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【作品解説】フランシスコ・デ・ゴヤ「裸のマハ」

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裸のマハ / The Nude Maja

西洋美術史で最初のヘアヌード絵画


《裸のマハ》1797-1800年
《裸のマハ》1797-1800年

概要


作者 フランシスコ・デ・ゴヤ
制作年 1797-1800年
メディア 油彩
サイズ 97 cm × 190 cm
所蔵者 プラド美術館

《裸のマハ》は1797年から1800年にかけてフランシスコ・デ・ゴヤによって制作された油彩作品。裸の女性がベッド上の枕に寄りかかった姿を描いたもので、おそらく当時のスペインの首相マヌエル・デ・ゴドイから注文で制作されたプライベート注文絵画である。

 

ゴドイが蒐集していた絵画の中で本作は、もともとは自宅の玄関前に飾られていた。ただ、《裸のマハ》を隠すように《着衣のマハ》が前面に吊り下げられており、滑車式の吊り下げ機械を使っていつでも公開できるようになっていた。

 

その後、ほかの作品と別の場所で飾られていたという。ゴヤはほかに《裸のマハ》と同一の女性とポーズのペア絵画を制作してる。今日、その作品は《着衣のマハ》として知られており、タイトルが示す通り着衣しているバージョンである。ともにプラド美術館が所蔵しており、《裸のマハ》と並べて常設展示されている。

 

「マハ」とは特定の女性の名前ではなく、スペイン、特にアンダルシア地方の民族衣装を着た女性のことを意味する。18世紀には、上流階級の女性がこのような民族衣装を着ることを好んだ。《着衣のマハ》で着衣している衣装がマハの民族衣装である。

 

《裸のマハ》は、西洋美術史において、寓意性や神話的な意味をともわない形で制作された最初の卑俗的で具象的な女性ヌード絵画であり、最初のヘアヌード絵画である。売春婦のような明らかにネガティブな意味あいもない。

 

ゴヤは本作品でカトリック教会を狼狽させたが、一般大衆に歓迎され当時の芸術的地平を拡大させた。現在は本作品は1901年からマドリードのプラド美術館が所蔵している。

《着衣のマハ》1800-1805年
《着衣のマハ》1800-1805年

伝統的裸体画とのちがい


マハの2作品は同じサイズだが、着衣のマハのほうが絵画領域がわずかに大きい。美術史家のジャニス・A. トムリンソンによれば、比較的臆病さや羞恥的であったり、どちらかといえばネガティブな側面を見せるこれまでの裸体絵画に比べて、本作は大胆で勇気を持って裸をさらしている。

 

本作はスペイン美術における裸体描写における多くの伝統を受け継いでいるものの、特に鑑賞者を真っ直ぐ見つめる大胆な視線は、これまでの伝統をはっきりと覆している

 

さらに、現代のドレスを着た女性が描かれたペア作品《着衣のマハ》は、作品の焦点がこれまでのように神話や聖書ではなく現代の俗的な世界であることを表現している。

 

たとえば、ローマ神話を主題としたベラスケスの《鏡のヴィーナス》の裸体画とはまったく別の表現である。ベラスケスの絵画は明らかにローマ神話のヴィーナスを描いたもので、また背中を向けており、ゴヤの正面を向いて鑑賞者を見つめる裸体画とは異なるものである。

ディエゴ・ベラスケス《鏡のヴィーナス》
ディエゴ・ベラスケス《鏡のヴィーナス》

裸のマハのモデルは?


モデルははっきりしていないが、1797年時のゴドイの若い愛人ペピータとみなされている。

 

また、ゴヤのパトロンとして有名で、アルバ公の館にアトリエを提供していたマリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレドと見なされることもある。ゴヤは彼女と恋愛関係にある、1795年と1797年に2度肖像画を描いたとされている。

 

しかし、どちらも決定的といえず、実際は複数の女性を合成して理想化されたヌード画とも考えられている。

《マリア公爵夫人》1795年
《マリア公爵夫人》1795年
ペピータ
ペピータ

マネの《オリンピア》や近代美術の影響


本作品はのちに多くの芸術家に影響を与えている。たとえば、印象派の先駆けとなるエドゥアール・マネの《オランピア》は《裸のマハ》を基盤にして制作している。近代美術史にはじまりをゴヤの《裸のマハ》からであると主張する美術史家も多い。

エドゥアール・マネ《オランピア》1863年
エドゥアール・マネ《オランピア》1863年

現在はプラド美術館が所蔵


《裸のマハ》はいつも《着衣のマハ》と一緒にかけられていた。1808年から1813年までサンフェルナンド王立アカデミーが所蔵し、1814年から1836年の異端審問の間は隔離保管され、その後またサンフェルナンド王立アカデミーに返還された。1901年からプラド美術館が2つの作品を保存している。今日、両作品は並べて展示されいてるが、相隔てつつ連続して鑑賞できるよう意図した展示構成となっている。

2つの作品はプラド美術館で鑑賞できる。
2つの作品はプラド美術館で鑑賞できる。


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