ポール・シニャック / Paul Signac
スーラとともに点描法を発展させた新印象派
概要
生年月日 | 1863年11月11日 |
死没月日 | 1935年8月15日 |
国籍 | フランス |
表現形式 | 画家 |
ムーブメント | 後期印象派、新印象派 |
関連サイト |
・WikiArt(作品) |
ポール・ヴィクトール・ジュール・シニャック(1863年11月11日-1935年8月15日)はフランスの画家。ジョルジュ・スーラとともに新印象派の画家として活躍したことで知られる。シニャックはスーラの点描主義を発展させた。
略歴
スーラととも新印象派で活躍
ポール・シニャックは1863年11月11日にパリで生まれた。彼は建築学を学んでいたが、モネの作品展示を鑑賞したあと、18歳で画家になることを決めた。
シニャックはヨーロッパ海岸を周り、そこで遭遇した風景を描いた。数年後、フランスの港町の水彩画シリーズを制作した。
1884年、シニャックはクロード・モネやジョルジュ・スーラと出会う。シニャックはスーラの体系的な描写方法や色彩理論に心を打たれ、スーラの忠実な支持者となり、また友人となり、彼とともに新印象派や点描方法を使った絵画を制作した。
スーラの影響のもとシニャックは印象派の短いストロークをやめて、小さな純粋色の点を計画的に画面に並置する点描を採用した。並置された点の集まりを遠くから鑑賞すると、網膜上で色が混合されて鮮やかな絵になるのが点描法の特徴である。
アンデパンダン展を設立、会長職へ
シニャックは、アルベルト・デュボイス・ピレット、オディロン・ルドン、ジョルジュ・スーラとともにアンデパンダン展(独立芸術家協会)の創設メンバーの1人となった。アンデパンダン展は審査も賞もなく、会費を払えば誰でも出展できる展覧会である。
保守的な審査のパリ・サロンに対抗して、1884年7月29日に創設された。それから30年間、アンデパンダン展は毎年開催され、20世紀初頭の芸術の傾向を知る重要なイベントとなった。
1905年のアンデパンダン展で、アンリ・マティスは原始フォーヴィスムとなる絵画《豪奢、静寂、逸楽》を展示。この絵画は1904年に点描方法を使って描かれた作品、輝かしい色使いが特徴である。
マティスは制作前に新印象派のアンリ=エドモン・クロスらとコート・ダジュールのサントロペで共同作業をしており、シニャックから提唱された点描法を用いて描かれたマティスの重要な作品の1つである。シニャックは本作品を1905年のアンデパンダン展後に購入した。1908年にシニャックは第24回アンデパンダン展の会長に選出された。
新印象派は次世代、特にアンリ・マティスやアンドレ・ドランに影響を与え、フォービスムの進化に決定的な役割を果たした。シニャックは1908年から死去するまでずっとアンデパンダンの会長として、フォービスムやキュビスムなど前衛的な作品を展示させ、若手芸術家たちを奨励した。マティスの作品を最初に購入したのもシニャックだった。
アナーキストとの関係
1886年、シニャックはエリゼ・ルクリュやピョートル・クロポトキンやジャン・グラーヴらアナーキズムコミュニティらの本を読んで、アナーキズムな思想を発見する。アンリ=エドモンド・クロスやマクシミリアン・リュス、カミーユ・ピサロらとともにジャン・グラーヴ編集の『Les Temps Nouveaux』に寄稿した
シニャックの1893年の作品《調和の時間》はもともと「アナーキーな時間」だったが、当時フランスにおけるアナーキストは政治的抑圧の対象になっていたので、ギャラリーに届ける前にタイトルを変更する必要があった。
セーリングによる旅行
シニャックの絵画の多くはフランスの海岸の風景である。特に水を描くのが好きだった。シニャックは夏になると首都パリを離れ、フランス南東部のサントロペのコリウール村に滞在し、家を購入して友人たちを招待した。
シニャックは1892年からセーリングによる旅行を始める。フランスのほぼすべての港、オランダ、果ては地中海のコンスタンティノーブルまで小さなボートで航行した。さまざまな港でシニャックは自然を素早くスケッチして、鮮やかでカラフルな水彩を描いて持ち帰った。
これらのスケッチと水彩をもとに、サントロペで購入した大きなアトリエで制作した絵画は、スーラから教えられた以前の点描とは異なる小さなモザイク状の四角の色の描かれた。