マルレーネ・デュマス / Marlene Dumas
人種差別や性を主題としたポートレイト
概要
生年月日 | 1953年8月3日生まれ |
国籍 | 南アフリカ共和国 |
表現媒体 | 絵画 |
関連サイト | http://marlenedumas.nl/ |
マルレーネ・デュマス(1953年8月3日生まれ)は南アフリカ共和国生まれの芸術家、画家。現在はオランダのアムステルダムで活動している。
彼女の作品は、セクシュアリティや人種、罪悪感と無邪気さ、暴力や優しさなど、より深刻な問題やテーマに焦点を当てている。
南アフリカのケープタウンがアパルトヘイト(人種隔離政策)の下にあったこともあり、おもに人種差別を主題とした作品を描くことで知られる。デュマスの絵画は肖像画として見られているが、それは人物を表すものではなく、人が置かれているであろう感情的な状態を表している。
デュマスは、友人や恋人のポラロイド写真を参考にして描くことが多く、ほかに雑誌やポルノグラフィも参考にしている。著名な政治家を描くこともある。
また、子供の肖像画やエロティックなシーンも描き、現代アートの世界に影響を与えている。彼女の作品の多くが非常に親密な性的な作品であるため、オリジナル作品として高い評価を得ている。
絵画スタイルは、より古いロマン主義の影響を受けており、薄い絵の具の層と厚い絵の具の層を組み合わせたウェット・オン・ウェットの技法を好んで使用している。
ヴェニス・ビエンナーレ(1995,2005)、ドクメンタ(1982,92)などの国際展で高い評価を得ている。
略歴
人種差別
デュマスは1953年に南アフリカのケープタウンに生まれ、父親がブドウ畑を営んでいた西ケープ州のクイルズ川で育った。
デュマスは1973年に絵を描き始め、南アフリカのアフリカーンス系の白人女性としての政治的不安やアイデンティティへの反省を表現している。
1972年から1975年まで南アフリカ共和国のケープタウンにあるケープタウン大学で学ぶ。その後、1976年にオランダのアムステルダムに移住し、1979年から1980年までアムステル大学に入学し、絵画と心理学を学んだ。
1984年に現在にいたる頭部や全身のポートレイト絵画を始める。1980年代のなかばには「夜の生物の目」というタイトルの絵画シリーズを発表し、人種問題や倫理的不寛容性をコンセプトにした作品を探求するようになり、このコンセプトは以後のデュマスの芸術コンセプトとなった。
1985年の「ホワイト病」は、医療写真を元にした青い目の病気を患わった南アフリカ人女性の絵の作品で、アパルトへイドにおける病気を投影したもので、デュマス自身のお気に入り作品の1つだという。
エゴン・シーレやレオン・ゴラブといった巨匠美術家の影響がデュマス作品には見られると言われている。半透明の白色の塗料は、幽霊のような陰影を帯びさせ、描かれている人物が病気であることほのめかしている。
妊娠と赤ちゃん
1980年代後半から1990年初頭に、デュマスは妊娠と赤ちゃんを主題にした作品制作を始めるようになる。これは1987年にデュマスが娘ヘレナを出産したことが作品へ影響を与えている。このシリーズで最も有名な作品は「現生人類」で、赤ちゃんのポートレイトシリーズである。
ポルノ
1990年代なかばになると、デュマスはアパルトヘイトを主題にした作品に戻る。1998年から2000年にわたって、写真家のアントン·コービンとコラボレーション活動を始め、デュマスは「ストリッピング・ガールズ」というプロジェクトを開。
それはアムステルダムにおけるストリップクラブやピープショーなどポルノを主題にした作品で、コービンがショーで写真を展示する一方、デュマスはポラロイド撮影を行い、その写真を元に絵画制作を行った。
その他の活動
デュマスはいくつかの映画にも出演している。『ミス・インタープリテッド』(1997年)、『アリス・ニール』(2007年)、『ケントリッジとデュマの会話』(2009年)、『未来は今! (2011)、『ねじ込まれた』(2017)などに出演している。
1985年制作の《Jule-die Vrou》の売買で、デュマスは100万ドル以上で取引された3人の現存する女性芸術家のうちの1人となった。
デュマスは、ティルブルクの「芸術産業アカデミー」(AKI)、アムステルダムの「国立芸術アカデミー」、アムステルダムの「アトリエ」(チュートリアルとコーチング)で教鞭をとっている。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Marlene_Dumas、2020年4月29日アクセス