ゾンネンシュターン / Sonnenstern
ジャン・デビュッフェが賞賛したシュルレアリスト
概要
生年月日 | 1892年9月11日 |
死没月日 | 1982年5月10日 |
国籍 | ドイツ |
表現媒体 | 絵画 |
ムーブメント | シュルレアリスム、アール・ブリュット |
フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン(1892年9月11日-1982年5月10日)はドイツの画家。ムーブメントとしてはシュルレアリスムに含まれるが、現在はアール・ブリュットやアウトサイダー・アート史において最も重要な芸術家とみなされている。
ゾンネンシュターンは東プロシア(現在のリトアニア)のソヴィェツクで生まれた。ゾンネンシュターンは13人兄弟だった。ゾンネンシュターンは幼少時代、盗みや暴力行為などで周囲に迷惑をかけ、何度も学校を変えることになった。その後、14歳のときに早期痴呆症の疑いで収容所に送られた。この子供時代の経験は、生涯にわたる権威に対する憎悪を醸成することになった。
第一次世界大戦勃発にあたって徴兵されるものの、兵役につくのが耐えがたく、精神病者であることを主張して兵役から解放される。軍医いわく「遺伝的欠陥、白痴、精神薄弱」と。1917年、郵便局に勤務し、ロシアとリトアニアの国境近くで集配人となるが、密輸者として逮捕され、またも精神病院に押し込められる。一年後、脱走するが、憲兵につかまり今度は監獄へ送られる。ここで第一次世界大戦集結を迎え、釈放される……
1919年にベルリンに移る前に、ゾンネンシュターンは軍隊とサーカス団で過ごす。道化芝居の舞台にたったり、キャバレーに出演したりした。またオカルトや占い、スピリチュアルに多大な関心を持つようになる。ついには自分で宗教を創設し、貧困層の子どもたちにパンを売ってしいた。
その後、自分の名前を「ゾンネンシュターン(太陽と星)」という名前に変え、詐欺師として活動。「自然健康」という疑似医療を庶民にほどこし、自身をエリオット・グナス・ヴォン・ゾンネンシュターン医師と名乗るようになる。
1933年にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州で、ゾンネンシュターンは画家のハンス・ラルフと出会い、絵画を教わる。その後、刑務所に送られ、第二次世界大戦中には労働者収容所で働く。この頃から本格的に絵描きとしての活動を始める。
1959年のパリの「国際シュルレアリスム展」で、ゾンネンシュターンは20世紀の最も印象的なアーティストとして注目を浴び、またジャン・デビュッフェが彼を賞賛する。
晩年はアルコール依存症に陥り、1964年に死去。