H・R・ギーガー / Hans Rudolf Giger
エイリアンのデザイナー
概要
生年月日 | 1940年2月5日 |
死没月日 | 2014年5月12日 |
国籍 | スイス |
職業 | 画家、彫刻、舞台デザイン、映画監督、 |
スタイル | バイオメカニカル、シュルレアリスム、 |
パートナー | リー・トープラー |
公式サイト |
ハンス・ルドルフ・ギーガー(1940年2月5日~2014年5月12日)はスイスの画家、彫刻家、デザイナー。
冷たいバイオメカニカルな人間や機械のイメージをエアブラシで描く作風で知られる。
彼がデザインした代表作は映画『エイリアン』である。参加した特殊効果チームは1980年のアカデミー賞の視覚効果部門を受賞している。2013年にはEMP博物館の「サイエンス・フィクション・ファンタジー・ホール」へ殿堂入りを果たす。
ギーガー作品の最も特徴的な部分であり、また視覚的絵画における革新性は、肉体と機械が融合した表現である。ギーガーは自身の表現を「バイオメカニカル」と呼んでいる。
ギーガー的なイメージは後世への影響が非常に大きく、レコードアルバムのカバー、家具、タトゥーなどさまざまな形式のメディアやサブカルチャーに取り込まれている。
スイスにはギーガーのインテリア・デザインを反映した2つのテーマバーががあり、彼の作品はグリュイエールのH・R・ギーガー美術館に常設展示されている。
2014年5月12日、転落事故が原因で病院で死去。
重要ポイント
- 映画『エイリアン』のエイリアンのデザイナー
- その後のポップカルチャーやサブカルチャーへの影響が大きい
- 自身の表現を「バイオメカニカル」と呼ぶ
略歴
恩師「サルバドール・ダリ」
ギーガーは1940年にスイス最東端にある地方行政区画グラウビュンデン州の州都クールで生まれた。父は薬剤師で「飯の食えない専門職」として芸術を嫌っており、ギーガーに対しては将来、薬剤師になるよう奨めていたという。
ギーガーは1962年にチューリヒへ移り、1970年まで応用芸術学校で建築やインダストリアル・デザインを学ぶ。卒業後、ダド、サルバドール・ダリ、エルンスト・フックスらの影響を受け画家の道を志すようになる。
ギーガーは油絵を制作する以前はインクを使った小さなドローイング作品を制作していた。キャリアの大部分において、ギーガーはおもにエアブラシを使い、シュールで悪夢のような夢の風景をキャンバスに描いた。また、パステル、マーカーを使った作品もある。
ダリやロバート・ヴェノーサといったシュルレアリストたちと交流を持ち、シュルレアリスムやヴィジョナリー・アート(幻想絵画)の世界で活躍するようになる。特にダリとの出会いは大きく、ダリとの出会いについてギーガーは
「私は最終的な魂の伴侶を見つけた」
と断言している。
ギーガーの最初の商業的成功は、1969年にスイスのポスター印刷会社の共同経営者でコレクターであり友人だったH・H・クンツと販売した最初のポスター・シリーズである。世界中で印刷・販売して商業的成功をおさめた。
恋人「リー・トープラー」の存在
ギーガーの作品に大きなインスピレーションを与え、またいくつかのギーガー作品のモデルとなっているのがリー・トープラーである。
1966年頃からギーガーは、スイス女優のリー・トープラーと付き合いはじめ、彼女をモデルにした作品を制作している。
1972年、全裸の彼女をキャンバスにボディ・ペインティングを試みつつ、リーをミューズとしてイコン化、その生と美貌を永遠化する作品制作に着手しはじめる。
その成果が、生体廃墟美学と神秘主義を結びつけて産み出された1974年の「リー」シリーズである。ギーガーはこれらの作品を「バイオメカノイド」と呼ぶようになった。
しかし、長年うつ病に苦しんできたリーは197575年に拳銃自殺。絶望に打ちひしがれていたギーガーが2年後に描いたバイオメカノイドの発展系が「ネクロノーム(Necronom)」シリーズである。
ちなみにギーガーのエイリアンの造形に影響を与えているのは、ダリが1972年に制作した「ネフェルティティ(Nefertiti)」という作品である。ネフェルティティとは、古代エジプト王妃の名前であり、エイリアンのルーツは古代エジプトの王妃となる。
ギーガーは、「ネフェルティティ」と「リー」と「ダリ」と「男性器」のダブルイメージによってネクロノームを産みだしたのである。
エイリアン
ギーガーのスタイルや主題は影響力が大きかった。その後、彼は映画『エイリアン』の特殊効果チームにデザイン制作で参加することになる。
当時、映画『エイリアン』の核心となるモンスターを探し求めていたリドリー・スコットがギーガーの作品集に目を留め、ギーガーは映画のアートワークやコンセプチュアル・デザイン担当として制作に参加することになる。そして、ギーガーの1977年の最初の絵画作品集『ネクロノミコン(Necronomicon)』に収録されていた1976年の絵画作品《ネクロノーム IV》を着想にして生み出されたのがエイリアンである。
もともとは、スイスのバーゼルに本社がある出版社Sphinx Verlag社が出版した作品集が、1993年に『ギーガーのエイリアン』からの作品を追加し、Morpheu社から復刻された。
『ネクロノミコン』はラブクラフトの一連の作品に登場する架空の書物『ネクロノミコン』から引用している。ラブクラフトの『ネクロノミコン』は、架空の狂気のアラブ人アブドゥル・アルハズレッドが700年頃に編集した人類出現以前の伝承の要約書である。
ギーガーが『エイリアン』の制作に参加できたのは単純に絵の才能だけではなかった。実際は未完の映画『DUNE』にスタッフとして参加し、ギーガーと交友を深めていたダン・オバノンの推薦があったのも大きな理由である。
さらにいえば、『DUNE』製作時にダン・オノバンやホドロフスキーにギーガーを紹介したのがダリであった。
映画『エイリアン』はアカデミー賞視覚効果の最優秀賞を受賞する。1980年にエイリアンのデザインでオスカー賞を受賞した。
ギーガーがリーの追悼の意味も込めて出版した最初の作品集『ネクロノミコン』(1977年)や、『ネクロノミコン Ⅱ』(1985年)、なかでも科学雑誌『オムニ』に掲載された作品は、国際的知名度を高める重要な役割を果たした。2013年にギーガーは『サイエンスフィクションとファンタジー殿堂』に選ばれている。
音楽アルバム
ギーガーは、バンドDanzigの『Danzig Ⅲ:How the Gods Kill』や、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの『Brain Salad Surgery』、カーカスの『Heartwork』、セルティック・フロストの『To Mega Therion』、トリプティコンの『Eparistera Daimones』、デボラ・ハリーの『KooKoo』などさまざまな音楽アルバムのアートワーク作品も手がけている。
映画
ギーガーは『スイス・メイド』(1968年)、『白昼夢』(1973年)、『ギーガーのネクロノミコン』(1975年)、『ギーガーのエイリアン』など自身が監督となり、直接に映画作品を制作もしている。
ほかに、インテリア・デザインの仕事もしている。特にアレハンドロ・ホドロフスキー監督による映画『Dune』のためにデザインした「ハークーネン・チェア」が有名である。この椅子はアルミニウムもしくは黒いガラス繊維を使い、人間の骨格に似せて手作業で制作されている。
ホドロフスキーによる『Dune』の制作は挫折したが、のちにデビッド・リンチにコンセプトは受け継がれた。
なお、生前ギーガーはリンチの映画制作に協力したかったと話している。彼の著書でリンチの『イレイザー・ヘッド』は、ギーガー自身が監督した映画よりも自身のビジョンに近かったと述べている。
楽器
ギーガーの芸術はベースやギターなど楽器にも多大な影響を与えている。
ライセンス契約のもと、楽器ブランドのアイバニーズは、ギーガーの作品を楽器に印刷した楽器を販売している。
たとえば、エレクトリック・ギターの「ICHRG2」は、ギーガーの作品『NY City VI』を印刷したもので、「RGTHRG1」は『NY City XI』を印刷したものである。
H・R・ギーガー美術館
1988年にギーガーはスイスのグリュイエールにあるサンジェルマン城を買収する。死後、彼の作品は永久保存先として指定されているH・R・ギーガー美術館となっている。ギーガーの妻、カルメン・マリアン・シャイフェレ・ギーガーは美術館のディレクターである。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/H._R._Giger、2019年9月14日アクセス