプッシー・ライオットだが、2012年2月にモスクワの救世主キリスト大聖堂で行われた公演をきっかけに、世界的にその名が知れ渡るようになる。

 

公演後、マリア・アリョーヒナ、エカテリーナ・サムツェビッチ、ナディア・トロコンニコワの3人の女性が公にされ、最終的に宗教的憎悪に起因するフーリガン行為で有罪判決を受けた。ほかの2人の女性メンバーは国外に逃亡し、名前が公表されることはなかった。

 

トロコンニコワは初期プッシー・ライオットのリーダー格として認識されている。彼女はノリルスクで生まれ、モスクワ大学出身。トロコンニコワと当時の夫ピョートル・ベルジロフは、2007年からヴォイナのメンバーだった。

 

ヴォイナは、橋の上に65m(210フィート)のペニスを描いたり、モスクワの生物学博物館で公衆猥褻行為をするなど、挑発的なアート・パフォーマンスに関与していた。

 

アイリョーヒナはシングルマザーで詩人であり、以前は環境活動家として活動していた。彼女はモスクワのジャーナリズムとクリエイティブライティング研究所の学生だった。

 

サムツェビッチは2008年、アイリョーヒナと同時にヴォイナに加入した。彼女はコンピュータープログラマーであり、モスクワのロドチェンコ写真・マルチメディア学校の元会員である。釈放後は公の場から姿を消し、現在は活動していない。

 

裁判中、ベルジロフは3人のバンドメンバーの代表としてロビイ活動をしていた。ベルジロフは人権団体、政治家、マドンナやレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどの有名人と連絡を取り、7 年間の判決を受ける可能性がある女性たちへの支持を表明するよう世界中に根回ししていた。

 

しかし、彼がマスコミからバンドの「プロデューサー」であることが報じられるようになると、解任された。

 

 

ナディア・トロコンニコワ
ナディア・トロコンニコワ
エカテリーナ・サムツェビッチ
エカテリーナ・サムツェビッチ
マリア・アリョーヒナ
マリア・アリョーヒナ

釈放後


トロコンニコワとアリョーヒナの釈放に対して、グループの他のメンバーが2人の釈放を喜ぶ一方で、距離をとりはじめた。

 

2人は刑務所の問題に振り回されて、グループの願望や理想-フェミニズム、分離主義への反対、権威主義や人格崇拝に対する戦いなど、不当に投獄されてしまったことすべてをすっかり忘れてしまったという。

 

グループのメンバーは、「私たちは反資本主義者です。私たちの芸術を見る人々からお金を徴収しません。私たちのビデオはインターネット上で自由に入手できます。観客は通行人で構成されています。私たちの出演は常に違法です。」

 

出所後、トロコンニコワとアリョーヒナがプッシー・ライオットの名を使って曲を発表するのを阻止しようとしたができなかったため、しばらくしてメンバーたちは「プッシー・ライオットは死んだ」と宣言した。

独立した活動へ


2015年、トロコンニコワとアリョーヒナはそれぞれの道を歩みはじめ、現在も似たような道を歩みながら、連絡を取り合っているる。プッシー・ライオットは当初の集団というよりトロコンニコワのプロジェクトと見る向きもあるようだ。

 

アイリョーヒナサイは、自身のショー「プッシー・ライオット」を制作した。ロシア人活動家としての彼女の人生を描いた「ライオット・デイズ」を制作し、様々なフリンジフェスティバルを巡っている。

 

二人は、政治的抗議のために誰でも「プッシー・ライオット」の名前を使うことができる、ゆるやかで非階層的なネットワークの活動を提唱している。

 

2018年FIFAワールドカップ決勝戦の際、不当逮捕に抗議するため、プッシー・ライオットと同一人物のメンバーが警察の制服を着てピッチに侵入した。ヴェルジロフ、経済学部の学生ヴェロニカ・ニクルシナ、ジャーナリストのオルガ・クラチョワ、オルガ・パフツォワの4人である。

 

また、2022年5月16日現在、ルーシー・シュタインという現メンバーがおり、フードデリバリーを装って自宅軟禁を脱出している。

 

2023年1月トロコンニコワが、ロサンゼルスのジェフェリー・ディーチで初の個展を開催、鑑賞者はバラクラバを着用するように指示し、プーチンに対する長年の反対意見を、「プーチンの遺灰」と題した新しいパフォーマンスのビデオで発信している。



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