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【作品解説】グスタフ・クリムト「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I

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アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I / Portrait of Adele Bloch-Bauer I

クリムト「黄金時代」後期で最も完成度の高い作品


概要


『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』は1907年にグスタフ・クリムトによって制作された油彩作品。ブロッホ=バウアーの全身像は2作存在するが、これは最初の作品で、クリムトの「黄金時代」後期のもので最も完成度の高い作品である。2006年6月に156億円で、エスティ・ローダー社社長(当時)のロナルド・ローダーに売却され、現在ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵している。

 

モデル


モデルはアデーレ・ブロッホ=バウアー(1881年-1925年)。彼女ウィーン社交界のセレブであり、クリムトのパトロンであり、クリムトの親友。

 

タイトルは一度変更されたことがある。オーストリアを併合したナチスドイツがブロッホ=バウアー家から絵画を押収し、1940年代初頭に作品を展示する際、著名ユダヤ系一族の女性であることが分からないよう『黄金で包まれた女性』というタイトルに変更されている。

 

 

この作品は、アデーレの夫フェルナンド・ブロッホ=バウアーの注文で描かれたものである。フェルナンドは砂糖産業で巨万の富を築いた実業家で、彼はクリムトの重要パトロンだった。

 

クリムトは絵の完成に3年を要しており、準備を含めると1903年4月から制作を始めている。キャンバスサイズは138cm✕138cmで油彩と金箔が使われ、アールヌーヴォー様式で絵全体に精密な装飾が施されている。

 

アデーレ・ブロッホ=バウアーは、唯一クリムトの絵のモデルに2度なった女性であり、二作目は1912年の『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅱ』である。

アデーレ・ブロッホ=バウアー。1910年頃。
アデーレ・ブロッホ=バウアー。1910年頃。
『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅱ』(1912年)
『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅱ』(1912年)

技法・表現


※制作中

所有権争い


アデーレの意向で『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』は、夫フェルナンドの死後にオーストリア・ギャラリーに寄贈する予定だった。

 

彼女は1925年に髄膜炎で死去。ナチス・ドイツが1938年にオーストリアを併合すると、フェルナンドはプラハへ、ついでスイスへ亡命。クリムト作品を含むオーストリアの彼の財産のほとんどは没収されてしまった。

 

その後、ヒトラーから退廃芸術として廃棄するか、売却するか命令がくだり、1941年にウィーンのベルヴェデーレ宮殿内にある美術館オーストリア・ギャラリーが購入して所蔵。 1945年に夫フェルナンドが亡くなると、資産の後継者としてアメリカに亡命していたマリア・アルトマンを含む甥や姪を指名した。

 

こうした経緯があって、オーストリア政府とアメリカ在住の姪マリア・アルトマンでクリムト作品の所有権争いが発生。裁判の結果、マリア・アルトマンにクリムトの絵5点(そのうちの1つがアデーレの絵)の所有権を認めることになり、クリムトの絵5点はアメリカに送られた。

 

ローダーに売却される2006年まで『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』はロサンゼルスで展示され、2006年6月に156億円で、エスティ・ローダー社社長(当時)のロナルド・ローダーに売却。現在ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵している。



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