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【アートとは】ジャパニーズ・アート「日本のアート」

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ジャパニーズ・アート / Japanese Art

日本独自の“アート”の概念


現在日本で使われているカタカナ文字の「アート」の起源は、ファインアートとは全く性質の異なるものである。


欧米のart(fine art)は、絵画、彫刻が中心とした視覚美術でありモダンアート、コンテンポラリーアートとその長い文脈を途切れさせないように発展させている。

 

しかし日本における「アート」とは、絵画や彫刻といったファインアートだけでなく、雑貨、日曜大工、料理、工芸などありとあらゆる生産物に対して適用される。


日本の「アート」の起源をたどるには、まず「イラストレーション」という言葉の歴史を遡る必要がある。なぜなら、日本における「アート」は「イラストレーション」に代わる言葉として生まれているからだ。

 

日本には挿絵や装丁、図解、風刺漫画など図版は無数にあったが、まず「イラストレーション」という言葉が現れた。イラストレーションという言葉とともに現れたのは、それまでの挿絵や装丁、図解などとと違う「異質な何か」だった。逆にいうと、その「異質な何か」に対して「イラストレーション」という名前が付けられた

 

このイラストレーションという感性が新しいジャンルを予感させ、人々をイラストレーターという職業にも注目させた。それは、これまでの挿絵に、バウハウスや抽象絵画など、ヨーロッパの前衛芸術的な要素を取り込んだ挿絵だった。1951年に日本宣伝美術協会、いわゆる「日宣美」が発足した。

 

戦後デザインの文脈のなかで、抽象イラストレーションと呼ばれる概念が存在した時期がある。1950年から60年代にかけてのことで、これは、グラフィックデザイナーがイラストレーションも同時に手がけていた時代に語られた言葉で、これまでのように、抽象的な図案を単なるデザインの一要素ではなく、、抽象的な図案をそのまま独立させたものだ。杉浦康平、片山利弘、永井一正、田中一光、木村恒久、勝井三雄などの仕事があげられる。

 

抽象という概念には、具体的な形を便化させたものとともに、幾何学的な形を純粋抽象としてとらえ、コマーシャリズムを担うデザインで、いかに純粋抽象が成立するかという問題提起もなされた。こうした表現の背景には、モンドリアンやバウハウスなどの影響もある。

 

一方、早川良雄は、具象イラストレーションについて、イラストレーターの存在理由を左右するものとして、基礎的な素描力とともに、細密描写を簡略化する能力を身につけ、その造形を1つの個性的な様式に昇華させる能力をあげている。これも、イラストレーションが、具象から抽象的な方向へ向かっていった理由ではないだろうか。

日本のイラストレーターは、雑誌や広告などのマスメディアを媒体としてさまざまな情報の発信者となり、その多くは欧米の「ART」やデザイン、コミックを参照した視覚表現によって世界とつながった感覚をもたらした。また、日本人のアイデンティティを模索し、その時代の思潮をリードする尖端的な個性として認知されていった。

 

1970年代の黄金期を過ぎ、イラストレーションが飽和し始めたとき、次に求められた感性もしくは、それに代わる名前が「アート」だった。これまで日本は、欧米の「ART」や「デザイン」をキャッチアップを続けたが、バブル経済とともに日本が先頭に踊り出ることで、欧米に次に参照するものがなくなった。すると、それまでに蓄積された大量のイメージをイラストレーターが次第に再構築しはじめるようになった。

 

空山基はピンナップガールとメカの合体を薦め、永井博と鈴木英人は風景にケミカル加工を施す。吉田カツが画素を一気に拡大。広告もこれらを採用、機能のほうがイラストレーションに従い始めるという逆転現象が起こり始めた。そのときの「アート」の意味あいとしては、イラストレーターが描く個性的な作品であるというイメージだった。

 

80年代初頭、いよいよヘタウマが社会現象化、湯村輝彦を中心に東京ファンキーススタッフが結成、この流れでスージー甘金、霜田恵美子、高橋キンタローらが現れました。またこの「アート」はこれら個性的なイラストレーターの登場とともに「アート」は「サブカルチャー」ともいわれるようになった。またファインアートの文脈で「ニュー・ペインティング(新表現主義)」と呼ばれることもある。

 

この不文律的に合意された日本の「アート」のイメージをあえて否定する人は、当時、誰もいなかった。なぜならこのイメージと合意の上に、業界紙やコンペティション、受注の仕組みも含めた、多くの商業を成立させてきたからである。欧米の「ART」を支えてきたのは貴族や富裕層だったが、日本の「アート」を支えてきたのはマスメディアで、マスメディアがうまく日本流のアートマーケット(イラスト市場)を成立させてきた。そして、この日本の「アート」の構図の全体が、同時に日本のイラストレーション史でもある。

 

しかし、近年このマスメディアが支えてきた「アート」の構図が壊れてきた。なぜなら、インターネットや電子書籍などの登場により、これまでイスラトレーターを支えてきた出版業界・マスメディアがもう日本には存在しなくなったためである。一方、欧米の「ART」はもともとマスメディアではなく、貴族や富裕層が支えてきたものなのでインターネットや電子書籍の影響は受けずに、今日、グルーバル格差社会を背景に、さらに「ART」が発展している状況になっているといえる。

日本で「アート」という言葉がさかんに使われるようになったのは、自分の体感的な感覚では、だいたい1980年代に入ったぐらいではないでしょうか。


バブルの時期に「アート」という言葉が流行りましたが、やはり理由があったのです。経済的な絶頂期には、とにかくなにも考えなくてもすべてはうまくいきます。おまけに金はなんか知らないがうなるほどある。むしろ使ってくれ、そうでないと困る、と。そんな時、美術がどうとかいう過去のやましい記憶を消し去って、純粋な「いま」を享受しようという心の働きから、「アート」という言葉も生まれました。実に刹那的な理由です。それ以降、「これはアートだね」「ラーメンはアートだ」とか、何でもかんでも「アート」になりました。


けれども、本当のことを言ってしまえば、アートは、その見方を知らなければ、絶対にわからない代物なのです。野球をやるにもルールが知らなければどうにもならないでしょう。にも関わらず、今私たちが「アート」と言う時、ルールを知らずして野球を見るのに近いことをやっています。


いまなお見方もルールもわからないまま、印象派やゴッホを崇め奉っているのです。ほんとうは、印象派の絵などは、鑑賞がとてもむずかしいのです。(反アート入門 椹木野衣)



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