ローズ・セラヴィ /Rrose Sélavy
デュシャンの女装用ペンネーム
概要
ローズ・セラヴィとはマルセル・デュシャンのペンネームの1つ。ローズ・セラヴィは1920年の晩夏から初秋頃に、マルセル・デュシャンの心から生まれ出た。
「自分の人格を男性から女性変えようとしたのではなく、男性と女性の2つの人格を同時にもとうとした」とデュシャンはローズ・セラヴィについて語っています。
ローズ・セラヴィという名前は、フランス語で「Eros, c'est la vie(エロティスムが人生だ)」の発音から取っています。またデュシャンはもともとカトリックの家庭で育ちましたが、これまでカトリックの育ちを打ち消し、ユダヤ系の名を名乗ろうと考え、ユダヤ系の名前に多く見られる「ローズ」という名前をとっています。ローズの綴りをRroseとしたのは、ピカビアの絵画「カコジル酸の眼」にデュシャンがarrose(水をかける)とサインしたことから思いついたといいます。
また、セラヴィというのはフランス語の「C'est la vie(これが人生だ)」という意味です。ユダヤ系的なエロティシズムこそが人生だと言う感じになります。実際にデュシャンがローズ・セラヴィ名義で活動する際は淫らな語呂あわせの作品を制作する機会が多かったようです。
ローズ・セラヴィ名義の作品
ローズ・セラヴィは1921年にマン・レイの写真シリーズで女装した姿で最初に現れました。1920年代を通じて、マン・レイとデュシャンはローズ・セラヴィを通じてさまざまなコラボレーション作品を制作しています。マン・レイが撮影した写真は、デュシャンが編集を手がけたダダイスム雑誌『ニューヨーク・ダダ』の表紙を飾りました。
その後、デュシャンは作品の署名欄に度々、ローズ・セラヴィの名前を書き込むようになります。1921年の「ローゼ・セラヴィ、何故くしゃみをしない」や、リゴーの香水瓶を使った女性的なレディ・メイドのボトル作品「ベラレーヌ: オー・ド・ヴォワレット」や実験映像「アネミックシネマ」などに署名されています。
モデルはベル・ダ・コスタ・グリーン
実業家であるJ.P.モルガンの司書であるベル・ダ・コスタ・グリーンから影響をを受けている可能性は高いといわれています。
J.P.モルガンの死後、グリーンはモルガン・ライブラリの館長となりそこで43年間務めました。モルガンの力により、彼女はモルガンの美術収集品のライブラリを建設し、希少な写本、書物、芸術の売買をおこなっていたようです。
また「グリーンボックス」(1934年)と通称される、デュシャンの文章が書き込まれたノート類が緑色の箱に詰め込まれた作品がありますが、この作品もローズ・セラヴィ名義となっています。「グリーンボックス」のグリーンとはローズ・セラヴィ名義とあわせてベル・ダ・コスタ・グリーンの事を表わしていると思われます。