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【完全解説】マリー・ローランサン「日本で最も人気の高い女性前衛芸術家」

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マリー・ローランサン / Marie Laurencin

日本で最も人気の高い女性前衛芸術家


マリー・ローランサン「キス」(1927年)
マリー・ローランサン「キス」(1927年)

概要


生年月日 1883年10月31日
死没月日 1956年6月8日
国籍 フランス
表現形式 絵画、ドローイング、版画
ムーブメント キュビスムエコール・ド・パリ
関連人物 パブロ・ピカソジョルジュ・ブラック
関連サイト

WikiArt(作品)

マリー・ローランサン(1883年10月31日-1956年7月8日9はフランスの画家。セクション・ドールやピカソ、ブラックと関わりのあるキュビストとしてパリ前衛芸術シーンの重要な画家として評価されている。

 

ソニア・ドローネーやマリー・ボロビーフ、フランシスカ・クラウゼンと並んで女性キュビストの一人として知られる。初期作風は、特にジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソが大きな影響を受けている。

 

パステル調のカラーや曲線的な形態の女性的な芸術の追求をしていくうちに、キュビスムの作風に合わなくなりグループから脱退。その後は、独特な抽象絵画をともなった女性ポートレイトや女性グループの注文絵画を描き、エコール・ド・パリの女流画家として活躍。死ぬまでフェミニンをテーマにした作品制作を探求した。

 

そのパステルカラー調とおだやかな作風から、日本人受けする前衛芸術家の一人である。いわさきちひろの絵と似ているが、いわさきの画家としての活動の原点が彼女でとされている。

略歴


キュビスムの作家


ローランサンはパリで私生児として生まれ、母の手によって育てられる。結婚の時期をのぞいて生涯の大半を母と過ごしている。父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレとされている。18歳のとき彼女はセーブルで中国の陶芸用装飾絵画を学ぶ。その後、パリに戻りハンバート大学に入学して油絵を学んだ。

 

20世紀初頭、ローランサンはパブロ・ピカソのサークルと、ジャン・メッツァンジェ、アルベール・グレーズ、ロベール・ドローネーらのキュビスムグループ「セクションドール」の両方に顔を出し、1910年から1912年にかけてサロン・デ・アンデパンダンで作品を出品している。

 

詩人のギヨーム・アポリネールと恋愛関係になり、アポリネールのミューズとされていた。一方、ローランサンはアメリカ駐在員でレズビアン作家のナタリー・知るフォード・バーニーのサロンに出入りしており、彼女はヘテロセクシャルでありレズビアンだったという。

マリー・ローランサン「アポリネールと彼の友人」(1909年)
マリー・ローランサン「アポリネールと彼の友人」(1909年)

エコール・ド・パリの女流作家として売れっ子に


1912年に初個展を開き評判になるとキュビスムの作風から脱し、エコール・ド・パリの画家として活躍し始める。

 

1914年にドイツ人男爵オットー・フォン・ウェチュンと結婚。第一次世界大戦が勃発すると、ローランサンはフランスを去り、ドイツ人の夫とスペインへ避難。結婚して国籍はドイツ人になっていたので彼女はフランス市民権を喪失することになった。その後、2人はデュッセルドルフに住むことになる。

 

1920年に2人は離婚すると、パリへ戻り1930年代の世界大恐慌まで芸術家として活躍する。パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行になるなど、売れっ子画家になった。離婚とともに、この頃からフェミニン的な作風やレズビアン的な作風が強くなる。

 

大恐慌後は彼女は美術教師として民間学校で働いた。その後、彼女は死ぬまでパリで過ごした。

マリー・ローランサン「マドモアゼルシャネルの肖像」(1923年)
マリー・ローランサン「マドモアゼルシャネルの肖像」(1923年)

日本で人気の高い前衛芸術家


ローランサン作品の人気が高い国といえば日本である。長野県茅野市の蓼科湖畔にあったマリー・ローランサン美術館は、世界でも唯一のローランサン専門の美術館であった。館長の高野将弘が収集した個人コレクションをもとに、ローランサンの生誕100周年にあたる1983年に開館。収蔵点数は500点余りを数えたが、観光客減少のため2011年9月30日をもって閉館した。

 

日本で最もローランサンの影響を強く受けた画家といえばいわさきちひろである。1969年の展覧会には、ちひろも足を運んでいる。翌年、ローランサンの絵に寄せて、次の文章を書いている。

 

「少女雑誌の口絵かなんかで、はじめてローランサンの絵を見たときには、本当におどろいた。どうしてこの人は私の好きな色ばかりでこんなにやさしい絵を描くのだろうかと。(いわさきちひろ)」

 

ちひろがローランサンの絵を初めて知ったのは、女学生の頃だった。1933年、14歳のときに、ちひろは岡田三郎助に師事し油絵の勉強を始め、1936年には、朱葉会女子洋画展に入選を果たす。この同じ年に、日本でローランサンの詩画集が刊行されている。

 

画家を夢見ていたちひろは、おそらくこの本を手に取り、ローランサンに強い憧れを抱いたという。軍靴の足音が響く時勢のなかで、ローランサンの描く夢のような絵はちひろにとって深い慰めだったという。



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