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【完全解説】アイリーン・エイガー「イギリスを代表する女性シュルレアリスト」

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アイリーン・エイガー / Eileen Agar

イギリスを代表する女性シュルレアリスト


アイリーン・エイガー「魚のサーカス」(1939年)
アイリーン・エイガー「魚のサーカス」(1939年)

概要


生年月日 1899年12月1日
死没月日 1991年11月7日
国籍 イギリス
表現媒体 絵画、コラージュ、写真、アッサンブラージュ
ムーブメント シュルレアリスム、ロンドン・シュルレアリスム
配偶者 ジョセフ・バード

アイリーン・エイガー(1899年12月1日-1991年11月17日)はイギリスの画家、写真家、コラージュ作家、オブジェ作家。ロンドン・シュルレアリスム・グループの代表的なメンバー

 

エイガーは、スコットランド人の父とアメリカ人の母とのあいだでブエノスアイレスで生まれた。1911年に家族はロンドンに移る。

 

エイガーはヒースフィード大学卒業後、1919年にバイアム・ショー美術学校に入学して本格的に絵を描き始める。1924年にブルック・グリーンにある美術家のレオン・アンダーウッドのもとで学び、1925年から1926年までロンドンのスレード美術学校に通う。また1928年から1930年までパリで美術を学んだ。

 

1926年にエイガーは作家のジョセフ・バードと出会い、1940年に結婚。1928年に二人はパリで同棲し、そこでエイガーはアンドレ・ブルトンやポール・エリュアールと出会い、パリのシュルレアリストたちと交流を持つようになる。1934年にはロンドン・シュルレアリム・グループのメンバーとなった。

アイリーン・エイガー「バム・サム・ロック」(1936年)
アイリーン・エイガー「バム・サム・ロック」(1936年)

その後、エイガーはイギリス国内外でシュルレアリスム作品の展示を行うようになる。

 

1930年代にエイガーの作品は、特に超現実オブジェで注目を集めるようになる。またシュルレアリスティックな写真「ファウンド・オブジェ」も評価が高まる。たとえばブルターニュで発見した奇妙な形の岩を撮影した写真「バム・サム・ロック」などが代表的なファウンド・オブジェ作品である。

 

ほかにオートマティスム絵画やコラージュ作品なども制作し人気を集める。石膏像にさまざまなデコレーションを行った超現実オブジェ「アナーキーな天使」が代表作で、現在この作品はテート・モダンに収蔵されている。

 

1930年代なかばにエイガーとバードは、ドーセット州のスワネッジで夏を過ごすための家を借り始める。そこで彼女はポール・ナッシュと出会い2人で親密な関係を築き始め、2人で数多くのコラボレーション作品を作り始める。コラボ作品の多くはファウンド・オブジェである。また、ナッシュはローランド・ペンローズやハーバード・リードにエイガーの作品を紹介。1936年に開催された「ロンドン国際シュルレアリスム展」にエイガーも参加。彼女はイギリス出身の唯一の女性シュルレアリストとして作品が紹介された。

 

1937年に、エイガーはピカソとドラ・マールの家で休暇を過ごすように。そこにはポール・エリュアール、ナッシュ・エリュアール、ローランド・ペンローズ、リー・ミラーなども滞在していた。1940年までにエイガーの作品はアムステルダム、ニューヨーク、パリ、東京など世界中のシュルレアリムの展覧会で紹介された。

 

第二次大戦後、エイガーは芸術制作において新しいフェーズに入る。1946年から1985年の間に16もの個展を行い、また1960年代までに彼女はシュルレアリスム要素をともなう新しい抽象絵画「タシスム」を多数制作し始める。

 

1991年にロンドンで死去。

アイリーン・エイガー「ブイヤベースを食べるための儀式用帽子」 (1937年)
アイリーン・エイガー「ブイヤベースを食べるための儀式用帽子」 (1937年)
アイリーン・エイガー「アナーキーな天使」(1940年)
アイリーン・エイガー「アナーキーな天使」(1940年)

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