白貂を抱く貴婦人 / Lady with an Ermine
レオナルドのピラミッド型螺旋構図の代表作
概要
作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
制作年 | 1489-1490年頃 |
メディア | 油彩、木製パネル |
サイズ | 54 cm × 39 cm |
ムーブメント | 盛期ルネサンス |
所蔵者 | ポーランド・クラクフ国立美術館 |
《白貂を抱く貴婦人》は1489年から1490年ころにレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された油彩作品。現在ポーランドの国宝として指定されている。
描かれている人物は、当時レオナルドが奉仕していたミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾チェチリア・ガッレラーニで、ルドヴィーコの要請で描かれた。
本作品は《モナ・リザ》《ジネヴラ・デ・ベンチの肖像》《ミラノの貴婦人の肖像》とならび、わずか4点しか存在しないレオナルドの女性肖像画の1つである。
《白貂を抱く貴婦人》は1798年にポーランド貴族のイザベラ・チャルトリスカ・フレミングとその息子アダム・イエジィ・チャルトリスによってイタリアからポーランドへ持ち込まれる。
その子孫であるアダム・キャロル・チャルトリスキ王子が2016年12月29日にポーランドの文化国家遺産省に寄付した。
身体描写
半身像の絵で、身体は右方向を向いているが首は左に向かっている。レオナルドの作品でよく見られるピラミッド型螺旋の構図で、彼が生涯こだわっていた左へ振り向くという身体運動の力学が作品に反映されている。
斜め前から見た横顔の肖像は彼の多くの革新性の1つである。視線は鑑賞者の方には向けられず、絵のフレームを越えた「第三者」に向けられている。イルモーロの宮廷詩人ベルナルド・ベリンオーニは、当初チェチリアが絵には描かれていない話者の話を聞き入っているかのようだと表現した。
また、この作品は特に人間の形態描写におけるレオナルドの腕の高さを証明している。チェチリアの大きく広げた手は、指の爪の輪郭、こぶし周りのしわ、曲がった指の腱まで非常に緻密に描かれている。
モデルのチェチリア・ガッレラーニについて
チェチリアは1473年父ファツィオ・ガッレラーニと母マルゲリータ・ブスティのあいだに生まれた。ファツィオは外交官で、マルゲリータは成功した弁護士の娘である。チェチリアは16歳のころには教養豊かな美しい女性として評判だった。
1480年代後半、14〜5歳だったチェチリアはルドヴィコの愛人となる。だがこのとき、ルドヴィコはすでにフェラーラ公女ベアトリーチェ・デステと婚約していた。ベアトリーチェはわずか5歳で許嫁とされていた。
チェチリア自身も6歳のときにジョヴァンニ・ステファノ・ヴィスコンティとの結婚が決められていたが、ルドヴィコの愛人問題のためか1487年に相手から婚約を解消されている。
1490年後半、チェチリアはルドヴィコの子どもを身ごもる。翌1491年、ベアトリーチェが16歳になると予定どおりルドヴィコとベアトリーチェの婚礼が行われ、チェチリアは5月に息子チェーザレ・スフォルツァ・ヴィスコンティを産んだ。
数カ月後、ベアトリーチェはルドヴィコがまだチェチリアと会っているのを見つけ、強制的にチェチリアをベルクアミノという名前の地方の伯爵と結婚させて二人の関係を終わらせた。
額につけているヘアバンド、髪を覆う薄いベール、黒い琥珀ネックレスなどは当時の上流社会で流行したものである。ただし、彼女が来ているドレスは比較的シンプルなもので貴婦人でないことを示している。
左肩だけにマントをかける着こなしはスペイン風のものだという。
オコジョ(白貂)の解釈
抱いている動物は美術史家たちは長いあいだオコジョ(白貂)だと考えられているが、フェレットの説もある。なお、ダヴィンチ自身はこの動物をオコジョのつもりで描いていた可能性が高い。
なぜなら、オコジョはルネサンス期において、冬毛のオコジョは純白の毛皮を汚されるよりも死を選ぶと信じられていたため「純潔の象徴」とされている。オコジョのギリシア名は「ガレー」で、レオナルドはチェチリアの姓である「ガッレラーニ」と「ガレー」をかけてオコジョを描いている。
また、ルドヴィコは1488年にナポリ王から「レルメッリーノ(白貂)」の爵位をさずかってておりオコジョはルドヴィコを暗喩している。
なお、オコジョは当時の貴族の間でペットして飼われており、白い体毛は貴族の衣服の裏地に使われていた。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_with_an_Ermine、2019年8月22日アクセス