退廃芸術 / Degenerate art
ナチスによって弾圧された近代美術
概要
退廃芸術とはドイツのナチス政権が近代美術に対して名付けた造語である。国内における非ドイツ的、ユダヤ系、共産主義的な芸術は禁止され、退廃芸術家に指定された人たちの活動は制限された。制限を受けたものは芸術家だけでなく、美術学校で教鞭をとるものや画商など近代美術関係者全体に及んだ。
1937年にはミュンヘンで、ナチス政権企画のもと『退廃芸術展』というタイトルで展覧会が開催。押収された近代美術が一斉に展示され、各作品を嘲るテキストラベルが付けられた。モダニズムへの批判を一般大衆に煽るよう設計された展示構成になっており、その後、ドイツの各都市やオーストリアで巡回展示が行われた。
近代美術が制限される一方、ナチス政権は近代美術以前の伝統的な絵画や彫刻を奨励、また人種差別主義やナショナル・ロマンティシズムに価値を置く『血と土』、軍国主義、従順性などの思想を国民に広く推し進めた。
退廃芸術による表現の規制は音楽にも及んだ。ジャズなどの黒人音楽、社会主義者やユダヤ人の作る音楽、そして実験的な近代音楽・現代音楽は「退廃音楽」として規制された。映画や演劇も同じく規制された。
近代美術への反発
20世紀初頭は芸術における大変革の時代だった。視覚芸術においては、フォーヴィスム、キュビスム、ダダ、シュルレアリスム、象徴主義、後期印象派のような絵画が発明され、ドイツでもおおいに発展したが、普遍的には受け入れられることはなかった。
ドイツの一般市民のあいだでも、他のヨーロッパの地域と同様に、エリート主義者、倫理的に問題のある人、理解不可能な者として嫌われていた人たちの間で好まれている前衛芸術にはあまり興味はなかった。
ただし、1920年代のワイマール政府のドイツは前衛芸術の中心的な場所として活気はあり、ポール・ヒンデミットやクルト・ウィールのジャズやアルノルト・シェーンベルクの前衛音楽に影響を受けて、絵画や彫刻においても表現主義が生まれた。映画においてもロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』(1920年)やF・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)といった表現主義の作品が生まれた。
ナチス政権はこのようなワイマール時代に発展した前衛文化を嫌っていた。ナチスは部分的に保守的な美術的価値が基盤にあり、また宣伝道具として芸術を利用することしか考えていなかった。両方の面で新即物主義の画家のオットー・ディクスの《傷痍軍人》のような作品はナチスたちにとって忌まわしいものだった。
この作品は、ベルリンの通りによく似た背景で第一次世界対戦の4人の退役軍人たちをグロテスクに描写したもので、敗戦国ドイツの醜悪さ、悲惨さを暴きだし、社会告発を行ったものであるが、オットーの作品はのちに頽廃芸術展でクローズアップされ非難された。
独裁者ヒトラーはこれまで見られなかったほどの法律の力で文化統制を始めた。社会主義リアリズムが義務的なスタイルだったスターリン体制のソ連においてでも、近代国家は表現の規制に関心を示していた。ドイツの場合、ヒトラーによって古代ギリシアやローマ芸術が美術的価値の規範とみなされるようになった。
美術史家のヘンリー・グローシャンズは、ヒトラーは古代ギリシアやローマの古典的芸術がユダヤ人前衛芸術によって汚染されているという。近代美術はドイツ人の魂に反するユダヤ人による暴力的な芸術行為とみなしていた。
マックス・リーバーマンやルートヴィヒ・マイトナー、オットー・フリードリッヒ、マルク・シャガールといったドイツの近代主義運動に多大な貢献をしたユダヤ人でさえもヒトラーにとっては非難対象となる芸術家だった。自身の退廃理論を伝えるために、ナチスは反ユダヤ主義運動と文化支配を結合させたキャンペーンを公的に支援した。
「頽廃」とは
「頽廃」という用語は、19世紀後半に批評家のマックス・ノルダウが1892年の著作『頽廃論』で発表した理論から由来している。ノルダウの理論は犯罪学者のチェーザレ・ロンブローゾが1876年に出版した『犯罪人論』をヒントにして発展させたものだった。
ロンブローゾは異常な身体的特徴を科学的知見から調査することにより、隔世遺伝的に犯罪を起こしてしまう「生まれながらの犯罪者」が存在することを証明しようとしたが、ノルダウはこのロンブローゾの『犯罪人論』の理論を近代美術の批評に組み入れた。近代社会の生活によって精神的に衰弱した芸術家たちの作品は、首尾一貫した作品制作をするための自己管理能力を喪失していると批評。
特に英文学における耽美主義、フランス文学における象徴主義運動の中の神秘主義的表現、また絵画では印象派の作風は視覚皮質の病気の兆候であり、これらの芸術は近代生活もたらした頽廃であると攻撃し、その一方で伝統的なドイツ・ロマン主義を賞賛した。
ノルダウはユダヤ人であり、シオニスト運動の中心的人物であったという事実にも関わらず、皮肉なことにのちにナチスに大きく取り上げられることになり、前衛芸術は近代社会において堕落した文化であり、ドイツ芸術における人種的純粋さを取り戻すための議論の基礎となった。
神秘的、道徳的、農村的、古代の知恵、悲劇的運命に直面している貴族といったように定義されたゲルマン人の魂における信念は、ナチス台頭以前からずっと存在していた。音楽家家のリチャード・ワーグナーは作品でそのような精神を奨励した。
アドルフ・ヒトラーの芸術的価値の基礎となったのは芸術評論家・建築家のパウル・シュルツェ=ナウムブルクである。彼は古代ギリシアや中世こそがアーリア人芸術の源泉であるとし、ユダヤ人やスラブ人の近代美術や近代建築を非難した。
彼は人種的に純粋な芸術家のみが時代を超えて古代の理想的な美を享受し、健康的な芸術を制作できると主張した。その一方で人種的に混じった近代芸術家は、無秩序な作品や歪んだ奇形的な人間の表現(ドイツ表現主義など)を行なうと指摘し、そうして近代美術は人種的に不純であると結論づけた。
アルフレート・ローゼンベルクとその機関(「ローゼンベルク機関」や、「ドイツ文化のための闘争同盟」など)はドイツ文化の純粋化と退廃芸術を一掃のするために大きな役割を果たした。ローゼンベルクは退廃芸術の理論を、1930年に発行した大ベストセラー『二十世紀の神話』で初めて使用した。