印象・日の出 / Impression, Sunrise
印象主義始まりであり印象主義の代表作
概要
作者 | クロード・モネ |
制作年 | 1872年 |
サイズ | 48 cm × 63 cm |
メディウム | 油彩 |
所蔵者 | マルモッタン・モネ美術館 |
《印象・日の出》は1872年にクロード・モネによって制作された油彩作品。48 cm × 63 cm。1874年4月に開催された「画家、彫刻家、版画家などの美術家による共同出資会社第1回展(第一回印象派展)」で初めて展示され、印象主義運動の発端となった作品である。
《印象・日の出》は、モネの故郷ル・アーヴルの港を描写したもので、モネの最も有名な港絵画である。現在、パリのマルモッタン・モネ美術館が所蔵している。
歴史
モネは1872年にフランス北西部の故郷ル・アーブルを訪れた際に、ル・アーブル港を描いた作品シリーズの制作をはじめた。
モネは、ル・アーブル港を「夜明け」「昼」「夕暮れ」「暗闇」など異なる時間帯や異なる場所から描いており、《印象・日の出》はモネのル・アーブル港の風景シリーズの1つである。
数あるル・アーブル港の風景シリーズの中でも、1874年4月にパリのグループ展「画家、彫刻家、版画家などの美術家による共同出資会社第1回展」で初公開された《印象・日の出》が最も有名な作品になった。
このグループ展には、モネのほかに、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスタ・ルノワール、アルフレッド・シスレーなど30人以上の画家が参加し、200点以上の作品が展示され、本展示に冷淡な態度をとる批評家たちを含めて約4000人の人々が来場した。
なお、1985年に本作品は、フィリップ・ジャミンとユーゼフ・キモーンらによって、マルモッタン・モネ美術館から盗難されたことがある。1990年に発見されて美術館に返却され、1991年から再展示されている。
印象と印象主義
モネは対象を描写する際にかすみかかった絵画スタイルにしたため《印象、日の出》というタイトルを付けたと話している。「カタログに記載する作品タイトルを求められたとき、ル・アーブルのリアルな風景が描けなかった。それで、私はその場で"印象"としておいてほしい」と話した」とモネは話している。
追加で説明すると、このタイトルについて美術史家のポール・スミスは、この作品は未完成状態であり、緻密な描写が欠けているという批判を弁明するため、モネは「印象」というタイトルを付けたかもしれないという。しかし、結局、タイトルに関わらず作品は、展示後、批判を浴びることになった。
批評家のルイ・ルロワが、このグループ展のレビュー記事を4月25日付けの新聞紙『ル・シャリヴァリ』に投稿したが、その際に記事タイトルに「The Exhibition of the Impressionists(印象主義の展覧会)」と付けた。
展示された新しい美術様式を説明するためルイ・ルロワが付けた「印象主義」は、同タイトルのモネの絵画作品を見て、批判的な意味で付けたと話している。
作品タイトルは、カタログ作成するあたって早急に付けたと思われるが、「印象」という言葉は特別新しいものではなかった。《印象・日の出》が公開される1874年以前から、「印象」という言葉は画家たちの間で使用されている点に注意したい。「印象」という言葉は、1860年代以前もともとは自然主義、特にバルビゾン派たちの画家たちの間で使われていた鑑賞者にエフェクトを与える技術方法「印象(impression)」から転移したものである。
バルビゾン派と印象派の両方に関わっていたシャルル=フランソワ・ドービニーやエドゥアール・マネは、印象主義が本格的に運動になる以前から、言葉の意味をもともと知っていたといわれる。
その後、「印象」はムーブメント全体を説明する言葉「印象主義(Impressionism)」に変化した。
主題と解釈
《日の出・印象》は、ル・アーブル港の日の出を描写したもので、前景に描かれた2つの小さな小舟と赤い太陽が、絵の焦点ポイントになっている。おそらく初めて絵を見る鑑賞者は具体的な対象はこの2ポイントに絞られるだろう。
しかし、絵画をよくよく見ると、中景には薄くかすみがかった漁船がたくさん描かれおり、また絵の左側には背の高いマストが付いた大型のクリッパー船が描かれているのがわかっる。
背後にかすがかって見える形状のものは、蒸気船やパックボートの煙突である。画面の右側遠方にもほかの船のマストや煙突が描かれている。
港湾海運業の様子を強調するため、モネは桟橋の左側にある既存の住宅を排除して、背景に余計な要素が混じらないようにしている。