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【作品解説】寺山修司「田園に死す」

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田園に死す / Pastoral: To Die in the Country

シュルレアリスティックに過去を虚構化


概要


『田園に死す』は1974年に寺山修司の監督により制作された長編映画。寺山の映画作品の中で代表的作品であり、寺山の幼少の頃を描いた半自伝的映画である。

 

青森、恐山、田園、因習、サーカス団、エロス、水子、イタコ、「母殺し」の思想、東京と青森、現在と過去などのイメージが混在してシュルレアリスティック描かれる。

 

土着のイメージばかりが語られるケースが多いが、「田園に死す」は「過去の虚構化」が主題となっているのも大きな特徴である。多くの芸術家が子ども時代の原体験を芸術創作のインスピレーションとすることに対して当然のように思っているが、寺山は原体験を虚構化することにジレンマを抱いている。「田園に死す」の「過去の虚構化」とよく似た映画として、最近はアレホンドロ・ホドロフスキーの『リアリティのダンス』が挙げられる。

寺山修司はホドロフスキーに嫉妬していた

 

また、寺山修司の歌集『田園に死す』の短歌をが主人公が詠うシーンが随所で挿入される。詩と映像が一体化した作品ともなっている。

あらすじ


映画の前半では、「現在の私」が幼少の頃の話をそのまま事実として描くのではなく、美しく書き換えた自伝映画となっている。


たとえば、実際には村人から忌み嫌われ、間引きされた奇形の赤ちゃんは、健常な元気な赤ちゃんとして描かれる。また、実際には左翼の愛人の男と心中した隣の若い人妻は、母を捨てた「過去の私」とかけおちする話となっている。


映画後半パートの冒頭で、本当の少年時代の暗い真実が語られ、「現在の私」が幼少の頃の話を美化することに悩む。「過去」を書く対象化にしたとたんに、厚化粧した過去になると。もし、過去、原体験を書く対象にしなければ真実の過去としてしまっておけたかもしれないという。


それに対して映画評論家は、過去を虚構化することで作者は過去から自由になれる。過去は首輪みたいなのもので、人間は記憶から解放されない限り自由になれない。記憶を自由に編集できれなければ本物の芸術家といえないと「現在の私」を諭す。


最後に映画評論家は、私に「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」と尋ねる。


そして「現在の私」は過去へ戻り、母親を殺せば現在の自分がどうなるのかを知るためにやって来る。しかし結局、虚構の世界でも母親を殺すことができず、母親という呪縛を背負ったまま、現在の私の場所が交差する場所(新宿の交差点)がシュルレアリスティックに描かれて映画は終わる。



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