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【美術解説】スタンリー・キューブリック「映画史において最も偉大であり後世に影響を与えた監督」

スタンリー・キューブリック / Stanley Kubrick

映画史において最も偉大であり後世に影響を与えた監督


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映画『2001年宇宙の旅』より。
映画『2001年宇宙の旅』より。

概要


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生年月日 1928年7月26日
死没月日 1999年3月7日
国籍 アメリカ
表現媒体 映像
代表作

・『突撃』

・『スパルタカス』

・『ロリータ』

・『博士の異常な愛情』

・『2001年宇宙の旅』

・『時計じかけのオレンジ』

・『バリー・リンドン』

・『シャイニング』

・『フルメタル・ジャケット』

・『アイズ・ワイドシャット』

スタンリー・キューブリック(1928年7月26日-1999年3月7日)はアメリカの映画監督、映画脚本家、プロデューサー。映画史において最も偉大でまた後世に影響を与えた映画制作者として評価されている。

 

キューブリックの映画の多くは長編小説また短編小説の改案で、幅広いのジャンルの横断、ダークユーモア、現実主義、独特な撮影技法、広大なセット、刺激的な音楽が特徴的である。

 

キューブリックはニューヨークのブロンクスで育ち、1941年から1945年までウィリアム H. タフト高校で学んだ。高校ではごく平均的な成績だったが、学生時代からから文学、哲学、映画に強い関心を示し、高校卒業後は映画における制作や演出など制作に必要な全過程を独学で学んだ。

 

1940年代後半から1950年代初頭にかけて『Look』誌で写真家として働いたあと、低予算で短編映画の制作をはじめ、その後、メジャーなハリウッド映画の制作に着手する。

 

ハリウッド映画第一作は、1956年にユナイテッド・アーティスツで制作した『現金に体を張れ』である。これはのちにカーク・ダグラスとコラボレーションをするきっかけとなった。2人は1957年に『突撃』、続いて1960年に歴史スペクタル映画『スパルタカス』を制作する。このころからハリウッド映画制作者としてのキューブリックの評判は高くなる

 

しかし、ダグラスとの協働や制作スタジオで生じる創作性の違い、またハリウッド産業への嫌悪感やアメリカでの治安悪化などの理由で、1961年からキューブリックはイギリスへ移り住む。以後、生涯の大半をキューブリックはイギリスで過ごすことになった。

 

キューブリックは、ハートフォードシャーにあるチルドウィックベリー・マナーという邸宅で妻のクリスチアーネと同居し、同時に執筆や調査、編集、そして制作の細部における管理などを行う仕事を行った。

 

イギリスに移ってからキューブリックは映画制作における自身の芸術性をほぼ完全に自身でコントロールできるようになり、同時に有名なハリウッドのスタジオからも財政的支援も受けた。

 

イギリスで最初に制作した映画作品は1962年の『ロリータ』である。次いで1964年に『博士の異常な愛情』を制作。

 

完璧主義者だったキューブリックは、スタッフに厳しい要求を突きつけていたことはよく知られている。キューブリックは演出から脚本、編集、映画制作プロダクションにいたるまでのほとんどを自ら管理し、また俳優やほかの共同制作者と緊密な繋がりを保ち、自身の作品や演出シーンに細心の注意を払っていた。

 

キューブリックはよく映画で同じシーンを数十回も撮り直しをしたので、俳優たちと多数の衝突を起こしている。たとえば『シャイニング』では2秒程度の撮影に2週間かけ、190以上のテイクを費やしたこともある。そのため、俳優の間では極めて評判が悪かったが、キューブリックの映画の多くは映画史において新しい境地を切り開いた。

 

1968年の『2001年宇宙の旅』におけるイノベーティブな特殊効果や科学的実在論は映画史において前例のないもので、1969年にキューブリックにとって唯一のオスカー視覚効果賞をもたらす作品となった。スティーブン・スピルバーグは『2001年宇宙の旅』について自分の世代における「ビッグバン」と言及し、映画史上最も偉大な映画の1つと評価した。

 

18世紀時代を描いた1975年の映画『バリー・リンドン』でキューブリックはカール ツァイスプラナー50mm f/0.7を使って、蝋燭の明かりだけで室内を撮影した。

 

1980年の映画『シャイニング』では、カメラ技術者のギャレット・ブラウンが開発したステディカム(カメラ安定支持機材)を使い、低いアングルで固定して追跡撮影したことで評価された。

 

キューブリックの映画の多くは物議をかもし、公開時にはさまざまな議論が生じた。なかでおも1971年の『時計じかけのオレンジ』は社会問題にまで発展。映画から影響を受けて殺害事件を起こした少年たちと『時計じかけのオレンジ』との関連性が取り沙汰され、キューブリックのもとには多数の脅迫状が寄せられた。

 

自身と家族の安全を危惧したキューブリックの要請により1973年全ての上映が禁止された。英国での再上映が始まったのは、ビデオが発売されキューブリックが他界した後の1999年になってからであるイギリスでは上映が中断された。

 

しかし、後に本作はアカデミー賞、ゴールデングローブ賞、英国映画テレビ芸術アカデミーなど多数の賞にノミネートされ、高い再評価を受けた。

 

キューブリックの遺作は1990年、70歳で亡くなる直前に制作された『アイズ・ワイド・シャット』である。




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