ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ / Vincent van Gogh
狂気と孤独が生み出した近代美術の父
概要
生年月日 | 1853年3月30日 |
死没月日 | 1890年7月29日 |
国籍 | オランダ |
表現形式 | 絵画、ドローイング |
代表作品 |
・星月夜 ・ひまわり ・ファン・ゴッホの寝室 ・医師ガシェの肖像 |
ムーブメント |
後期印象派、表現主義 |
関連人物 |
ポール・ゴーギャン、アンリ・マティス |
関連サイト |
・WikiArt(作品) ・The Art Story(略歴) |
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853年3月30日-1890年7月29日)はオランダの画家。後期印象派運動の中心人物。西洋美術史において最も有名で影響力のある芸術家の1人。近代美術の創設者とみなされており、20世紀初頭に出現した前衛芸術家たちに大きな影響を与えた。
わずか10年の創作期間のうちに約2100点以上の作品を制作。そのなかの約860点は油彩作品であり、フランスに滞在し、37歳で自殺するまでの約2年間のうちに短期集中的に制作された。風景画、静物画、ポートレイト、セルフポートレイトなどを大胆な色使いと表現主義的な筆致で描く画風が特徴。
上層中産階級の家庭で生まれたゴッホの子ども時代は、真面目で、大人しく、思慮深かったという。若い頃のゴッホはアートディーラーで、よくヨーロッパ中を旅してまわっていたが、ロンドンに移ったあとにうつ病を患うようになる。アートディーラーの仕事をたたんだあと、宗教に関心を移し、南ベルギーのプロテスタント宣教師となる。
その後も精神状態はよくならず病気と孤独に苛まれていき、1881年ごろから絵を描き始め、両親とともに暮らすようになる。この頃から弟のテオが経済的にゴッホの生活を支援することになり、二人は手紙で頻繁にコミュニケーションを行うようになる。
ゴッホの初期作品の大半は静物画か農民の生活を描いたものであるが、この頃は後期作品で見られるような鮮やかな色使いほとんど見られない。1886年にパリに移り、そこで印象派に反発する前衛芸術家のエミール・ベルナールやポール・ゴーギャンらと出会い大きな影響を受ける。彼らと出会ったことでゴッホの作品に新しい手法が絵画に取り入れられ、晩年の傑作で見られる鮮やかで大胆な色使いと筆致に変化した。
1888年にフランス南部のアルルに滞在しているときに完全にゴッホの代表的な絵画で見られる作風に変化。またこの時期にゴッホは主題をオリーブの木、糸杉、小麦畑、ひまわりなどへ広げる。
しかし、アルル滞在時にゴッホの精神状態は悪化。精神病や妄想で苦しみ始める。ゴッホは健康を無視し、過剰なアルコールを摂取や不摂生な食生活をしていたという。友人のゴーギャンと喧嘩をした後、ゴッホはカミソリでゴーギャンを切りつけようとするが、自分の左耳の一部を切り落とす。さらにその肉片を封筒に包み、行きつけの売春宿に持っていき、娼婦レイチェルに渡した。その後、ゴッホはサン・レミにある精神病院で過ごすことになる。
パリ近郊のオーヴェシュール・オーワーにあるオーベルジュ・ラヴォーに移った後、ホメオパシー医者のポール・ガシェのもとで治療を受ける。しかし、ゴッホのうつ病は深刻化していき、1890年7月27日拳銃で自分の胸を撃ち、2日後に死去。
ゴッホが生存中は、ほぼ無名のままで芸術家として成功することはなかった。自殺後にゴッホは「狂気と想像力が芸術を養う」といった典型的に誤解されたキャッチで公に宣伝され知られるようになる。ゴッホが美術史の文脈で評価されるようになるのは20世紀初頭で、彼の画風はアンリ・マティスを中心としたフォーヴィズムやドイツの表現主義に直接大きな影響を与えた。