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【美術解説】ポップ・アート「大衆文化のイメージを利用した芸術」

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ポップ・アート / Pop art

漫画や広告など大衆文化のイメージを利用したファイン・アート


ロイ・リキテンシュタイン《ヘアリボンの少女》(1965年)
ロイ・リキテンシュタイン《ヘアリボンの少女》(1965年)

概要


大衆文化の図像を使った芸術


ポップ・アートは、1950年代半ばのイギリスと1950年代後半のアメリカで発生した前衛芸術運動である。

 

広告や漫画、大量生産されたありふれた物など大衆文化のイメージを絵画に取り入れて、伝統的なアートに対抗した。その目的は、多くの場合、(貴族主義やエリート主義ではない)漫画や広告などの大衆文化のイメージを芸術に利用することで、あらゆる文化の平凡でキッチュな要素を皮肉的に強調することにあった。

 

アンディ・ウォーホル「キャンベル・スープ缶」のラベルのように、商品のラベルやロゴはポップ・アーティストが選ぶイメージの中でも重要な位置を占めている。

 

初期のポップ・アーティストでは、イギリスではエドゥアルド・パオロッチやリチャード・ハミルトン、アメリカではラリー・リバーズやロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズなどが認知されている。

 

日本のポップ・アートシーンでは、まず1920年から1930年代に活躍した古賀春江が先駆的な画家とみなされている。彼の代表的な作品《海》は、日本における近代美術やシュルレアリスム絵画の代表的な作品としてみなされているが、最近の研究で古賀は当時の科学雑誌や絵葉書の写真図版をもとにしていることが明らかになっていることから、現在はポップ・アートの先駆けともみなされている。

 

ポップ・アートでは、描かれるものが視覚的に本来の文脈から切り離されて独立した状態にあったり、また、本来の文脈とは無関係なものと組み合わせられて描かれることがある。

 

ポップ・アートは、当時の芸術業界で支配的なスタイルであった抽象表現主義に反発するかたちで始まっている。レディ・メイドの手法を利用している点でダダイズムにも似ている。ウォーホルの「キャンベル・トマトジュース・ボックス」のように、小売用の食品が入ったダンボールと外側のロゴラベルも、ポップアートの素材として使われるためである。

 

ポップ・アートとミニマリズムは、ポストモダン・アートに先行する芸術運動、あるいはポストモダン・アートそのものの初期の例であると認識されている。

 

戦後はニューヨークでアンディ・ウォーホルらとともに活動した草間彌生が代表的な画家である。1960年代なかばには、グラフィックデザイナーの横尾忠則が最も成功したポップ・アーティストの1人となり、彼はまた世界における日本のポップ・アートシーンを伝える代表的な芸術家として認知されるようになった。

 

次いで国際的に知られる日本人ポップ・アーティストは田名網敬一である。その後、1990年代になると村上隆がポップ・アートの文脈を継ぐ作家として世界中に知られるようになった。

 

ポップ・アートのキーワードは、「ポピュラー」「はかない」「消費財的」「低コスト」「大量生産」「若さ」「洒落ていること」「セクシー」「新しがり」「魅力的」「ビッグ・ビジネス」である。

 

※注意

ポップ・アート(Pop art):ポピュラー・カルチャー上のイメージを使ったファイン・アート。

ポピュラー・カルチャー(popular culture):大衆文化。雑誌、新聞、マンガなど。

ファイン・アート(fine art):伝統的な絵画、彫刻などの美術。学校の美術や歴史の教科書に掲載されているような古典的作品。

重要ポイント

  • 漫画や新聞、広告、企業商品ロゴなど大衆文化のイメージを絵画に導入した芸術
  • 描かかれるイメージは本来の文脈から切り離され独立したり、組み合わされたりする
  • ポスト・モダンアートの先駆的な芸術スタイル
アンディ・ウォーホル「ペプシ」(1962年)
アンディ・ウォーホル「ペプシ」(1962年)

起源と背景


ヨーロッパとアメリカのポップ・アートの違い


アメリカとイギリスのポップ・アートは異なる展開をしている。

 

当時のアメリカでは抽象表現主義が主流であり、これに対する反発としてポップ・アートが展開されている。ポップ・アートは抽象表現主義に対する反応であり、そのため、ハードエッジペインティング(隣り合う領域で急激な色の変化がある塗り方)と具象芸術への回帰を目的としていた。

 

しかし、アメリのポップ・アーティストたちは、抽象表現主義の個人的な象徴や、絵画的なゆるさを和らげるため、没個性的でクールなありふれた現実の大衆社会やアイロニー、そしてパロディの要素を利用する点で伝統的な芸術とは一線を画している。アメリカでは、ラリー・リバース、アレックス・カッツ、マン・レイなどの作品がポップ・アートを先行していた。

 

一方、戦後のイギリスにおけるポップ・アートの起源は、アメリカと同じくアイロニーやパロディの要素がありながらも、より伝統的でアカデミックなものだった。アメリカのような抽象表現主義に対する反発意識は少なかった。

 

イギリスにおけるポップ・アートはダダイズムの延長であると同時に否定でもあった。ポップ・アートとダダイズムはいくつかの同じ主題を探求していたが、ポップ・アートはダダイズムの伝統芸術に対する破壊的でネガティブな態度対して懐疑的であり、その代わりにマス・カルチャーの人工物のクールなオブジェを利用した。

 

また、イギリスは、アメリカのポップカルチャーのダイナミックで逆説的なイメージを、生活全体に影響を与えると同時に、社会の繁栄を向上させるための強力で操作可能な象徴的な装置として焦点を当てている。

 

ダダイスムは明確に反芸術だったが、ポップ・アートは積極的で、建設的でポジティブなものを見い出していた

 

ポップ・アートの先駆者とされるヨーロッパのアーティストは、パブロ・ピカソマルセル・デュシャンクルト・シュヴィッタースサルバドール・ダリである。 

 

レディ・メイドもポップ・アートの起源


マルセル・デュシャンやフランシス・ピカビア、マン・レイなどのヨーロッパの前衛芸術家は、このムーブメントに先立って活動していた。レディ・メイドはポップ・アートの原型である。

 

便器や自転車の車輪など、大量生産される日常的な製品を任意に選び、そこに置いただけのレディ・メイドは「これが芸術?」と首をかしげさせるに十分だったが、ポップ・アートもまた新聞、雑誌、広告、写真など身近な大衆メディアや日用品を活用したことで「これが芸術?」というような文脈から現れた。

 

レディ・メイドが本来の文脈(「泉」であれば男性用便器)から切り離されるのと同じように、ポップ・アートで使われる素材もまた本来の文脈から切り離される。

 

切り離された対象は、ほかの対象と組み合わせられることで新たな文脈を作る。これはダダイズムやシュルレアリスムで使われるコラージュと同じ手法である。

 

では、シュルレアリスムとポップ・アートの違いは何か。それは、シュルレアリスムは個性や内面や情緒を重視した表現である。ポップ・アートはその反対で、没個性的で即物的であり内面表現を重視しない。

 

また、1920年代のアメリカでは、パトリック・ヘンリー・ブルース、ジェラルド・マーフィー、チャールズ・デマス、スチュアート・デイビスらが、ポップ・カルチャーのイメージ(アメリカの商業製品や広告デザインから引用したありふれたもの)を盛り込んだ絵画を制作し、ポップアートのムーブメントをほぼ「先取り」していた。

記号社会とポップ・アート


ポップ・アートは記号社会と大きな関係がある。

 

現代は「記号の世界」である。記号とは機能を示すもので、記号そのものには意味はない。たとえば信号機の緑が、背後に何の実体を持たずに「進め」を意味するということである。

 

地図上の〒は郵便局を示す以外に背後に何の実体もない。T社のVという車は、そのスタイルやマークから「あっ、T社のVだ」と即座に判別される。

 

このように記号は即時的な反応であることが重要である。デュシャンが20世紀のはじめ、便器を既に「レディ・メイド」として芸術の脈絡で置くことによって現代美術の作品としたのは、つまり「あれ、便器だよね?」という既製品の持つこの記号的要素を逆手にとった表現行為だったのである。

 

アンディ・ウォーホルは、セクシーな女の典型としてマス・メディアによって記号化されたマリリン・モンローをそのまま作品にした。アメリカ国民は、「マリリン・モンローはセクシーである」とすでに誰もが認識しているためである。


モンローは、記号化された虚像が一人歩きすることによって人気となる。本来は虚像の背後には必ず実体があると思いがちだが、現代におけるマス・メディアの発達は、虚像の機能を異常に肥大化して、実像を上回らせた。ここに虚像・記号の時代と呼ばれることの意味があり、またそのような環境に即してポップ・アートが生まれた。

アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」
アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」

大量消費社会とポップ・アート


記号社会に加え、戦後アメリカの絶頂期の豊かな大量消費社会を反映しているのが特徴である。

 

アンディ・ウォーホルは人気女優マリリン・モンローや、大量生産品のキャンベルスープ缶のイメージを無限に増殖させるような反復的な絵を描いた。

 

さらにウォーホルは、自身のアトリエを「ファクトリー(工場)」と呼び、労働者を雇い、シルクスクリーンプリントを大量に作る。工場と同じくアートを大量生産して販売。大量生産する行為をアートにした。

アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」(1967年)
アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」(1967年)

「ビジネス・アートはアートの次に来るステップだ。ぼくはビジネス・アーティストとして終わりたい(アンディ・ウォーホル)」ウォーホルのビジネス・アートは、このあと村上隆やダミアン・ハーストへ受け継がれていく。


 

●参考文献

Pop art - Wikipedia 


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