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【美術解説】市場大介「日本で最もグロテスクな作品を描く美術家」

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市場大介 / Daisuke Ichiba

日本で最もグロテスクな作品を描く美術家


概要


生年月日 1963年4月7日
国籍 日本
表現様式 絵画、漫画、写真、冊子

市場大介(1963年4月7日生まれ)は東京を基盤に活動している日本の画家、漫画家、写真家。熊本県出身。独学で美術を学ぶ。根本敬と並んで最もグロテスクな芸術家として紹介されることが多いが、根本のように商業誌での全国活動はほぼなく、東京ローカルと世界(おもに欧米圏)の両極で活動、評価されている。

 

おもにグロテスク、エロティシズム、処女、母を主題とした作品を描いており、作品の多くは冊子形式で自費出版されている。白い紙に墨で絵を描くスタイルで、色はほとんど使われない。

 

反芸術運動ダダイズムの影響を受け、そこに自分の求めていた芸術スタイルを見つけ、自身の芸術様式「バダイズム」を作り上げる。

 

1990年に初の冊子形式作品『三十七才落し子』を発刊。これ以降作品は1、2年に一冊のペースで発表しており、中野・タコシェや高円寺の古着屋など中央線沿線の店で販売されていた(現在も販売している)。なお、一般大手書店にも委託販売の営業もしているが、「内容が過激過ぎておけない」などの理由で断られている

 

2006年にフランスの「le monte en l'air」にて初個展を開催し画家宣言する。翌年にも同地で個展を開いている。日本が初個展ではない。2008~2010年同地で「LE JAPON PARANO」という日本人作家との合同展を企画。

 

それ以降はパリのArsenicgalerieにて年に1度のペースで個展をし、現在市場ウイルスがパリを中心としたヨーロッパで感染を拡大している。日本ではタコシェでも年に1度ぐらいのペースで個展を開催しており、感染は抑えられている。

略歴


若齢期


1963年4月7日、日本の熊本県で生まれる。5、6歳の頃に滅多に降らない雪が降り、積もった美しい雪の地面に足を一歩踏み入れたときになんともいえない快感を覚え、処女地に突入し、思いのままに足跡を残すという創作に目覚める。これが市場の創作の原点だという。

 

絵もその頃に描き始める。漫画のキャラクターを模写したり、同級生を虐待する漫画を描いていた。後頭部が長いノブアキって男の顔の人形を作って学校に持っていって針でつついてたりもしていた。その頃は絵は描いていない。しかし、絵よりも昆虫や魚を捕まえたり、女子生徒のスカートめくりのほうに熱中する。中学生から社会人になるまで絵はほとんど描いていない。

 

8歳のときに母親ががんで亡くなる。布団の中の母親が市場を見つめ泡をふいて絶命するが、当時の市場には何が起きているのかわからなかったという。しかし、20歳の頃、酔っ払ったときに自転車がぎっしり並んだ狭い路地の薄明かりの中で、突如、母の死がよみがえり母のために泣き出す。母の死と母の死のときに泣けなかった己の悔しさに対して二重の涙を流したという。以降、「母」は市場の主題のひとつになる。

 

途中、父親の転勤で北海道へ移る。子どもの頃は野球選手になりたかったが、才能がないので高校に入ってからバンドに目覚め、ショーケンのバンド「ドンファン」のコピーバンドをしていた。

 

卒業後、上京して国分寺に住み古着屋のアルバイトをする。この頃から絵を描き始め、古着屋の社長から影響を受ける。

芸術家デビュー


20代なかばに、日本のサブカルチャームーブメントの洗礼を受け、眠っていた絵魂が目覚める。当時は横尾忠則や粟津潔や丸尾末広のアングラアーティストの作品に影響を受け、彼らの作風を模倣して趣味で描いていたわけで、特に職業アーティストを目指していたわけではなかった。

 

市場が働いていた古着屋の先輩が独立することになり、看板制作の依頼を頼まれたのをきっかけに、「描く」という行為に改めて関心を描くようになる。大きな板に白いペンキを塗ることに快感を覚えたという。

 

独学で本格的に絵の勉強を始めるため、図書館へ行きデッサンを学ぼうとしたが、不毛な作業に3日で飽きる。まともな画家の道は捨て、自分の絵をただ好きなように描こうと決意する。以後、少女の首が吹っ飛んだり、腸が飛び出したり、化け物が酒盛りをしたり、意味のわからない気味が悪い模様の緻密画などを描く。

 

ちょうどその頃に、反芸術運動ダダイズムの影響を受け、そこに自分の求めていた芸術スタイルを見つけ、ますますデッサンのようなファイン・アートに対して自身から距離を置くようになる。

 

ただ、「芸術に対する既成概念や方法論を破壊する」というダダイズムの精神に興味はもったが、ダダイストたちのような多様なメディウムを使った作品には関心がなく、絵画という古典的なメディウムの中で独自の反芸術を行なう。ダダイストたちがしていた何でもありの無制限の表現形態よりも「制限された」中で「外れる」ほうが「自由」を感じるからだという。

 

その後、売れることも称賛もされることもない様式なのに、一方で世間や人に合わせて描かねばならぬことに葛藤を覚えながらアーティストの道を進むことになる。

冊子での表現活動


1990年に初の冊子形式作品『三十七才落し子』を発刊する。タイトルは母親が自身を生んだときの年齢からきているという。根本敬がこの処女作品を買ってくれたという。これ以降作品は1、2年に一冊のペースで発表しており、中野・タコシェや高円寺の古着屋など中央線沿線の店で販売されていた。

 

また、故・山田花子も最初期に市場大介を発見し、さらに生前、山田は市場と手紙のやり取りをしていたことがある。残念ながらその手紙は存在していない。山田の『自殺直前日記』に好きな芸術家リストで、ガロ系作家とともに市場の名前が挙げられている。また、日記に書かれている「詩人・鈴木ハルヨとして再出発する」の鈴木ハルヨとは、1991年の自費出版作品『市場大介之逃場無し○』のノンブルに記載されている女の名前「鈴木ハルヨ」から由来しているという。

 

自費出版で表現活動するかたわら、サブカルチャー系の出版社を回って営業するがどこからもよい反応はなく、また、『ガロ』にも1、2回応募したことがあるが掲載されたことはない。一般大手書店にも委託販売の営業もしているが、「内容が過激過ぎておけない」などの理由で断られている。

 

こうした、拒絶反応が積り積もり、市場の作品はさらに暴力的で鬱屈したものになっていく。

 

1997年にはコンビニで買物をした際に出会った口の曲がった若い女子店員に影響を受ける。怒り、懐しさ、哀れさ、恋心、泣かなかった自分、己のフラストレーション、真理、嘘、愛、糞、夢、蛆虫、もろもろの混沌が渦巻きはじめそれらを還元すべく芸術活動にのめりこむ。これをきっかけに8月に市場作品のおもな女性キャラの『美杖エズミ(みづええずみ)』が誕生した。これ以前に女性に名前を付けキャラを作るという発想はなかったという。

 

美杖エズミとは世間と市場を繋ぐ仲介的な役割を持ちつつそんなことはどうでもいい、ぶち壊してやるという芸術魂、創造と破壊の両性具有者の表現であるという。

 

エズミは左目が潰れておりガーゼで隠しているが、市場はここに人間性を描いているおり、「目さえ潰れてなければ美人なのにね」という感想は「みんな人間はどこか欠陥があるのにそれに気が付かないのね」と同義であるという。この頃に、パブロ・ピカソの偉大さに気付き影響を受けるようになる。また、美人画家という名乗るようになる。

市場大介『美杖エズミ』(1997年)
市場大介『美杖エズミ』(1997年)

『へそガエル』という漫画を作った頃に転換期を迎える。この漫画はこれまでのエログロ路線と異なるゆるいカエルのキャラクターが登場する。

 

知り合いのバンド「面影ラッキーホール」のメンバーのaCKyが、市場に「内容がちょっと変でも絵柄がかわいければ、もう少し興味をもってくれるんじゃないか」ってアドバイスを受け、制作したという。

 

その後、今にいたるまでゆるいキャラクターはエログロな画風と並列して描かれる。

市場大介『へそガエル』(1998年)
市場大介『へそガエル』(1998年)
エログロ絵画とともにこのようにゆるキャラが描かれることが多くなる。
エログロ絵画とともにこのようにゆるキャラが描かれることが多くなる。

自動書記(オートマティスム)


続く1999年の作品『地獄』で時代劇漫画に挑戦するが、途中でセリフを書く事がめんどうになり、存在しない言語や目に付いた新聞や雑誌の文字を取り入れるようになる

 

外国の雑誌やポスターを見たときに意味はわからないが文字の並びやレイアウトにかっこよく感じる感覚を取り入れ、日本語を知らない外国人がどう反応するか知りたかったという。それが、現在まで市場作品に続いているダダイズムで使われていたタイポグラフィである。また、本格的にシュルレアリスム自動書記(オートマティスム)方式が標準的な制作手法の1つになる。

 

2004年の500ページの大作漫画『アナザーホワイト』は、エズミだけは主人公にしておいてあとは思いつきで描いていく自動書記漫画の集大成であるという。

市場大介『アナザーホワイト』(2004年)
市場大介『アナザーホワイト』(2004年)

海外での活動


2000年代初頭、パリのバスチーユ地区にあったフランスと日本のアンダーグラウンド文化の架け橋的な存在だったレコードショップ「ビンボータワー」で、パキート・ボリノが市場大介の存在を発見する。SONOREが出版していた『JAPANESE INDEPENDENT MUSIC』という本の表紙を市場が描いていたという。

 

パキートはマルセイユを拠点に活動する出版芸術家で、自らの嗅覚で見出した世界中のアーティストたちにコンタクトをとり、シルクスクリーン刷りの色鮮やかなアートブックやポスターを制作していた。

 

市場の連絡先を知人から教えてもらったパキートは、自身が出版しているジン「オビタル・ブリュ」の特集で市場を紹介する。その後、フランスのリザード・ノワール(LIZARD NOIR)という出版社の目に留まり、市場の本を編集すると、一方のパキートも出版芸術「ル・デニエル・クリ」を始め、本格的に市場作品をてがけ、日本よりフランスで名が知られるようになる。

 

2006年にギャラリーでの初個展をパリのLe Monte-en-l'airで開催。以後、毎年フランスを中心にデンマーク、スイス、ベルリンなどおもにヨーロッパで個展を開催している。

 

また、パキートと日本のヘタウマ作家たちとのつながりから派生した「MANGARO/HETA-UMA展」に参加する。この展覧会は、湯村輝彦をはじめ、今日までのヘタウマ作家約50人+フランス内外の作家を加えて100人規模の作家が紹介された。

年譜表


冊子


1990年:『三十七才落とし子』

1990年:『顔』

1991年:『市場大介之逃げ場なし○』

1992年:『BADA』(cosmo9)

1994年:『三十七才落とし子小百合編」(火星書房)

1996年:『女の心』(cosmo9)

1997年:『美杖エズミ』(cosmo9)

1998年:『へそガエル』(cosmo9)

1999年:『地獄』(cosmo9)

2000年:『90年代まぼろし』(cosmo9)

2000年:『DAISUKE ICHIBA PICTURING BEAUTY KOHAL』(cosmo9)

2001年:『残酷ネクスト」(cosmo9)

2001年:『きっちりしてます』(水着出版)

2002年:『未完の極北』(cosmo9)

2004年:『アナザーホワイト』(cosmo9)

2005年:『豚』(cosmo9)

2005年:『へそガエル・エズミの覆面作家(再版)』(cosmo9)

2006年:『市場大介美人画集下水道鯰子の生涯』(BADA)

2007年:『犬死OK』(BADA)

2008年:『METHYLETHYLKETONEPEROXIDE』(BADA)

2009年:『ミダレガミ』(BADA)

2011年:『KSKHH 高卒真理兄妹華と光』(BADA)

2012年:『素敵』(BADA)

2013年:『心臓やぶり』(BADA)

2014年:『下水道鯰子の生涯(再版)』(BADA)

2015年:『素敵2』(BADA)

2016年:『迷惑派』(BADA)

2020年:『もう、帰らない』(BADA)

バーコード付き冊子


2013年:『badaism』(書苑新社 2013年10月)画集 ISBN 978-4883751563

2014年:『自家中毒OVERDUB』(青林工藝舎 2014年10月) 画集 ISBN 978-4883794034

その他の出版(おもに海外)


2005年:『EZUMI』LEZARD NOIR publication(パリ)

2006年:『Meaning Without Meaning』JHON Portfolio bimestriel & artbook!(フランス)

2007年:『el suicide delamoe』lospapelespintados(マドリード)

2007年:『ichibadaisukebijingaka』Le Dermer Cri(マルセイユ)

2007年:『yokai bar』Le Dernier Cri(マルセイユ)

2009年:『VOVO』Le Dernier Cri(マルセイユ)

2009年:『Grossesse Nerveuse』 United Dead Artists(パリ)

2011年:『album』maki(マルセイユ)

2012年:『BADAFOTO』Le Dernier Cri(マルセイユ)

2012年:『Kuso-Rare』Le Dernier Cri(マルセイユ)

2013年:『ONNA』maki(マルセイユ)

2013年:『Romance Mure』 United Dead Artists(パリ)

2013年:『badaism』ATELIER THIRD(日本)

個展


2002年:未完の極北(中野・タコシェ)

2006年:Le Monte-en-l'air(パリ)

2006年:Le Dernier Cri(マルセイユ)

2007年:Le Monte-en-l'air(パリ)

2008年:菊とファミコン(銀座・ヴァニラ画廊)

2008年:「DAISUKE ICHIBA & JAPON PARANO」Le Monte-en-l'air(パリ)

2008年:「EXPOSITION ICHIBA DAISUKE in LYON」(フランス)

2009年:「SMITTEKILDE ANTI SKUM」exhibition(デンマーク)

2009年:「FUMETTO2009」commercial Art-Festival exhibition(スイス)

2009年:「JAPON PARANO2」Le Monte-en-l'air(パリ)

2010年:「Exhibition ICHIBA DAISUKE 2 in LYON」(フランス)

2010年:「40億年塵の欲情」(中野・タコシェ)

2010年:「MESS JAPAN」(カナダ)

2010年:「ヨナの食卓」(渋谷・ポスターハリスギャラリー)

2010年:「JAPON PARANO3」Le Monte-en-l'air(パリ)

2010年:「PHOTO Exhibition in Le DernierCri(マルセイユ)

2011年:「Les Primitifs Contemporains」Nuvish-Moolines-Ichiba(パリ)

2011年:「Angura-Expermental Art and Musik from Japan」(ベルリン)

2011年:「Daisuke Ichiba and Yasutoshi Yoshida(ベルリン)

2011年:「DNAショッピング」(渋谷・ポスタリーハリスギャラリー)

2012年:「COMMUNIQUE DE PRESSE EXPOSITION Daisuke Ichiba」(パリ・Arsenicgalerie)

2012年:「胃画廊展」(渋谷・ポスターハリスギャラリー)

2012年:「DAISUKE ICHIBA Exhibition」(マニラ・Pablo Fort)

2013年:「le monte-en-l'air presente exhibition」(パリ・DESSIN[13])

2013年:「Arsenicgalerie(ambiguous hana)」(パリ)

2013年:「BADAISM」(渋谷・ポスターハリスギャラリー)

2014年:「Daisuke Ichiba Exposition 2014」(パリ・Arsenicgalerie)


■参考文献

・市場大介公式サイト

・『自家中毒OVERDUB』(青林工藝舎)

・『アックス101号』(青林工藝舎)



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