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古屋兎丸

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古屋兎丸 / Usamaru Furuya

特殊女子高生漫画


概要


古屋兎丸(1968年1月25日-)は日本の漫画家。東京都出身。多摩美術大学美術学部絵画科(油絵専攻)卒業。94年に『月刊漫画ガロ』で、鮮烈なデビュー。以後、精力的に作品の発表を続ける。

 

代表作は『Palepoli』『自殺サークル』『ライチ☆光クラブ』。強烈な風刺と人間の暗部が描かれた作品を、独創的な画風で描き、熱狂的な支持を受ける。

 

漫画以外にも、オムニバス映画『ZOO』(原作:乙一)の中の一本『陽だまりの詩』の脚本・絵コンテ・キャラクターデザインを手がけ、webサイト「ぽこぽこ」ではスーパーバイザーに就任するなどしている。

 

 

略歴


若齢期


 

小学生の頃、電車の棚網に残っている漫画雑誌を父親が仕事の帰りに持って帰ってくる習慣があり、これが漫画を読み始めるきっかけとなる。当時好きだった漫画は、とり・みきの作品、「まことちゃん」「がきデカ」「すすめ!! パイレーツ」などのギャグ漫画。

 

その後、自分でも漫画を描き始めるようになる。「まことちゃん」のようなギャグ漫画か、手塚治虫のようなストーリー漫画が中心。母親の勧めで手塚治虫による漫画の通信教育を受講する。

 

中学校入学するとギャグ漫画からイラストに興味が移る。父親の影響でYMOやJAPAN、デヴィッド・ボウイ、デュラン・デュランなどに興味を持つ。父親は真面目な仕事をしていたが、アイドルが好きで、古屋が中学生の頃に当時まだ珍しかったビデオデッキをいち早く購入し、松田聖子、中森明菜、森高千里等のアイドルをビデオテープ何十本も録画していたという。このような父親に変質的なものを感じる

 

また吾妻ひでおに影響を受ける。マイナー雑誌にSF,ロリコン、ナンセンスの要素が混合されたハイブローな漫画に夢中になる。ほかに、江口寿史の『ストップ!!ひばりくん!』に影響を受け、これが古屋の女性キャラの原点となる。

 

1983年、吉祥寺の明星学園入学。1年の冬に、飴屋法水を主宰とする劇団『東京グランギニョル』に多大な影響を受け、アングラ文化に傾倒する。オートモッドやソドムといったインディーズバンドにはまり、漫画は丸尾末広、雑誌は『ガロ』『夜想』『宝島』を読み漁っていた。

 

美術では高校の美術室にあったヒエロニムス・ボスの画集に影響を受ける。悪魔的で、耽美的で、幻想的な画風に惹かれる。今まで読んできた漫画からは、次第に遠ざかるようになり、美術系や演劇系に関心を持ち始める。

 

好きな女の先輩の影響で美術予備校 武蔵野美術学院に入学。真剣に絵の勉強を始める。

 

多摩美術大学美術大学絵画科(油画専攻)に入学し、彫刻と抽象立体を学ぶ。「おたく絵」ばっかり描いていた漫画研究会とは方向性が合わず、演劇部に入部する。後に舞踏活動も行う。

 

美術では、李禹煥、東野芳明、吉増剛造らに教わりながら、もの派、アルテ・ポーヴェラの考え方を魅力的に思い、キーファーやボイスも好きになる。

 

大学卒業後の1990年から高校の美術教師として勤務。

丸尾末広に影響を受けた画風で描いた高校の文化祭パンフレット。
丸尾末広に影響を受けた画風で描いた高校の文化祭パンフレット。
女性キャラの原点となっている江口寿史。
女性キャラの原点となっている江口寿史。
丸尾末広が担当した東京グランギニョルの『ライチ光クラブ』。
丸尾末広が担当した東京グランギニョルの『ライチ光クラブ』。

漫画家デビュー


1994年に憧れの漫画雑誌『ガロ』に掲載された『Palepoli』で漫画家としてデビューする。『Palepoli』は現在の女子高生漫画とは全く別の非常に芸術的な4コマシュールギャグ漫画だった。

 

以後、定期的に『ガロ』に作品が掲載されるようになる。この頃、高校の美術講師をしながら漫画執筆を続けていた。

 

1995年に『COMIC CUE vol.2』に「Death Comi」を掲載。ページ単価で原稿料をもらったのは『COMIC CUE』が初めてだったという。ちなみに当時は1ページ1万6千円。

 

1996年から『週刊ヤングサンデー』で『ショートカッツ』の連載を始める。当初はレオナルド・ダ・ヴィンチの話にする予定だったが、編集会議で通らず、女子高生漫画の話になった。女子高生マンガの印象が強くなってき始めたのはこの作品から。

 

2001年、前衛映画監督の園子温から直接『自殺サークル』の漫画化を打診される。制作期間1ヶ月。170ページのネームを1週間で仕上げる。このとき初めてアシスタントを使用する。

 

2002年、初の週刊連載『π(パイ)』開始。これを機に教職をやめ、フリーの専業漫画家となる。あわせてアシスタントを本格的に使用する。連載は毎週18ページという分量で、一度も休むことなく、2年半続いた。(続く)

『パレポリ』
『パレポリ』
『ショートカッツ』
『ショートカッツ』

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