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【作品解説】レオナルド・ダ・ヴィンチ「ミラノの貴婦人の肖像」

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ミラノの貴婦人の肖像 / La belle ferronnière

フェロニエールの由来となった絵画


レオナルド・ダ・ヴィンチ《ミラノの貴婦人の肖像》1490-1496年ころ。Wikipediaより。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《ミラノの貴婦人の肖像》1490-1496年ころ。Wikipediaより。

概要


作者 レオナルド・ダ・ヴィンチ
制作年 1490-1496年頃 
メディア 油彩、木製パネル
サイズ 62 cm × 44 cm
ムーブメント 盛期ルネサンス
所蔵者 ルーブル美術館

《ミラノの貴婦人の肖像》は1490年から1496年ころにレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された油彩作品。62 cm × 44 cm。パリ、ルーブル美術館が所蔵している。《見知らぬ女性の肖像》という絵画名でも知られている。

 

この絵画の作品名「ラ・ベル・フェロニエール(La belle ferronnière)」は17世紀初頭に付けられたものでオリジナルではない。当初、描かれているモデルの女性はそのタイトル(「美しき金物商」)から金物商の娘もしくは妻だと考えられていた。

 

もしくは、フランスのフランソワ1世の愛人のマダム・フェロン(Le Ferron)とみなされていた。だが、この絵は1490年代なかばに完成しており、当時フランソワ1世はまだ生まれたばかりで、またレオナルドが庇護を求めてフランスに移るのは20年後のため、モデルをマダム・フェロンと特定するのは間違いである。

 

美術史家たちのあいだでは、彼女はミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人で、ベアトリーチェ・デステ妃の女官だったルクレツィア・クリヴェッリ説が有力となっている。彼女は《白貂を抱く貴婦人》のモデルのチェチリア・ガッレラーニの後釜として寵愛を受けた女性である。

 

なお、額に巻いている鉄製の細いバンドは現在ファッション業界では「フェロニエール」と呼ばれているが、この作品名から由来している。15世紀のミラノの女性たちのあいだではこうしたヘアバンドが流行していた。

 

肖像画にはフランドルの画家たちが始めた様式の影響が見てとれる。モデルの頭部と上半身だけ描き、両手は下部の手すりや欄干に隠れている。のちのレオナルド作品の特徴であるスマフート技法も少し見られる。




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