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【Artpedia】アート・オークション「オークション・ハウスで売買される芸術作品」

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アート・オークション / Art auction

オークションハウスで売買される芸術作品

ヨーク・アベニューにあるサザビーズ・ニューヨーク本社。
ヨーク・アベニューにあるサザビーズ・ニューヨーク本社。

概要


アート・オークション、またはファイン・アート・オークションとは、ほとんどの場合オークションハウスで芸術作品を売買することを意味する。

 

イギリスにおけるアート・オークションの歴史は競売人の名前がまだほとんど秘匿されていた17世紀後半までさかのぼる。

 

1693年6月、蒐集家で作家のジョン・イーヴリンはホワイトホールのバンケティング・ハウスで「素晴らしいオークション絵画(ジョン・ドラモンド所蔵)」に言及しており、その言及はほかの現代、およびのちのライターに頻繁に引用されている。

 

通常、オークションで販売予定の芸術作品をリスト化したオークションカタログが開催日のかなり前に作成され、参加者は作品を出品物をチェックすることができる。

 

最も有名なオークションハウスはクリスティーズサザビーズである。最も古いオークションハウスはストックホルムオークションハウスで、それは1674年にスウェーデンで設立された。

歴史


黎明期


一般的なオークションが導入される前は、チャールズ1世が形作った有名なコレクションの場合のようにほかの商取引部門と同じく各作品にはあらかじめ価格が設定され、招待された人たちだけが購入できた。

 

しかし、これはきわめてゆっくりした段取りで、特に絵画の取引では人々を誘引する魅力や刺激に欠けていた。

 

競売するようになった最初の重要なアートオークションは、1742年3月8日からその後5日間、合計6日間にわたってコベント・ガーデン広場でオークション主催者のコックが開催したオーックスフォード伯爵エドワードのコレクション・セールである。

 

ホレス・ウォルポール伯爵をはじめ、当時の貴族男性全員がこのセールに出席、もしくは代理出席した。

 

競売にかけられた作品の価格は匿名の司教による作品「頭」の5シリングから、アンソニー・ヴァン・ダイク作品のケネルム・ディグビーと夫人、息子の肖像画の165ギニアまでさまざまだった。

 

次の大きな競売はリチャード・ミード博士が生前に集めた膨大なコレクションで、写真、コイン、彫り刻まれた宝石などが、1754年の2月から3月にかけて競売人のアブラハム・ラングフォードの仲人で売買された。

 

1786年に開催されたポーランド公爵夫人のコレクションの38日間にわたるセールは注目に値するもので、前例のない売上総額を実現した。現在それらのコレクションの一部、たとえば有名なポートランドの花瓶などは大英博物館に収蔵されている。

 

18世紀後半までオークションで販売されていた絵画の質や価格はそれほど高くなかったと推測されている。イギリスにおける絵画やそのほかのアートオブジェの輸入量は18世紀終わりまでにかなりの割合を占めていたが、価格は古典巨匠の真作の価格の1%未満をはるかに下回るものだった。

 

ヨーロッパでもイギリスに美術品が大量に集まったのは、ナポレオン戦争やフランス革命によるヨーロッパ大陸の動乱を逃れて貴重な物品を保存するための唯一安全な場所と認識されていたためである。なお、多くの美術品や人々が一時的にイギリスに避難してきたが、しばしばそのまま住み着いたものも少なくはなかった。

 

当時のヨーロッパ大陸における政治的混乱がなければ、イギリスは芸術の宝物であふれた世界で最も裕福な国の1つになることはなく、最貧国になっていたかもしれない。この偶然の状況は、美術全般に対する知識を大いに高める効果をイギリスにもたらすことにもつながった。

 

たとえば1801年のウィリアム・ダグラス・ハミルトン伯爵のセールでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの小作品《微笑む少年》のような巨匠の真作が、コレクターのウィリアム・トマス・ベックフォードにより1,300ギニーで作品を購入された。

 

フォンテーヌでの販売時(1807年と1811年)には2つのレンブラント作品が5,000ギニーで売買されていうる。《The Woman Taken in Adultery》は今ナショナル・ギャラリーが所蔵しており、《The Master Shipbuilder》はバッキンガム宮殿が所蔵している。

 

1823年に開催されたのベックフォードセール(41日間)は、19世紀における偉大な古美術販売の先駆けだった。1842年のストロベリー・ヒル・ハウスでのホレス・ウォルポール財産販売(24日間)や、1848年のストー・コレクション(41日間)もまた素晴らしいものだった。それらは芸術作品のあらゆる段階を構成し、すべての点において質が非常に高いものだった。

 

それらのセールは芸術収集への大きな刺激となり、1855年(32日間)のラルフ・ベルナルの素晴らしいコレクションのセール、また1856年(18日間)のサミュエル・ロジャースの素晴らしいが体系的はあまりないコレクションのセールの成功を導くことになった。

19世紀


19世紀なかばにはまったく新しいタイプのコレクターが徐々に現れはじめた。新しいコレクターの大半はミッドランドやイングランド北部、そのほかの中心地のさまざまな産業で巨大な資産を形成した実業家だった。彼らは伝統的な作品収集にこだわることなく、現代の美術家の生活を支えるパトロンもはじめた。

 

1863年からビックネル・ギャラリーで彼ら新しいタイプのコレクターが集めたコレクションの売買が始まり、長年にわたり不規則な間隔でコレクションが競売にかけられた。

 

当時の著名なコレクターとしてはペン産業のジョゼフ・ジロット、小売業のサミュエル・メンデル、紳士用装身具商のエリス・ワイン、アルバート・レヴィ、プロモーターのアルバート・グラント、美術品蒐集家のヒュー・アンドリュー・ジョンストーン・マンロー・オブ・ノーヴァーなどがいる。

 

これらのパトロンはイーゼルや展覧会などで直接油彩絵画を購入するだけでなく、水彩ドローイング画の小作品も手頃な価格で購入していた。投資的な面から見ると、彼らが購入した作品は当初お購入額よりもはるかに上回る価格へと上昇した。

 

1870年代の売上の特徴の1つは、水彩ドローイング画の価値が高まったことだろう。ジョゼフ・ジロット・セール(1872年)では、ターナーの水彩画《バンバラ城》の160点が3,150ギニーの値を付けた。

 

株式仲人業者のカスバート・クィルターのセール(1875年)では、デイビット・コックスの《干し草畑》を画商が1850年に50ギニーで買い取ったものが259ジニーで売却された。

 

以下は当時の高額作品の一例である。1895年にコックスの《Welsh Funeral》は2,400ジニー、バーン・ジョーンズ男爵の《ヘスペリデス》は2,460ジニー、フレデリック・ウォルカーの《避難港》は2,580ジニーで販売された。

 

現代美術家たちの作品への需要は1870年代までは良い価格で売れていたが、それから20世紀初頭までの間に少し下がった。しかし、その間古典巨匠の作品を特に求めている小さなコレクター一派がいた。

 

ブレーデル・セール(1875年)、ワッツ・ラッセル・セール(1875年)、フォスター・オブ・クルーワー・マノワー(1876年)、ハミルトン宮殿セール(17日間)などのコレクションのセールなどが19世紀の有名なアート・オークションである。

 

毎シーズン、多くのマイナーなコレクションセールがあったが、古典巨匠の素晴らしい真作に熱心なコレクターが多くそれらはいつも高価格がついた。

 

当時の高額作品の代表的な作品例は、1900年に開催されたピエール・セールでのジェノバ上院議員ヴァンディックとその妻のペア肖像画と認識されている。

19世紀後半から20世紀前半


19世紀最後の四半世紀と20世紀の最初の10年間、芸術売買の最大の特徴はロココ主義のイギリスの画家ジョシュア・レノルズの女性肖像画作品と彼と同世代の作家、後継者たちの作品に人気が集まったことだろう。

 

この現象は1867年と1868年のサウスケンジントン展覧会やバーリントンで毎年開催される冬期展覧会までたどることができる。ほとんど忘れ去られていた多くのイギリス人アーティストの作品内に予期せぬ富と魅力があることが明らかになった。

 

そのような作品で最も高額となった作品をいくつかあげると以下のものがある。

  • ジョシュア・レノルズ《Lady Betty Delmé》(1894年), 11,000ギニー
  • ジョシュア・レノルズ《The Ladies Spencer》 (1896年), 10,500ギニー
  • トマス・ゲインズバラ《Duchess of Devonshire》(1876年), 10,100ギニー
  • ジョン・コンスタブル《Stratford Mill》 (1895年), 8,500ギニー
  • ジョン・ホプナー《Lady Waldegrave》(1906年), 6,000ギニー
  • トーマス・ローレンス《Childhood's Innocence》(1907年), 8,000ギニー
  • ヘンリー・レイバーン《Lady Raeburn》(1905), 85,00ギニー
  • ターナー《Mortlake Terrace》(1908年 Holland sale). 12,600ギニー

また、1880年から20世紀初頭の終わりまでの間、当時の近代的な大陸学校、特にフランス近代絵画の研究が盛んになり、それらの作品に高額な値段が付けられた。

  • カミーユ・コロー《Danse des Amours》(1898年)
  • ローザ・ボヌール《Denizens of the Highlands》(1888年), 5,550ジニー
  • ジュール・ブルトン《First Communion, in New York City》(1886年)
  • エルネスト・メソニエ《Napoleon I. in the Campaign of Paris》 12¼in. by 9¼in. (1882年), 5,800ジニー

1901年から1910年のエドワード朝時代における最も顕著な特徴は18世紀の画家たちの需要だった。アントワーヌ・ヴァトー、フランソワ・ブーシェ、ジャン・オノレ・フラゴナール、ジャン=バティスト・パテル、ニコラス・ランクレットなどの画家が高額作品となった。

 

また、19世紀中ごろからエドワード朝時代にかけて現れた「専門家」はアート・マーケットの発展における重要な出来事の1つである。専門家たちはバクルー公コレクション(1888年)、ホルフォードコレクション(1893年)の古典巨匠たちによるドローイングのコレクションの価値の高さを説明、保証した。

 

1908年6月に開催されたホランド・コレクション・セールでは、現代美術家たちの作品を中心とした作品のコレクションとして記録的な額となった。ほかに1907年に11の重要なレンブラント作品を含むロドルフ・カーン・コレクションの作品やアート・オブジェの売買が行われ、注目を集めた。

 

このころになると貪欲なアメリカ人やドイツ人コレクターが増えはじめ、本当に素晴らしい芸術作品の価格は競って高騰していくようになった。

20世紀後半


1970年11月、ディエゴ・ベラスケスの《ホアン・デ・パレハの肖像》は550万ドルで落札された。このセールは過去10年間における落札記録の3倍以上の価格だった。1990年5月mフィンセント・ファン・ゴッホの《医師ガシェの肖像》は8250万ドルで落札された。

21世紀


2013年11月、フランシス・ベーコンによる1969年の3連画『ルシアン・フロイドの3つの習作』は1億4240万ドルで落札された。

 

サザビーズとクリスティーズは中国磁器骨董品の主要なディーラーになった。2016年の時点で、サザビーズとクリスティーズを通じて数千万ドルにものぼる素晴らしいコレクションがオークションにかけられ売買された。

 

21世紀、特に2010年以降になると芸術作品が1億ドルを超えることが一般になってきている。2010年以降に記録した最も高額な絵画のほとんどは1億ドル以上でオークションで売買されている。

 

作品価格がこれだけ上昇する要因は、アーティストの評判、作品年齢、アートマーケット環境、作品の来歴、作品が最後にリリースされてからの経過時間などが考慮されている。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Art_auction、2019年7月1日アクセス



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