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【作品解説】マルセル・デュシャン「階段を降りる裸体 No.2」

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階段を降りる裸体 No.2 / Nude Descending A Staircase, No. 2

キュビスム時代の集大成でデュシャンの出世作


マルセル・デュシャン「階段を降りる裸体No.2」(1912年)
マルセル・デュシャン「階段を降りる裸体No.2」(1912年)

概要


近代美術を代表する作品


「階段を降りる裸体No.2」は、1912年にマルセル・デュシャンによって制作された油彩作品。147 Cm × 89.2 Cm。現在、フィラデルフィア美術館内のルイス&ウォルター・あれんずバーグコレクションに所蔵されている。

 

本作はパブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」と並んで、最も近代美術を代表する作品の1つと広くみなされている。

 

1912年、パリのサロン・デ・アンデパンダンのときに初公開されたが、当時はキュビスム・グループから未来派とみなされ酷評される。その後、1912年4月20日から5月10日までバルセロナのダルマウ画廊が開催したキュビスム・グループ展で展示。

 

しかし1913年、ニューヨークのアーモリー・ショーでの展示で大変なセンセーショナルを巻き起こす。また1913年に出版されたギヨーム・アポリネールの美術批評集『キュビスムの画家たち』に掲載され注目を集める。

キュビスムを基盤にして制作


本作は一見したところ黄土色と茶色を中心に人物の抽象的な動きを表現したものとなっています。キュビスムと未来派を融合させた状態のもので、連続した人物イメージを重ねることで「動き」を表現しようとしました。

 

1912年の発表当時、ピカソが1907年に発表した「アヴィニョンの娘」から始まったキュビスム・ムーブメントがちょうど下火になり始めているころでした。

 

キュビスムとは、ある対象をバラバラに分解し、分対象の特徴的なパーツを強調して再構成する手法です。万華鏡をのぞいた時の感じに近いともいえるが、細分化された個々のパーツにシンメトリーのような法則性はない点が異なります。

 

 

「階段を降りる裸体No.2」は、このキュビスム的手法を下敷きにして描かれています。デュシャンは元々キュビスム出身の画家でした。

時間を分解して平面的に表現


エドワード・マイブリッジ「階段を降りる女性」(1887年)
エドワード・マイブリッジ「階段を降りる女性」(1887年)

 

しかしこの作品が、これまでのキュビスムと異なるのは、「動き」「時間」といった4次元的な要素を分解して表現しようとした点です。

 

デュシャンは、これまでのキュビスムが対象していた「形態」だけでなく、「動き」「時間」の分解を絵画で試みようとしました。二次元の画面に、三次元的立体性に加えて、さらに四次元性の時間的連続性を絵画に導入したのが大きなポイントです。

 

 

ちょうど同年の1912年に、デュシャンと同じく「動き」を表現する前衛芸術のグループ「未来派」が誕生していますが、デュシャンはそれより1年前にすでに油彩で「階段を降りる裸体」の下描きを描いているため、未来派の影響は受けていません。偶然、未来派と同じような表現を始めていたといっていいでしょう。

 

また未来派の「動き」の概念とも異なります。未来派の「動き」の表現はイリュージョン的で、スピードを表現するような誇張的なものです。漫画でよくある足を何本も描くことで走っているように見せる表現というのが未来派の表現です。

 

 

デュシャンの「動き」の表現は客観的で科学的な分析のようなものです。それは、変化していく対象の静止した表象の連続を写し取るもので、連続写真撮影に近いものです

 

本作を制作する上で影響を受けていると思われるものはあります。フランスの生理学者で連続写真撮影機を発明したエティエンヌ=ジュール・マレーや、エドワード・マイブリッジが1887年に出版した「The Human Figure in Motion」内の「階段を降りる女性」の写真シリーズです。

ジャコモ・バッラ「つながれた犬のダイナミズム」(1912年)
ジャコモ・バッラ「つながれた犬のダイナミズム」(1912年)
エドワード・マイブリッジ「階段を降りる女性」(1887年)
エドワード・マイブリッジ「階段を降りる女性」(1887年)

ニューヨークで大反響


「階段を降りる裸体 No.2」は、1912年にパリのアンデパンダン展で始めて展示されましたが、当時は大変な反発を受けました。おもな理由はその表題のせいだといいます。「階段を降りる裸体」とは、たいへんエロティックな興味をそそるタイトルですが、画面には裸体が見当たりません。それは仕方がない。デュシャンは、運動とともに変容する時空と物体を「線の移動」の連続として表現しているからです。

 

同展に参加していたデュシャンの兄たちがは、タイトルの変更をデュシャンに伝えましたが、デュシャンはそれを拒否します。アンデパンダン展には審査はありませんでした。美術史家のピーター·ブルックによると、当時本作を展示するかしないか、またはキュビスム・グループとして出品するかしないか、タイトルを変更するかしないかという論争があったといわれています。

 

デュシャンはのちに「私は兄のクレームに何も反論していない。クレームがあったとき、私はすぐにタクシーで会場にいって自分の作品を外して持ち帰った。この事件は私の人生におけるターニングポイントだったとおもう。私はその事件のあとキュビスム・グループへの関心がまったくなくなった」と話しています。

 

翌年1913年にニューヨークのアーモリー・ショーで「階段を降りる裸体.No2」を展示します。この展覧会は公式には「国際近代美術展」という企画で、当時のアメリカの近代美術家と、パリで流行の近代美術が一同に集められた最初の主要な展覧会でした。

 

展示中に本作は、サンフランシスコの弁護士で画商のフレデリック・C・トレイが買い上げられ、バークレイの自宅の階段の側に飾られていました。1919年にルイス&ウォルター・アレンズバーグ夫妻に売却。1954年にフィラデルフィア美術館に遺贈されました。

1913年アーモリー・ショー。キュビズムグループ展示。右から二番目が「階段を降りる裸体 No.2」
1913年アーモリー・ショー。キュビズムグループ展示。右から二番目が「階段を降りる裸体 No.2」
「階段を降りる裸体 No2」のパロディで地下鉄のラッシュを表したもの。「The New York Evening Sun」(1913年3月20日号)
「階段を降りる裸体 No2」のパロディで地下鉄のラッシュを表したもの。「The New York Evening Sun」(1913年3月20日号)
フレデリック・C・トレイの自宅に飾られてた頃の「階段を降りる裸体 No.2」
フレデリック・C・トレイの自宅に飾られてた頃の「階段を降りる裸体 No.2」

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