日本のシュルレアリスムの歴史
1925年 文学から紹介され始める
日本にシュルレアリスムがもたらされたのは、まず文学からである。
アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表した翌年、1925年にイギリス留学から帰国した詩人の西脇順三郎が紹介しはじめたといわれる。
明確な形で残っているのは、1927年に創刊された詩誌『薔薇魔術学説』と、西脇を中心とする慶應大学の文学サークルに集まった瀧口修造らが出版した詩誌『馥郁タル火夫ヨ』による。
美術評論家 森口多里による紹介
絵画のシュルレアリスムが紹介されはじめたのは、1928年3月に、マックス・エルンストのコラージュ作品の図版が掲載された『山繭』3巻3号である。この記事では、エルンストのコラージュとフロッタージュの方法や意図が正確に紹介されている。
また、美術評論家の森口多里が、1925年にパリのピエール画廊で開催された「シュルレアリスム絵画」展のカタログを日本に持ち帰り、美術雑誌「アトリエ」1928年9月号で出品作品を転載した。
ただし、この時の記事は、フランス絵画の傾向を述べたものであり、シュルレアリスムそのものには全く触れておらず、挿絵としてシュルレアリスム絵画が紹介されていた。
このとき紹介されていた絵画は、「シュルレアリスム絵画」展のカタログから転載されたハンス・アルプ、ジョルジョ・デ・キリコ、マックス・エルンスト、パウル・クレー、パブロ・ピカソ、ジョアン・ミロ、アンドレ・マッソンの7作品である。
またこの年、雑誌「美術新論」5月号において仲田定之助が、「超現実主義の画家」と題した記事を書いており、これはフランスで起こったシュルレアリスムの絵画運動を日本で初めて紹介した記事であった。
ただし、このとき掲載されたジョルジョ・デ・キリコ、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロの作品は、これらは必ずしもシュルレアリスムの絵画運動を紹介するのにふさわしいイメージではなかった。シュルレアリスムの文脈から選ばれたものではなく、該当作家の作品図版を探しだして集めたといった感じが強い。
古賀春江
日本の美術家が作品にシュルレアリスム風の表現を発表し始めたのは1929年の二科展である。古賀春江、東郷青児、川口軌外などの作品にその傾向が見られる。ただし皆、シュルレアリスム理論をもとにして描いたものとは思えるものではなかった。
二科展で古賀春江が発表した作品「海」が、一般的に日本で始めてのシュルレアリスム絵画と評価されている。この作品は、『科学画報』の帆船とツェッペリン号、ドイツの潜水艦の図解、『原色写真新刊西洋美人スタイル第九集』の絵葉書の中のグロリア・スワンソンの水着写真などをコラージュした作品である。
瀧口修造と福沢一郎
1930年1月、美術雑誌「アトリエ」が出した「超現実主義研究号」は、日本で初めて本格的にシュルレアリスムの美術を取り上げた出版物として出版される。なお、その掲載図版は半数以上がブルトンの著作からの転載と考えられる。
また、1930年6月、このブルトンの著作「シュルレアリスムと絵画」の日本語訳が、瀧口修造の翻訳によって出版される。日本で刊行された翻訳書がシュルレアリスム絵画のイメージを広めるのに、大きな貢献をした。
また、1929年、パリで実際にシュルレアリスム運動と接した福沢一郎が、1931年の独立美術協会の第一回展で発表したマックス・エルンストの『百頭女』に影響を受けたと思われる37点の作品群を発表している。これは話題を集めることになった。
福沢はそれ以後、1939年まで独立美術協会会員として発表し続け、新聞や雑誌などのメディアへの露出も多く、若い画家たちに多大な影響を及ぼし、日本におけるシュルレアリスム絵画の牽引者となった。
1932年12月に開催された「巴里東京新興美術展」で、フランスのシュルレアリスム絵画作品が初めて日本で展示。企画者の峰岸義一がフランスでパリの画家たちを積極的に訪ね、パリにおける最新の諸美術動向を紹介しようとした。実物のシュルレアリスム作品が
初めて日本で展示され、日本の若手画家たちにシュルレアリスムは多大な影響を与えたという。
1933年に古賀春江が死去。一方独立美術協会点で、福沢一応の影響を受けた若手画家たちがシュルレアリスムの関心を強める。しかしながら、実際にはシュルレアリスムよりもフォーヴィスムや表現主義の影響が強く、福沢のシュルレアリスムとは傾向が異なっていた。
世界に認められた日本人シュルレアリスト
1936年にロンドンで大規模なシュルレアリスム展「第一回国際シュルレアリスム展」が開催され、その二年後の1938年にパリで第二回展が開催される。そのパリでのシュルレアリスム展に唯一日本人で参加したのが岡本太郎だった。
出品した作品は「傷ましき腕」。しかし彼の作品はほとんど無視された。ちなみに、この展覧会で評判を呼んだのは、マルセル・デュシャンによる主会場の展示空間のディスプレイやダリの「雨降りタクシー」だった。
また同年、アンドレ・ブルトンとポール・エリュアールが編集した『シュルレアリスム簡約辞典』が出版され、瀧口修造と山中散生の名前が辞典に掲載された。このときに日本人シュルレアリストとして海外に認められているのは、岡本太郎、瀧口修造、山中散生の3人である。
また、1938年に、日本におけるシュルレアリスム運動の成熟に寄与するグループ「創紀美術協会」が誕生。古沢岩美、北脇昇、小牧源太郎たちは積極的に内的世界を探求して、シュルレアリスムに積極的に関わるようになった。
しかし、日本のシュルレアリスムは第二次世界大戦の開戦とともに弾圧されていく。
戦後シュルレアリスム
戦後、ふたたびシュルレアリスム的な表現が現れる始めるのは1950年代なかばである。1953年には「前衛美術会」の主導によって、シュルレアリスム的動向をもつ作家たちが「青年美術家連合」を結成している。中村宏、河原温、池田龍雄、福田恒太、山下菊二らが参加している。1960年に東京国立近代美術館で、日本のシュルレアリストたちを集めた大規模なシュルレアリスム展「超現実絵画の展開」が開かれる。参加作家は以下の通りである。
(50音順)
浅原清隆(1915-1945)
阿部展也(芳文)(1913-1971)
安部真知(1926-1993)
靉光(1907-1946)
飯田操朗(1908-1936)
池田龍雄(1928)
泉茂(1922-1995)
伊藤好一郎(1926-1998)
今井大彭(1911-1983)
上野省策(1911-1999)
上村次敏(1934-1998)
歌川国芳(1797-1861)
瑛九(1911-1960)
大塚耕二(1914-1945)
大塚睦(1916-2002)
岡本太郎(1911-1996)
織田リラ(1927-1998)
小山田二郎(1915-1991)
葛飾北斎(1760-1849)
桂ゆき(1913/10/10-1991/02/05)
桂川寛(1924-2011)
加藤清美(1931-)
加納光於(1933-)
川口軌外(1892-1966)
河原温(1933-)
北脇昇(1901-1951)
古賀春江(1895-1933)
駒井哲郎(1920-1976)
小牧源太郎(1906-1989)
佐久間阿佐緒(1928-)
下郷羊雄(1907-1981)
白木正一(1912-1995)
杉全直(1914-1994)
鷹山宇一(1908-1999)
立石鉄臣(1905-1980)
谷中安規(1897-1946)
玉置正敏(1923-2001)
土屋幸夫(1911-1996)
鶴岡政男(1907-1979)
寺田政明(1912-1989)
利根山光人(1921-1994)
中村宏(1932-)
野田好子(1925-)
浜田知明(1917-)
浜田浜雄(1915-1994)
早瀬龍江(1905-1991)
福沢一郎(1898-1992)
古沢岩美(1912-2000)
堀田操(1921-1999)
本田克巳(1924-)
松沢宥(1922-2006)
間所紗織(1924-1966)
真鍋博(1932-2000)
三岸好太郎(1903-1934)
水谷勇夫(1922-2005)
三井永一(1920-)
宮城輝夫(1912-2002)
森克之
矢崎博信(1914-1944)
籔内正直(1916-)
米倉寿仁
こうして1960年代の前衛ムーブメントと合流していくことになる。
年譜表
■1925年
・9月、堀口大学、フィリップ・スーポーの詩を訳詩集『月下の一群』を翻訳して日本で紹介する。
・11月、パリ、ピエール画廊で開催されたシュルレアリスム展を福沢一郎と森口多里が鑑賞。
■1927年
・5月、『文芸耽美』4号、ポール・エリュアールとルイ・アラゴンの詩を紹介。
・11月、北園克衛、上田敏雄らが『薔薇魔術学説』創刊。
・12月、瀧口修造らが参加していた『馥郁タル火夫ヨ』創刊。
■1928年
・3月、フランツ・ロオ「マックス・エルンストと接合的絵画」が『山繭』に訳出される。
・5月、仲田定之助「超現実主義の画家」を『美術新論』に発表、シュルレアリスム美術に関する最初の包括的紹介となる。
・9月、春山行夫を中心とした季刊誌『詩と詩論』創刊。シュルレアリスムについての議論が活発になる。
■1929年
・6月、『詩と詩論』に北川冬彦がブルトンの『シュルレアリスム宣言』を翻訳。
・9月、第16回二科展で古賀春江、阿部金剛、東郷青児、中川紀元らが新傾向の作品を発表、日本で最初の超現実主義絵画と評される。
・11月、西脇順三郎『超現実主義詩論』刊行。
■1930年
・1月、『アトリエ』超現実主義研究号。
・6月、瀧口修造、ブルトンの『超現実主義と絵画』翻訳刊行。
・6月、阿部金剛、『シュールレアリズム絵画論』刊行。
■1931年
・1月、第1回独立美術協会展。福沢一郎が、マックス・エルンストの影響の下に描いた作品を多数発表。
■1932年
・12月、巴里東京新興美術展、東京で開催され、翌年にかけて全国を巡回。マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、イヴ・タンギーなどの実作が日本で初めて公開される。
■1933年
・9月、古賀春江、死去。
・9月、東郷青児、阿部金剛、峰岸義一ら「アヴァンガルド洋画研究所」開設。
■1934年
・4月、独立美術協会から若手画家たちが脱退し、新造形美術協会結成。
・6月、「JAN」結成。
■1938年
1月、パリの国際シュルレアリスム展で岡本太郎が『傷ましき腕』を出品。
■1941年
・4月、瀧口修造、福沢一郎、治安維持法違反の嫌疑で検挙。
■1948年
・11月、『岡本太郎画文集アヴァンギャルド』刊行、「対極主義」を提唱。
■1953年
・12月『抽象と幻想』展(国立近代美術館)。
■1960年
・4月、「超現実絵画の展開」(国立近代美術館)。
■1968年
・12月、中村義一『日本の前衛絵画 その反抗と挫折-Kの場合』(美術出版社)刊行。北脇昇を中心としながら日本におけるシュルレアリスム受容全体の問題を扱う。
■1973年
・3月、本間正義『近代の美術 3 日本の前衛美術』(至文堂)刊行。
■1977年
・6月、「現代美術のパイオニア展」(東京セントラル美術館)。
■1978年
・11月、浅野徹『原色現代日本の美術 8巻 前衛絵画』(小学館)刊行。
■1985年
・9月、「東京モンパルナスとシュールレアリスム」展(板橋区立美術館)。
■1990年
・10月、「日本のシュールレアリスム1925〜1945」(名古屋市美術館)。包括的な展覧会として最も重要。
■1999
・『コレクション・日本シュールレアリスム』全15巻(本の友社、1999年〜2001年)刊行。