記憶の固執 / The Persistence of Memory
硬いものと柔らかいものへの両極への執着
サルバドール・ダリの最も有名な作品といえば、溶けて柔らかくなった時計が描かれた《記憶の固執》。ダリの初期作品であり、ダリ自身のアイデンティを最もよく表現した傑作である。また、あり得ないモチーフを組み合わせて非現実的な絵画を制作したシュルレアリスムの代表的作品でもある。ダリが表現したかったことや美術史における意義を解説しよう。
概要
作者 | サルバドール・ダリ |
制作年 | 1931年 |
メディウム | 油彩、キャンバス |
サイズ | 24 cm × 33 cm |
コレクション | ニューヨーク近代美術館 |
《記憶の固執》は、1931年にサルバドール・ダリによって制作された油彩作品。ダリ初期の作品であり、ダリの代表作である。《記憶の固執》は「柔らかい時計」や「溶ける時計」と呼ばれることもある。現在本作は、ニューヨークにあるニューヨーク近代美術館に収蔵されている。
本作が初めて展示されたのは1932年。場所はニューヨークのシュルレアリスム専門の画廊ジュリアン・レヴィ・ギャラリーである。1934年に匿名の人物によりジュリアン・レヴィ・ギャラリー経由でニューヨーク現代美術館に寄贈された。
公式サイトに解説もあるので英語が得意な人は参考にしよう。
硬いものと柔らかいものへの執着
この作品はいったい何がいいたいのか?
記憶の固執の要点は3点に絞ることができる。
- 柔らかいものと硬いものという対極のある状態の同時表現
- ダリの性的な不安を表現している
- あるものがあるものに見えるように描く偏執狂的批判的方法の使用
《記憶の固執》の中で描かれている「溶けている時計」は、ダリによれば、キッチンでガラが食べていたカマンベールチーズが溶けていく状態を見てインスピレーションを得て、描こうと思ったという。基本的な創作源泉はこれのみである。
彼がインスピレーションを得た理由は、ダリの哲学や生い立ちを調べることで、ある程度、推測することはできる。 ダリの芸術哲学の中心には、ダリ自身が何度も主張しているが「柔らかいもの」と「硬いもの」という両極への執着がある。そうした「硬いもの」と「柔らかいもの」という両極に対する執着がひとつの画面に圧縮された作品だとされている。
ダリにおける固定化したもの(硬いもの)の解体(柔らかいもの)という並列表現は、ほかに「宇宙象」や「カタツムリと天使」など、さまざまな作品で見られる。
美術批評家の澁澤龍彦のダリについてこう批評している。
「ダリのなかには、おそらく、形のはっきりした堅固なものに対する知的な執着と、形のさだまらないぐにゃぐにゃしたものに対する無意識の執着との、奇妙なアンビバレンツ(両極性反応)が潜在しているのにちがいない(澁澤龍彦)」
硬いものと柔らかいものとは何?
ダリはなぜ、「硬いもの」と「柔らかいもの」に執着していたのだろうか。少し下世話な話になるが正直いえば、ダリは幼少の頃からずっと女性に対する性的恐怖心が強い男性だった。ダリは子どもの頃、父親に梅毒の写真を見せられ、セックスに対する恐怖心を受け付けられたという。
このようなトラウマで、ダリはインポテンツだったといわており、彼の「硬いもの」と「柔らかい」ものへの執着は、インポテンツ問題が根底にあるといわれている。ダリのインポテンツや性的恐怖を表現する作品は、ほかには《カタルーニャのパン》や《大自慰者》でも見られる。
偏執狂的批判的方法で表現
この絵が絵が描かれる前年に、ダリは自身の芸術創造の基盤となる表現「偏執狂的批判的方法」を確立させた。偏執狂的批判的方法とは“あるモノがあるモノにダブって見える”状態を視覚化した表現である。ダリは「進行する時間」と「溶けていくカマンベールチーズ」が同じように見えていたという。
時空の歪み
美術批評家からよく言われるのが「記憶の固執」は時空の歪みを表現しているという指摘である
ダリはアインシュタインの「一般相対性理論」の理論を作品に取り入れていると、多くの批評家に指摘されている。美術史家ドーン・エイズによれば「記憶の固執」は時空のひずみを象徴しており、さまざまな停止した状態の時間(現在の時間、過去の時間)を同時に描いているという。
画面には時計が3つある。しかし、3つの時計の時間は異なってる。つまり、絵の中の世界は、現在の記憶と過去の記憶が入り乱れる夢の時間の状態、無時間を表現しているという。このような批評が出てきたのは、おそらくダリがシュルレアリスム運動に参加しており、シュルレアリスム理論が根底にあるためだろう。
物理学者のイリヤ・プリゴジンが実際にダリに問いただしたところ、ダリ自身は相対性理論には影響を受けておらず、あくまでカマンベールチーズが溶けていく様子を見て閃いた絵だという。
中央の白い謎の生物は何?
「記憶の固執」で気になるのが中央に配置されている餃子の皮のような白い謎の生物である。この謎の白い生物は、同じ年、1929年に描かれた《大自慰者》であり、大自慰者とはダリ自身の自画像である。この自画像はダリの作品のいたるところに現れる。ダリの自画像である白い生物(大自慰者)は目を閉じて眠っています。おそらく夢を見ているのだろう。
「記憶の固執」では、ゆっくりと溶けていくカマンベールチーズと大自慰者(ダリ)を同一視しているようなところが見られる。 なぜ、ダリは溶けていくカマンベールチーズと自分自身と思ったのだろうか。
「溶けていく」という動作は、ダリにとって「衰える」「崩壊する」「柔らかくなる」などネガティブな状態を象徴である。一方、ダリにとって「硬いもの」「硬くなっていく」という動作は好意的なものでポジティブな状態を象徴しているという。
実際、ダリが好きな食べ物は固定した形のもので、硬いものだったという。具体的にはロブスターや貝などの硬い性質をもった甲殻類が好きだったという。反対に嫌いなものはホウレンソウなど柔らかいものや無定形なものだったという。
ダリが柔らかいものが嫌いな理由の1つは、その全く無定型な性質が苦手だったといわれるが、ほかにダリには性的不安があったためといわれる。
柔らかいものと硬いものの狭間で感情が激しく揺れ動くなか、一番自分にぴったりの食べ物と感じたのが、陽光を浴びていく溶けていくカマンベール・チーズだったという。
背景は故郷カタルーニャ
画面右上に描かれているごつごつした岩の多い場所は、故郷スペイン、カタルーニャ、カダケスにあるクレウス岬である。ダリ作品に現れる多くの風景は、カタルーニャから影響を受けている。
「記憶の固執の崩壊」
1954年にダリは「記憶の固執」を基盤としたリメイク作品「記憶の固執の崩壊」を制作している。オリジナルの違いとしては、まず背景の海岸が前作よりも前に寄せており、浸水した状態になっていることである。主題となる「崩壊」を浸水で表現しており、つまり、故郷カダケスの風景は浸水状態にあるという。
中央の白い物体はオリジナルよりも透明状のゼラチン状となり、その上方に魚が並置されている。オリジナル版では魚は描かれていなかったが、ダリによれば「魚は私の人生を象徴するものだ」と語っている。
ポップカルチャーと柔らかい時計
『記憶の固執』は芸術業界だけでなく、大衆文化のなかによく現れる。TV番組では『シンプソンズ』『フューチュラマ』『ヘイ・アーノルド!』『ドクター・フー』『セサミストリート』で現れる。映画では『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』、マンガでは『ファー・サイド』、ゲームでは『MOTHER2 ギーグの逆襲』『クラッシュ・バンディクー2 コルテックスの逆襲!』などで現れる。