クレメント・グリーンバーグ / Clement Greenberg
最も影響力のあるアメリカ現代美術批評家
概要
生年月日 | 1909年1月16日 |
死没月日 | 1994年5月7日 |
国籍 | アメリカ |
職業 | 批評家 |
ムーブメント | 抽象表現主義 |
関連人物 | ジャクソン・ポロック、ペギー・グッゲンハイム |
クレメント・グリーンバーグ(1909年1月16日-1994年5月7日)はアメリカの批評家。
20世紀なかばのアメリカ現代美術に最も影響力を与えた美術批評家として知られる。代表著書は『アヴァンギャルドとキッチュ』。芸術がアヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(俗悪なもの)に分類し、近現代美術は消費社会によって引き起こされた大衆文化に抵抗する手段であると書いた。
また、抽象表現主義運動を振興したことで知られており、ジャクソン・ポロックに対して最初に好意的批評を寄せた批評家の1人である。
略歴
幼少期
クレメント・グリーンバーグは、1909年にニューヨークのブロンクスで生まれた。両親はミドルクラスのユダヤ系移民で彼は3人兄弟の末の子だった。子どものときからグリーンバーグは本能的に絵を描くことが好きだったが、青年期になると文学に関心を移し始めた。
エラスムス高等学校を卒業後、シラキュース大学に進み、1930年に卒業。子ども時代からイーディッシュ語と英語の両方を流暢に使いこなせていたが、さらにイタリア語、ドイツ語、フランス語、ラテン語を独学で習得する。
次の数年間、グリーンバーグは父の衣料ビジネスに従事してアメリカ中を旅行することになるが、この仕事は性に合わなかったので翻訳業に転職。1934年に結婚し、翌年に長男をもうけるが妻とはすぐに離婚。その後グリーンバーグは連邦政府、民間サービス庁、退役軍人庁、1937年には税関鑑定庁などで務めた。
グリーンバーグは本格的に執筆活動を開始。小さな雑誌や文学誌に批評が頻繁に掲載されるようになる。
アヴァンギャルドとキッチュ
グリーンバーグの初期の批評は、おもに文学、舞台を中心に扱っていたが、1939年に突然、視覚芸術批評において最もよく引用される評論『アヴァンギャルドとキッチュ』の著者になった。この批評が初めて掲載されたのは、文学と政治の雑誌『パルチザン・レビュー』誌上である。
このマルクス主義の影響の強い批評で、グリーンバーグは、"アヴァンギャルド”とは批判的思考が中心になる啓蒙主義の産物であり、ブルジョワ社会の庇護の下に成立しているという。そして、資本主義と共産主義社会の両方において文化的退廃に抵抗するものだという。芸術家はマーケットや国に「金の臍の緒」のように不可避的に密着することになると主張しつつ、そのパラドクス性を認めている。
これに反して"キッチュ"は、ワーキングクラスの産業化や都市化の産物であり、ワーキングクラスの消費のために生産された缶詰のようなものである。キッチュ文化においては、最先端の前衛文化を楽しむための基礎的な教育は必要としない。
グリーンバーグは、本の中では絶えずキッチュを批判し、アヴァンギャルドを擁護する姿勢を見せている。これは『アヴァンギャルドとキッチュ』がもともと明らかに政治目的で書かれた批評であるためである。
ナチスドイツやソ連における近代美術の破壊や抑圧に対する批判文であり、ヨーロッパにおける全体主義的脅威の拡大やファシズムにを非難する文章だった。こうした背景のもと、グリーンバーグはキッチュ文化を攻撃していると見てよい。
「堕落し紛いもののアカデミズム文化を原料とするキッチュは鈍感な感覚を育てる。しかし、この鈍感さこそ利益の源泉である。キッチュは機械的であり一定の様式である。キッチュは他人の経験であり偽りの感情である。キッチュは様式によって変化するが、常に同じである。キッチュは渡したいの人生におけるあらゆる偽りの縮図である。キッチュは顧客からお金以外の何も生み出さない。」
グリーンバーグにとって、"アヴァンギャルド"はプロパガンダとして効果的に利用されるのはあまりに無垢であり、"キッチュ"は偽りの感情を奮起させるのに理想的なものだった。
なおグリーンバーグはドイツ語で"低俗"を意味する"キッチュ"を、文化の形式に当てはめた。