エブリン・ハッチ / Evelyn Hatch
キャロルのモデルで「少女たちへ」の編集者
概要
生年月日 | 1871年 |
死没月日 | 1951年 |
国籍 | イギリス |
関わりのある芸術家 | ルイス・キャロル |
編集書籍 | 『少女への手紙』 |
配偶者 |
エブリン・ハッチ(1871-1951年)はイギリス人女性。
チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロル)のミューズモデルとして知られている。彼女は姉ベアトリスやエセルと同じく、ドジソンの小児ヌードモデルとなった数少ない女性の1人。ドジソンの少女の関係において現代での議論の的にもなっている。
彼女はドジソン死後に刊行された、ルイス・キャロル著『少女への手紙』の編集者でもある。
略歴
幼少期
エブリン・モード・ハッチは、1871年父エドウィン・ハッチと母エブリン・ハッチのあいだに生まれた。父エドウィン・ハッチは神学者で、作家であり、オックスフォードのセント・メアリー・ホール副長だった。のちの教会師の講師になった。
エブリンにはベアトリスとエセルの二人の姉がおり、自身の名前は母にちなんで同じ名前を付けられた。ほかに彼女にはアーサー・ハーバート・ハッチという兄がおり、彼はモルバーン大学の学寮長になっている。ハッチの一家はエドワード・バーン=ジョーンズやアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン、ウィリアム・モリスといった一流芸術家と交流のあるサークルに入っていた。
家族は1867年に北オックスフォードのノアハム・ガーデンズのバーブリー・ロード沿いにゴシック様式の邸宅を建てて生活をしていた。近隣には生物学者のトマス・ヘンリー・ハクスリー一家や著作家家オルダス・ハクスリー一家が住んでいた。
エブリンはオックスフォード女子高校に進み、そこで彼女は演劇などの課外活動に参加した。1879年にエブリンはシェイクスピアの『夏の夜の夢』の演劇に参加し、蜘蛛の巣の妖精を演じた。
ルイス・キャロルとの関係
姉らと同じくエブリンもまたドジソンの「小さなお友だち」となり、ドジソンと親密関係を深め、ドジソンは彼女を撮影した。
なお、ドジソンはつねに上流階級の家族の子どもに限ってのみ関心を示し、決して下流階級の子どもとは親しくなろうとしなかった。エブリン一家は中流の上の階級で、家族ぐるみでドジソンと付き合っていた。
姉妹のなかでも、エブリンと長女のベアトリスが特にドジソンの少女写真におけるミューズ的存在で、ヌード写真まで撮影するほど親しい仲である。エブリンよりも、長女のベアトリスのほうがドジソンの長いお気に入りだったといわれている。下の寝そべったエブリンのヌード写真は彼女が8歳のときのものである。もちろん彼女たちの母親に事前にヌード撮影の許可を得ている。
ドジソンはエブリンにカードやクマのぬいぐるみ、オルゴール、などさまざまなプレゼントを贈っている。週末や一泊旅行やピクニックでドジソンがエブリンを連れて行くことは珍しくなかったという。