村上隆 / Takashi Murakami
スーパー・フラット
概要
生年月日 | 1962年2月1日 |
国籍 | 日本 |
活動場所 | 埼玉県、ブルックリン |
表現媒体 | 絵画、彫刻、キュレーション、映画 |
スタイル | スーパー・フラット |
公式サイト | Kaikai Kiki |
参考サイト |
村上隆(1962年2月1日生まれ)は、国際的に幅広く活動している日本の美術家。絵画や彫刻などファイン・アートが、活動の中心ではあるが、ほかにもファッション、グッズ販売、アニメーション、映画など、従来はコマーシャル・メディアと見なされている領域でも積極的に活動している。
村上のコンセプトは、一般的に「ハイ」と「ロウ」の境界線をぼかすことで知られており、それを「スーパー・フラット」と呼ぶ。浮世絵や琳派など日本の伝統美術と戦後の日本のポップカルチャーの平面的な視覚表現の両者の類似性・同質性を1つのキャンバスに圧縮して表現。また、スーパーフラットは、戦後日本の無階級で一様した大衆文化も表している。
芸術キャリアにおいても美術史上において特異な存在である。キャリアの初期から日本の美術業界の状況に絶望していた村上は、戦略的に欧米の「アートワールド」で芸術家としての自己を確立することを決める。さらに、欧米で自己を確立したあと、逆輸入する形で日本で活躍しようと試みた新しいタイプの芸術家だった。(草間彌生や奈良美智など以前から逆輸入型の芸術家はたくさんいるが、戦略的ではない。)
また、有限会社『カイカイキキ』の代表であり、多くの人を雇用して芸術を生産する経営者である。ほかに、若手芸術家のキャリア育成や『GEISAI』などのアートフェアの企画・運営、中野ブロードウェイに画廊『Hidari Zingaro』、バー『Bar Zingaro』など多数の店舗を出店している。
ポイント
- スーパーフラット
- 戦略的アプローチ
- 「カイカイキキ」代表であり実業家
略歴
初期作品
村上隆は日本の東京の板橋区で生まれ育った。幼少の頃から漫画やアニメの大のファンで、将来はアニメーション産業で働くことを志望していたという。
二浪ののち、東京藝術大学に入学。アニメーターになるために必要な技能を習得しようと入学したものの、最終的には日本画を専攻することに。1986年に東京藝術大学美術学部日本画科卒業、1988年に同大学大学院美術研究科修士課程修了(修了制作次席)する。
その後、村上は島国根性的で政治色の強い日本の芸術業界に幻滅し、現代美術の方向へ転向する。しかし村上は日本の現代美術の状態に対しても不満だった。日本の現代美術は「欧米トレンドの盗用」と強く感じたという。
村上の初期作品の多くは社会批判や風刺の精神が強かった。1991年に個展『TAKASHI, TAMIYA』を開催し、現代美術家としてデビュー。
同年、東京の細見画廊で行った『賛成の反対なのだ』は、『天才バカボン』のキャラクター「バカボンのパパ」が体現する「真実の曖昧さ」を媒介に、現代の日本の天皇制に潜む主体性や責任の所在の空洞化を批判する試みだった。
また、同年開催された『ランドセル・プロジェクト』は、ワシントン条約で取引が禁止されている稀少動物の皮で作られたランドセルを学習院御用達のメーカーに作らせすることにより、条約自体の恣意性を強く意識させ、子どもの象徴であるランドセルに政治的要素が忍び込んでいることを暗示した。
1992年の『大阪ミキサー計画』はパフォーマンス・アートで、「ハイレッド・センター」のパロディだった。「首都圏清掃整理促進運動」を大阪梅田地下街で再現した。また同年、彼自身のポップ・アイコン『DOB(ドブ)くん』を発表する。彼の初期作品の大半は日本で受け入れられることはなかった。
1993年に、東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程を修了(PhD)。論文「意味の無意味の意味」を提出。これは東京芸術大学における日本画科初の博士号修得である。
ニューヨーク
1994年に村上は、ロックフェラー財団の「アジアン・カルチュラル・カウンシル」から支援を受け、1年間ニューヨークのMoMA PS1の国際スタジオプログラムに参加する。
滞在中、村上は、アンゼルム・キーファーやジェフ・クーンズといった特にシミュレーショニズムの西洋現代美術家に影響を受ける。また同時期にニューヨークに小さなスタジオを建て、そこに、後の「ヒロポンファクトリー」のメンバーたちと制作を行う。なお「ヒロポンファクトリー」は「カイカイキキ」の前身である。
アートワールドにおいては芸術活動の背骨となる中心的概念を作る必要があると強く思い始める。中心的概念の創造は、ヨーロッパやアメリカの主要なギャラリーや施設で展示活動を行うのに必要だった。
そこで、ポップとオタクを合わせた「PO+KU ART」のコンセプトを元にアニメやフィギュアなどオタク文化に近接したアート作品を発表し始める。
戦略的アプローチ
村上は、戦後日本における堅実で持続性のある美術市場の欠乏に対して、早くから不満があることを表明していた。
そうしたことから、最初から戦略的に欧米の「アートワールド」で芸術家として自己を確立することを決める。欧米で確立後、日本へ逆輸入する形で活躍しようとするアートワールドにおいて新しいタイプの芸術家だった。
また、日本文化や日本の歴史をルーツとした芸術制作は、国際的に見ても新鮮であり、表現として有効だったため、帰国後、村上は日本独自の表現とは何かと深く探求し始める。
そして、ハイアートとロウアート(特にアニメや漫画)の境界線を理解した上で、意図的に両方をごちゃ混ぜにする表現を提案した。村上はこれが自身の作品における重要なコンセプトとなると感じる。
以後、村上作品における「かわいい、明るい色、アニメ風キャラ、フラット、光沢、フィギュア」といった要素は、こうしたコンセプトのもとに戦略的に作品に引用されることになる。たとえば、ホノルル美術館に所蔵されている作品で『コスモスボール』などが代表的な作品である。
スーパーフラット
2001年1月から3月に村上はロサンゼルス現代美術館による企画のグループ展『SUPER FLAT』を開催、同タイトルのカタログ上で村上は『SUPER FLAT』理論を掲載。この展示は2000年に渋谷パルコギャラリーで開催した『SUPER FLAT』の展示を基にしている。
スーパーフラット理論の核は、今日の日本のマンガやアニメにおける平面性は日本の美術における平面表現の延長にあるものだというもの。さらに、スーパーフラットは戦後日本の無階級社会や一様で均質的なポップカルチャーを現すものでもあるという。
このスーパーフラット理論は、村上作品における芸術理論の核であり、2002年のパリ、カルティエファウンデーションでの『Coloriage(ぬりえ)』展、2005年のニューヨーク、ジャパンソサエティでの『リトルボーイ』展をはじめ、その後の展示において、さらに深く探求する中心的概念となった。
『SUPER FLAT』展は、2001年7から10月にウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)、11月から2002年3月にヘンリーアートギャラリー(シアトル)に巡回。また、これらの展示では、日本のあまり知られていない文化を海外に紹介することにも貢献した。
『リトル・ボーイ』展は、2005年にニューヨークのジャパン・ソサエティで開催された村上隆が企画するグループ展で、10人の日本人アーティストのセレクションを取り上げた展覧会である。“リトル・ボーイ”の由来は、広島に落とされた原子爆弾のニックネームからきている。原爆の影響によって日本人は幼児的で特殊な奇形的文化を形成。さらにこのような文化を生み出したきっかけはアメリカにもある、というのが村上の主張である。
ヒロポン・ファクトリーとカイカイキキ
1996年に、村上はより大規模な制作を行うためにワークショップ「ヒロポン・ファクトリー」を創設する。当時は村上の回りに集まってきた若者たちの集団というかんじで、それまでのボランティアシステムから、少しづつギャラを払い始めた。
ヒロポン・ファクトリーは、宮﨑駿のスタジオ『スタジオ・ジブリ』のようなアニメやマンガの制作スタジオをモデルにしており、絵画、版画、彫刻などのファインアート作品を集団で制作していた。
2001年にヒロポン・ファクトリーは有限会社「Kaikai Kiki」に名前を変更して法人化した。
ルイ・ヴィトンとコラボレーション
2002年にデザイナーのマーク・ジェイコブスの招待で、村上はルイ・ヴィトンと長期的なコラボレーションを開始。ハンドバッグシリーズのデザインを行なった。
以前にも三宅一生や滝沢直己といったファッションデザイナーとコラボレーションをしていたけれども、ルイ・ヴィトンでの作品は、ハイアートとコマーシャリズムの境界線をぼかした出来事として、大きな評判と名声を獲得することになった。
さらに、ルイ・ヴィトンとの仕事は、母国日本において村上の一般大衆層への知名度を上昇させるきっかけとなった。また、2003年に、黒地あるいは白地にモノグラムをカラフルに配した「モノグラム・マルチカラー」を発表。
現在
2007年から2009年にかけて、村上の初回顧展『村上隆回顧展(C)MURAKAMI』がロサンゼルス現代美術館から始まり、ニューヨークのブルックリン美術館、フランクフルトのクンスト近代美術館、スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館へと巡遊して開催。展示ではルイ・ヴィトンとコラボレーションした作品などが注目を集めた。
2008年、村上は『Time』の『最も影響力のある100人』の一人として選ばれた。
2010年9月、フランスのベルサイユ宮殿で展示を行なった3人目の現代美術家となった。日本人としては初めてである。
2012年2月、村カタールのドーハで個展『Murakami Ego』を開催。100メートルもある壁に福島原発事故後の日本の人々の苦しみを描いた新作が話題となった。
2013年4月、長編映画作品『めめめのくらげ』で映画監督としてデビュー。
2015年、森美術館で個展『村上隆の五百羅漢図展』を開催。翌年3月に成果として平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
出版物
2012年
・創造力なき日本 アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」(角川書店)
2010年
2006年
2005年
・リトルボーイ―爆発する日本のサブカルチャー・アート(ジャパン・ソサエティー イェール大学出版)
2000年
展示履歴
個展
2015
- "Takashi Murakami's Superflat Collection - From Shohaku and Rosanjin to Anselm
Kiefer", Yokohama Museum of Art, Yokohama, Japan
- "The 500 Arhats", Mori Art Museum, Tokyo, Japan
- "Ensō Pop-up show organized by Galerie Perrotin" Kaikai Kiki Gallery, Tokyo, Japan
- "Takashi Murakami" Art Projects, Ibiza, Spain
2014
- "In the Land of the Dead, Stepping on the Tail of a Rainbow", Gagosian New York, USA
- "Arhat Cycle" Palazzo Reale, Milan, Italy
2013
- “Takashi in Superflat Wonderland” PLATEAU, Samsung Museum of Art, Seoul, Korea
- “Solo Exhibition” Galerie Emmanuel Perrotin, Hong Kong
- “ARHAT” Blum & Poe, Los Angeles, USA
2012
- “Flowers & Skulls” Gagosian Gallery, Hong Kong
- "Murakami-Ego", Al Riwaq Hall, Doha, Qatar
2011
- "Homage to Yves Klein", Galerie Perrotin, Paris
- "A History of Editions", Galerie Perrotin, Paris
- "Takashi Murakami", Gagosian Gallery, London, U.K.
2010
- "New Paintings", Gagosian Gallery, Rome, Italy
- "MURAKAMI VERSAILLES", Château de Versailles, Versailles, France
2009
- "I Love Prints And So I Make Them", ARKI Gallery, Taipei, Taiwan
- "I Love Prints And So I Make Them", Kaikai Kiki Gallery, Tokyo, Japan
- "Picture of Fate : I Am But A Fisherman Who Angles In the Darkness of His Mind", Gagosian Gallery, New York, USA
- "Takashi MURAKAMI Paints Self-Portraits", Galerie Emmanuel Perrotin, Paris,France
- "©MURAKAMI", Guggenheim Museum, Bilbao, Spain
- Gagosian Gallery, London, England
2008
-"©MURAKAMI", Museum Für Moderne Kunst Frankfurt am Main, Germany
-"©MURAKAMI", Brooklyn Museum, New York, USA
- "Davy Jone's Tear", Blum and Poe, Los Angeles, USA
- "Oval Buddha at IBM Building", IBM Building, New York, USA
- Takashi Murakami: Prints "My First Art" Series, Kaikai Kiki Gallery, Tokyo
2007
-"©MURAKAMI", MOCA, Los Angeles, USA (October the 28th - February the 11th)
-"Tranquility of the Heart Torment of the Flesh - Open Wide the Eye of the Heart, and Nothing is Invisible", Gagosian Gallery, New York.
2006
- "The Pressure Point of Painting", Galerie Emmanuel Perrotin, Paris, France
2005
- "Opening of Gallery Extension", Galerie Emmanuel Perrotin, Paris, France
- "Little Boy: The Arts of Japan's Exploding Pop Culture", Japan Society, New York,USA
- "Outdoor Banner Installation", Public Art Fund, New York, USA
2004
- "Funny Cuts", Stuttgart Museum of Art, Stuttgart, Germany
- "Takashi Murakami: Inochi", Blum & Poe Gallery, Los Angeles, USA
2003
- "Superflat Monogram", Galerie Emmanuel Perrotin, Paris, France
- "Superflat Monogram", Marianne Boesky Gallery, New York, USA
- "Double Helix Reversal", Rockefeller Center, New York, USA
2002
- "Kawaii", Fondation Cartier pour l'art contemporain, Paris, France; Serpentine Gallery, London, UK
2001
- "Wink", Grand Central Station, New York, USA
- "Mushroom", Marianne Boesky Gallery, New York, USA
- "KaiKai KiKi", Galerie Emmanuel Perrotin, Paris, France
- "Summon monsters ? open the door? heal? or die ?", Museum of Contemporary Art Tokyo, Tokyo, Japan
- "Takashi Murakami: Made in Japan", Museum of Fine Arts, Boston, USA
2000
- "727", Blum & Poe Gallery, Santa Monica, California, USA
- "Second mission Project KO2", P.S.1 Contemporary Art Center, New York, USA
- "Kaikai Kiki :Superflat", Issey Miyake for Men, Tokyo, Japan
1999
- "DOB in the strange forest", Nagoya Parco Gallery, Japan
- "Patron", Marunuma Art Park Gallery, Japan
- "Second Mission PROJECT KO2", Hiropon Factory, Japan
- "Dob's Adventures in Wonderland", Parco Gallery, Tokyo, Japan
- "The Meaning of the Nonsense of the Meaning", Center for Curatorial Studies
Museum, Bart College, New York, USA
- "Superflat", Marianne Boesky Gallery, New York, USA
- "Love & DOB", Gallery KOTO, Okayama, Japan
1998
- "Hiropon Project KoKo_Pity Sakurako Jet Airplane Nos. 1-6", Feature Inc., New York
USA
- "Back Beat : Super Flat", Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan
- "My Lonesome Cowboy", Blum & Poe Gallery, Santa Monica, California, USA
- "Moreover, DOB raises his hand", Sagacho bis, Tokyo, Japan
1997
- Galerie Emmanuel Perrotin, Paris, France
- Blum & Poe Gallery, Santa Monica, California, USA
- Galerie Koto, Okayama, Japan
- "The Other Side of a Flash of Light", HAP Art Space, Hiroshima, Japan
1996
- "727", Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan
- "727", Aoi Gallery Osaka, Japan
- "Feature Inc.", New York, USA
- Gavin Brown's Enterprise, New York, USA
- Galerie Koto, Okayama, Japan
- "Konnichiwa, Mr. DOB", Kirin Art Plaza, Osaka, Japan
- "A Very Merry Unbirthday, To You, To Me!", Ginza Komatsu, Tokyo, Japan
1995
- Galerie Emmanuel Perrotin, Paris, France
- "NIJI (Rainbow)", Gallery Koto, Okayama, Japan
- "Crasy Z", SCAI The Bathhouse, Tokyo, Japan
- "Mr. Doomsday Balloon", Yngtingagatan 1, Stockholm, Suède
1994
- "Fujisan", Gallery Koto, Okayama, Japan
- "Which is tommorow ? - Fall in love -", SCAI The Bathhouse, Shiraishi Contemporary
Art, Inc., Tokyo, Japan
- "Azami Kikyo, Ominaeshi", Gallery Aoi, Osaka, Japan
- "A Romantic Evening", Gallery Cellar, Nagoya, Japan
1993
- "A Very Merry Unbirthday !", Hiroshima City Museum of Contemporary Art, Hiroshima,
Japan
- Gallery Nasubi, Tokyo, Japan
- "A Romantic Evening", Gallery Cellar, Nagoya, Japan
1992
- "Wild Wild", Röntgen Kunst Institut, Tokyo, Japan
- "NICAF'92", Shirashi Contemporary Art Inc., Yokohama, Japan
1991
- Art Gallery at Tokyo National University of Fine Arts and Music, Tokyo, Japan
- Galerie Aoi, Osaka, Japan
- "One Night Exhibition, 23rd August", Röntgen Kunst Institut, Tokyo, Japan
- "I Am Againt Being For It", Galerie Aries, Tokyo, Japan
- Hosomi Contemporary Gallery, Tokyo, Japan
1989
- "Exhibition L'Espoir : Takashi Murakami", Galerie Ginza Surugadai, Tokyo, Japan
"Takashi Murakami : New Works", Café Tiens!, Tokyo, Japan