ルイス・キャロル / Lewis Carroll
少女写真を撮り続けた「アリス」の作者
概要
生年月日 | 1832年1月27日 |
死没月日 | 1898年1月14日 |
表現媒体 | 詩、写真 |
関連サイト | ・ルイス・キャロルが撮影した子どもの写真 |
チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832年1月27日-1898年1月14日)は、イギリスの作家、数学者、写真家、理論家、詩人。一般的には『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』で使ったペンネームのルイス・キャロルという名前でよく知られている。
ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは、かなりの腕前のアマチュアの写真家で、写真史にもその名前を残している。ドジソンは写真湿板という写真撮影に優れており、アマチュアながらも腕前はかなり高かった。
生涯に3000枚以上の写真を撮影してプリントしているが、現存しているのは1000枚程度で、その半分以上が少女を撮影したものだという。
また、ジョン・エヴァレット・ミレー、エレン・テリー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなど多数のイギリス上流階級の著名人の肖像写真を撮影している。
略歴
1856年ドッドソンは叔父のスケフィントン・ラトウィッジの影響で写真に興味を持ちはじめ、その年の3月18日にオックスフォードの友人であるレジナルド・サウジーとともにカメラを購入し、写真撮影を始めるようになる。
写真を始めるとすぐに、ドジソンは宮廷写真家として知られるようになり、その腕前の高さから、アマチュアながらも非常に早い段階から写真で生計を立てる考えもあったほどだという。
現存している彼が撮影した全写真を徹底的にリスト化したロジャー・テイラーやエドワード・ウェイクリングの研究『Lewis Carroll, Photographer』(2002年)によれば、半分以上が少女を撮影したものだという。カメラを入手した1856年にチャールズは、一連のアリス・シリーズのモデルであるアリス・リデル(当時4歳)の撮影を行っている。少女以外の写真では、男性、女性、少年、風景を撮影したものが大半で、サブジェクトとして骸骨、人形、犬、彫像、絵画、木などがよく撮影されている。
ドットソンの子どもの写真は、保護者同伴で撮影されている。写真の多くは日当たりの良いリデル・ガーデンで撮影されている。ドットソンのお気に入りの少女はエクシー(Xie)ことアレクサンドラ・キッチンだった。エクシーが4歳から16歳までの期間にわたり、約50回の撮影を行っている。
ドットソンはまた、写真撮影技術は上流階級のサークルに入るのに非常に有用であることが分かる。人生で最も生産的だった時期にドッドソンは、ジョン・エヴァレット・ミレー、エレン・テリー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジュリア・マーガレット・カメロン、マイケル・ファラデー、ロバート・ガスコイン=セシル、アルフレッド・テニスンなど多数の上流階級の著名人の肖像写真を撮影している。
1880年にドッドソンが写真撮影をしなくなるまでに、クライスト・チャーチの中庭には彼自身の写真館を持ち、約3000枚の写真を現像し、これらの写真の内、1000枚足らずが破損を免れて現存している。アマチュア写真の巨匠として知られるようになった。
破棄された写真のなかには、チャールズは少女たちのヌード写真も多数撮影したと考えられているが、それらの写真の大半はチャールズの存命中に破棄されたか、モデルに手渡されて散逸したと推測されている。これらのヌード写真は長い間失われていたと考えられていたが、6枚が発見され、その内の4枚が公開されている。
1870年代に素早く写真を現像するためドジソンは写真湿板を使い始めた。写真湿板はそれまでダゲレオタイプと同じ画質ながら、安価であり、1枚のネガから何枚もプリントでき、感度が高く露光時間が短かった。写真湿板はこれまでのダゲレオタイプやカロタイプを駆逐し、写真制作の主要な手段となった。
写真湿板の制作過程は油彩絵画の制作と似ており、器用さや化学的知識を必要とし、不適切な使い方をするとすぐに腐食してしまうという。
モダニズムの発展とともに大衆の興味に変化が生じると、ドッドソンが撮影した写真は人気が出始めるようになった。
■参考文献
・Lewis Carroll’s Photographs of Alice Liddell, the Inspiration for Alice in Wonderland | Open Culture