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【美術解説】ピエール・モリニエ「愛する妹と一心同体化した男」

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ピエール・モリニエ / Pierre-Molinier

愛する妹と一心同体化した男


概要


生年月日 1900年4月13日
死没月日 1976年3月3日
国籍 フランス
表現媒体 絵画、写真、扮装
ムーブメント シュルレアリスム

ピエール・モリニエ(1900年4月13日-1976年3月3日)はフランスの画家、写真家、オブジェクト作家。

 

自らの精液で絵を描いた男。自らの絵のなかの女(妹)とコラージュで同一化した男。そのさまを写真に記録した男。特異な偏執的手法をもって、もっぱらエロティスムを探究していた画家。

 

54年からシュルレアリストと交流し、最初の展覧会にはブルトンの序文を得た。ボルドーを拠点とし、密室にこもって女装写真を撮る。76年、ピストル自殺。

略歴


1900年4月13日の金曜日、フランス・アジャンに生まれる。父親はペンキ職人。母親は裁縫師。幼少期よりイエズス会に入れられ、聖職者となるための教育を受ける。だが絵画に目覚めアジャンの美術学校に通う。

 

モリニエは18歳のときに写真を撮り始める。妹が1918年に死ぬと、モリニエは彼女の死体を撮影するかたらわ、死姦していたといわれている。「死んでからも妹は美しかった。私は彼女の腹や脚、着ていた喪服の上に射精をおこなった。妹は自らの死と同時に私の生を受け取った。」

 

20歳、パリへ出て、23歳からボルドーに住み、以後独学で印象派風の絵を描く。1928年にボルドーで穏健な野獣派の画家としてデビューするが、性交中の男女を描いてスキャンダルを起こす。

 

潜伏期間をえて、モリニエは1950年ごろからエロティックな作品を発表し始める。人形、人工関節、ハイヒール、ディルド、特製小道具などさまざまなオブジェクトを使って扮装したフォトモンタージュ作品が中心。

 

モリニエは、1955年ごろからアンドレ・ブルトンに自身の作品の写真をブルトンに送って交友を始める。のちにブルトンは、モリニエをシュルレアリスムのグループとして迎えることにきめ、1956年にブルトンの企画でパリで個展を開催する。本展示会でモリニエは、ブルトンにより、広く一般に紹介されることになった。

 

1960年代後半に、モリニエはモンタージュに興味を持ち始め、狭い屋根裏部屋で、猫とともにそれに没頭する。被写体は常に女であり、それは最愛の妹であり、自分である

 

モリニエは愛する妹の死体写真(モリニエの写真に登場する同じ顔の女)と自分の写真をフォトモンタージュで合成させ一体化する。それによって勃起にいたる自らの姿を、暗い背景のなかに浮かび上がらせていた。70歳の老人は、まるで近親結婚式にのぞむ花嫁のように、自分だけの記念撮影をする。

 

1976年3月3日、ボルドーのアパートのアトリエの埃のなかで、愛用のピストルを自らの脳に向けて発射し、生を終えた。彼は自らの演じる女と同じくらい、どこかへ向けて、最後には自らの演じる女に向けて、ピストルを発射した。

 

モリニエのなぞめいた写真は、ユルゲン・クラウケ、 シンディ・シャーマン、ロン・アティ、 リック・カストロなどの1970年代に流行り始めたヨーロッパやアメリカの身体改造アーティスト、日本では四谷シモンに強く影響をあたえており、「過去と未来のイブ」シリーズの「慎み深さのない人形 8」(1975年)は、ピエール・モリニエへのオマージュ作品である。


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