稲垣征次 /Seiji Inagaki
少年愛万華鏡
ペンネームは少年愛の巨匠こと稲垣足穂からそのまま拝借。1942年台湾生まれ。戦後は福岡にて少年時代を過ごす。少年時代に銭湯や映画館で少年愛の洗礼を受ける。
ゴーギャンやシュルレアリズムなどに影響され、大学生の頃より独学で油絵を始める。
1983年雑誌「薔薇族」5月号・No124誌上にて「金色の少年」というタイトルでデビュー。3枚の作品がグラビアページを飾った。同時に「薔薇族」に入社し、少年愛のイラストを担当。約20年間続ける。
1997年12月号から連載が始まった「少年愛万華鏡」という稲垣のコーナーは、廃刊になるまで続けられ、少年愛の読者の心の支えになったという。少年愛に対する反発がスタッフ間であったが、伊藤文學が最後まで守り通した。
60歳で同社を退職後は、渋谷で5回の個展他、グループ展や企画展に参加している。現在、団地で弟と二人で、僅かな年金だけで暮らしている。