ベラ・ローゼンフェルド・シャガール / Bella Rosenfeld Chagall
シャガールの妻でモデル
概要
ベラ・ローゼンフェルド・シャガール(1895年12月15日-1944年9月2日)はユダヤ系ベラルーシの著述家。マルク・シャガールの最初の妻。1917年の『白襟のベラ』をはじめ、多くのシャガールの作品のモデルになっている。
ベラは1895年、現在のベラルーシの都市であるヴィーツェプスクの裕福なユダヤ人家庭で生まれた。父シュミエル・ノアと母オルタ・ローズフェルドの8人の子ども末っ子だった。両親は宝石商だった。
1909年にサンクトペテルブルクに友人を訪ねた際にマルク・シャガールと出会う。当時シャガールはロシアの画家レオン・バクストのもとで学ぶ、赤貧の見習い画家だった。二人は出会ってすぐにひきあい、付き合い始めた。二人はともに同じヴィーツェプスク出身だったけれども、社会的階層が異なっていたため、ベラの両親は結婚に反対。
1915年頃からシャガールが画家として成功するようになると、二人はついに結婚し、サンクトペテルブルクへ映る。翌年の1916年に一人娘のイーダを出産。1922年にリトアニアへ移り、その後ドイツ、1924年にパリへ映る。
ナチスドイツがフランスに侵入すると1939年に南フランスへ避難。1941年にマルセイユで逮捕されたあと、と二人はアメリカのニューヨークへ亡命。しかしベラはウイルス感染にかかる。戦時中であったこともあり薬が不足し、ベラは治療を受けることができず、1944年にアメリカで死去。
彼女の最も有名な作品『バーニング・ライト』は、1939年にフランスでイーディッシュ語で出版された。1946年、ベラの死後にシャガールが英語版を出版。この本はもともと1931年にパレスチナのユダヤ人地区を訪れたときに、彼女にイーディッシュ語で書くようにすすめたものだという。