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マッジ・ギル

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マッジ・ギル / Madge Gill

迷宮の女主人


概要


マッジ・ギル(1882-1961)はイギリスのアウトサイダー・アーティスト。

 

世界で最も有名なアウトサイダー・アーティストの1人とみなされており、スイスのアール・ブリュット・コレクションやリール近代美術館をはじめ、多くの美術館に作品が収蔵されている。

 

オンラインでは彼女のドローイングは395£〜3200£で取引されている。

 


略歴

画家になるまで


ロンドンのイーストエンドで私生児として生まれる。出生証明書では母親の名前エマ・イーズをとってモーデル・エセル・イーズとなっている。父親の名前は不明。

 

ビクトリア王朝時代のイギリスはまだ保守的で、私生児を持つ家庭は恥ずべき存在とみなされていた。そたのめ、マッジは母方の祖父の厳しい監視下のもと、母親と叔母のキャリーらと世界から隔離した人里離れた場所で年の大半を過ごす。

 

まだ母親が生存中でもあるにも関わらず、恥ずかしさ耐えられなくなった祖父は、マッジを9歳のときにバーナルド孤児院に強制的に入れる。5年間孤児院で過ごした後、孤児院が計画した大規模な児童労働計画にそって、数百人の子どもたちともに新世界のカナダに強制移住。10代のマッジはオンタリオ州の農場で奴隷のベビーシッターになった。当時はマッジのような若い移民奴隷は虐待されることが一般的だったという。

 

18歳のとき、無事大西洋をわたってロンドンに戻ると、マッジは叔母のケイトと暮らしはじめ、またホイップス・クロス・ユニバーシティ病院で看護婦として職を見つける。叔母からスピリチュアルや占星術を教わるようになる。

 

1907年に25歳で、叔母のケイトの息子で従兄弟にあたる投資家のトーマス・エドウィン・ギルと結婚。しかし結婚生活はおもわしくなく、二人の関係はよくなかった。6年間で二人は三人の子ども(ローリー、レジェ、ボブ)に恵まれるが、二人目の子レジェはスペイン風邪で1918年に死去。翌年にマッジは奇形の女の子を死産する。またマッジ自身も危篤状態に陥いり、突然目が見えなくなり、数ヶ月寝たきり生活を送り、義眼を付けるようになる。(続く)


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