レオノール・フィニ / Leonor Fini
後世の女性芸術家に強い影響を与えた女性シュルレアリスト
概要
生年月日 | 1907年8月30日 |
死没月日 | 1996年1月18日 |
国籍 | アルゼンチン |
表現媒体 | 絵画、イラストレーション、著述 |
ムーブメント | シュルレアリスム |
レオノール・フィニ(1907年ー1996年)はアルゼンチンの画家、ファッション・デザイナー、イラストレーター、作家。
正式な美術教育は受けていない。フランスのシュルレアリストたちが彼女の作品に関心を持つようになってから、フィニ自身も芸術家の自覚を強め、シュルレアリストたちと関わるようになる。ただし、彼女自身はシュルレアリストとは考えていなかった。
ポートレイト作品中心だが、身体の半分が獣になっていたり、幻想的でエロティックな雰囲気で描かれる。また作品の多くは、女性性に焦点を置いた表現で、現代の女性アーティストやフェミニズムにも大きな影響を与えている。
たとえば「世界の終わり」では、胸まで水に浸かった彼女の周囲に動物や人間の頭蓋骨が浮いている作品だが、この作品はのちにマドンナに大きな影響を与えており、彼女の2006年のビデオイメージ「Bedtime Story」の源泉となっている。
彼女の最初の主要な個展は1939年にニューヨークのジュリアン・レヴィギャラリーである。フィニは戦前世代のパリ芸術家の1人とみなされ、彼女はほかの同世代よりも長く生きた。
肖像作家としても知られており、作家ジャン・ジュネ、アンナ・マニャーニ、映画監督のジャック・オーディベルティ、女優ジュエリーデザイナーのアリダ・ヴァリなど多くの著名人やセレブ、富裕層の注文肖像画を描いている。
エルザ・スキャパレッリのもとで働いてるときは香水ボトルのプラダクト・デザイナーを担当。なかでも「Shocking」はスキャパレッリのトップセールスとなった。
略歴
シュルレアリスム運動まで
フィニは、アルゼンチンのブエノスアイレスで、スペイン、イタリア、アルゼンチン系の両親の間に生まれた。2歳のときに母親の母国であるイタリアのトリエステに移り、そこで育てられる。
ヨーロッパの美術館を訪ね、ルネサンスやマニエリスムの絵画を研究したり、叔父の大きな図書館で、ラファエル前派やオーブリー・ビアズリー、グスタフ・クリムト、フランダースのロマン派の画家たちを発見する。
17歳のとき、トリエステのグループ展で、初めて作品を展示、依頼された肖像画を描くためミラノに招かれる。17歳のときにミランに移り、1931年から1932年に一時的にパリにも滞在した。そこでフィニは、カルト・カッラやジョルジョ・で・キリコといったイタリアの前衛芸術家たちと交流を深めるようになる。
マンディアルグやカルティエ=カルッソンらと車でヨーロッパ旅行したり、カルッソンとスイミングプールでヌード写真の撮影を行った。当時撮影されたフィニのヌード・ポートレイト写真は2007年にオークションで30万5000ドルで販売された。
1936年、パリに行き、ポール・エリュアール、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、ブラウナーたちと交わり、シュルレアリストたちのグループに接近するようになる。グループのメンバーには入らなかったもののシュルレアリスムの展覧会に参加。1936年のロンドンの展覧会で初めてその作品をシュルレアリストたちとともに展示した。
続く2年間に彼女はエルンスト、ニッシュ、ポール・エリュアール、ブラウネル、ダリやその他のメンバーたちと個人的に親しくなった。1939年、ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊において最初の個展を開催する。
第二次大戦後
第二次世界大戦が勃発すると、モンテカルロやローマで過ごし、1946年に、パリに戻
1949年にフレデリック・アシュトンはフィニが概念化したバレエ「レ・レヴィ・ド・レオノール」の振り付けを担当。作曲にはベンジャミン・ブリテンが起用された。
1960年にロンドンのカプランギャラリーで個展を開催、また1968年にハノーヴァーギャラリーに個展を開催した。1986年の夏には、パリのルクセンブルグ美術館で回顧展を開催し、1日に5000人以上の来場者があった。この回顧展では260点以上もの作品が展示された。
1987年の春にフィニはロンドン・エディションズ・グラフィック・ギャラリーで個展を開催。1999年にサンフランシスコ現代美術館で開催された「女性シュルレアリストと自己表現展」でフィニはクローズアップされた。
フィニは多くの男性と関係を持っていたが、生涯独身だった。。彼女はこういっている。
「結婚という文字は私になく、人生で一度も一人の男と同棲したことはない。18歳のときからずっと私は常に集団生活をするのが好きで、アトリエをかねた大きな家で、猫や友人たち、恋人ではない男性たちと過ごした。そして常に働いていた。」
フィニはよくバイセクシャルと記述されるが、一度だけ短期間、フェデリコ・ヴェネツィアーニと結婚している。
画家、舞台美術家、イラストレーターとして、活発な活動を展開。クノッケル・ツォート、カシノ・コミュナーレ、日本、モンタバン、アングル美術館、フェラーラ、パラツィオ・ディ・ディアマンティにて回顧展を開催した。