アレクサンドル・スタンラン / Alexandre Steinlen
猫と少女の組み合わせ
概要
生年月日 | 1859年11月10日 |
死没月日 | 1923年12月13日 |
国籍 | スイス、フランス |
職業 | 画家、彫刻家、イラストレーター、ポスター作家 |
ムーブメント | アール・ヌーヴォー |
テオフィル・アレクサンドル・スタンラン(1859年11月10日-1923年12月13日)はスイス生まれ、フランスのアール・ヌーヴォー画家、版画家。絵に多く見られるモチーフは、彼が大好きだった猫で少女と一緒に描かれる事が多い。
スタンランはローザンヌ郵便局に務める父サミュエル・スタンランの子どもである。もともとドイツ出身の家系だが祖父の代にブルジョア階級にになり、1831年にスタンラン一家はスイスへ移った。
スイスローザンヌで生まれたスタンランは、ローザンヌ大学卒業後、フランス東端にあるミュルーズへ移動し、テキスタイル工場でデザイナーの職業訓練積むことになる。この頃まだ20代前半で、スタンランは画家としては見習いだった。
その後、スタンランと彼の妻エミリアはパリで1881年に出会い結婚。画家のフランソワーズ・ボシオンからパリのモンマルトル地区にある芸術コミュニティに参加するようすすめられパリへ移る。そこでスタンランは画家のアドルフ・ウィレットと親交を深め、ウィレットからキャバレー「黒猫」のオーナーや芸人や歌手たちを紹介してもらい、ポスター作成の仕事を受注することになった。これをきっかけに、スタンランはポスターデザイナーとしてキャリアを積み始める。
1890年代初頭、スタンランは風景画や植物画をサロン・ド・アンデパンダン展に出展する。1895年に制作したリトグラフ作品『歌手街』は、ポール・デルメのベル・エポックの歌につけられた16の書き下ろしのリトグラフを集めた本の口絵に使われた。
スタンランが死ぬまでずっと住んだモンマルトルとその周辺の風景は生涯通じて、好んだ場所で、よくその地域の貧しい生活の一面を絵に描いていた。絵画やドローイングに加えて、彫刻も少し作っていた。
スタンランは『Le Rire』や『Gil Blas』といった雑誌の仕事も始めるようになり、1883年から1920年の間に膨大な数のイラストレーション仕事をこなした。当時スタンランは、政治的問題に関心をもっており、政治的問題を避けるために匿名で社会悪を批判した作品もたくさん制作した。
1923年にパリで死去。モンマルトルにある聖ヴィンセント墓地に埋葬された。現在彼の作品はロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館やアメリカのワシントンDC州にあるナショナル美術館をはじめ世界中の多くの美術館に所蔵されている。