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【美術解説】アルノルト・ベックリン「「死の島」で知られる象徴主義の画家」

アルノルト・ベックリン / Arnold Böcklin

「死の島」で知られる象徴主義の画家


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《死の島》1880年
《死の島》1880年

概要


 

生年月日 1827年10月16日
死没月日 1901年1月16日
国籍 スイス
表現形式 絵画
ムーブメント 象徴主義
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アルノルト・ベックリン(1827年10月16日-1901年1月16日)はスイスの画家。象徴主義の画家。

 

ロマン主義やイタリア古典絵画に影響されたベックリンの絵画の多くは、ラファエル前派と同じく神話を主題とし、象徴主義の画家の1人として認知されている。ベックリン作品は古代建築構造(しばしば死への執着が見られる)を背景にして、神話的で幻想的な人物を描く。

 

代表作でよく知られている作品は《死の島》(1880-1886年)で、イタリアのフィレンツェにあるイギリス人墓地がモチーフになっている。その墓地はベックリンのアトリエの近くにあり、ベックリンの幼い娘マリアが埋葬されている場所でもあった。

作品解説


略歴


若齢期


ベックリンはスイスのバーゼルで生まれた。父クリスチャン・フレデリック・ベックリンはシャフハウゼンの名家出身であり、シルク貿易に従事していた。母ウルスラ・リッペはバーゼル出身である。

 

ベックリンはデュッセルドルフ大学に入学し、画家のヨハン・ウィルヘルム・シルマーのもとで学んだ。またこの頃にアンゼルム・フォイエルバッハと知り合う。なお、ベックリンは1830年代から1840年にかけて集まったグループ「デュッセルドルフ絵画スクール」のメンバーだった。

 

シルマーは、ベックリンを将来性抜群の生徒であると見込み、アントワープやブリュッセルへ送り、そこで、フラマン絵画やオランダ黄金時代の絵画の作品の模写訓練をさせる。その後、ベックリンはパリへ行き、ルーブル美術館で巨匠の美術を模写するなど訓練を積み、また、さまざまな風景画を描いた。

 

兵役が終わると、ベックリンは1850年3月にローマへ向かう。1853年ローマでアンジェラ・ローザ・ロレンザ・パスクッチと結婚。ローマで見たさまざまな光景はベックリンにとって新鮮で刺激的だった。これらローマ訪問時の影響は、寓意的な要素や神話的な要素を絵画にもたらすことになった。

 

1856年にミュンヘンに行き、4年間をそこで過ごす。

画家としてヨーロッパ中を移動


ミュンヘンでベックリンは初期作品の1つで古代神話を主題とした《グレート・パーク》を展示している。

 

この時代、1858年に《ニュンペーとサテュロス》、《英雄の風景》を制作し、1859年に《サッポー》なども制作している。これらの作品は反響を巻き起こし、フランツ・フォン・レンバッハの称賛を得て、またワイマール大学での教授職を得るきっかけともなった。その後、2年間ワイマール大学で教職を勤める。

 

1862年から1866年にローマに戻る。ローマはベックリンに空想的な要素や激しい色使いの遊びを取り入れさせる環境だった。

 

1866年にバーゼルへ戻り、ギャラリーでフレスコ画や絵画を制作する。1876年から1885年の間、ベックリンはフィレンツェに住む。フィレンツェ時代は円熟期で、『死の島』をはじめとする代表作がこの時期に生まれている。1886年から1892年までチューリヒに住む。

 

1892年以後はフィレンツェ近郊のサン・ドミニコに住んだ。1901年1月16日、イタリアのフィエーゾレで死去。アローリ福音墓地に埋葬された。




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