オノ・ヨーコ / Yoko Ono
前衛集団フルクサスのメンバーでジョン・レノンの元妻
概要
生年月日 | 1933年2月8日 |
国籍 | 日本 |
職業 | 前衛芸術家、歌手、ソングライター、平和活動家 |
ムーブメント | フルクサス、1960年カウンターカルチャー、実験音楽、ダウンタウン・ミュージック |
表現形式 | パフォーマンス・アート、ボーカル、ピアノ |
公式サイト | http://imaginepeace.com/ |
ヨーコ・オノ・レノン(1933年2月18日生まれ)は日系アメリカ人の前衛芸術家、歌手、ソングライター、平和活動家。英語と日本語の両方で行うパフォーマンス・アートや映画製作など非常に多様な方法で表現活動をしている。日本名は小野洋子、オノ・ヨーコ。
オノは1969年から1980年に殺害されるまでイギリスのシンガソングライターでビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚していた。
東京で育ち、ニューヨークで数年間過ごした。彼女は学習院大学に入学したが、2年で退学し、1953年に父の転勤にともないニューヨークへ移る。サラ・ローレンス大学でしばらく過ごした後、前衛集団フルクサスに参加し、ニューヨークのダウンタウンの前衛アートシーンで活躍した。
1966年のロンドンでの個展『未完成の絵画とオブジェ』でオノは初めてレノンと出会い、1968年にカップルとなり、翌年結婚。1969年にアムステルダムとモントリオールでで2人は、マスコミに大々的に取り上げられ新婚旅行を利用してベトナム戦争に反対する抗議デモ平和活動パフォーマンス「ベッド・イン」を実行した。
彼女の音楽におけるフェミニズムの主題は、B-52やメレディスモンクなどの多くのなミュージシャンに影響を与えている。1980年にレノンと共作で発表した『ダブル・ファンタジー』は全英・全米で1位を獲得した。しかし、発売から3週間後の12月8日のレノンが射殺されたことで、レノンの遺作ともなった。
オノの作品に対する一般の評価は時代とともに変わり、おもに1989年のホイットニー美術館支部での回顧展と1992年に発売された6枚組のボックス・セット『オノボックス』で一般的な評価を高めと認識されている。
回顧展は、2001年のニューヨークのジャパン・ソサエティ、2008年にドイツのビーレフェルトとイギリス、2013年にフランクフルトとドイツのスペイン、2015年にニューヨク近代美術館など世界で各地で開催されている。
2009年にはヴェネツィア・ビエンナーレで特別功労賞としてゴールデンライオン賞を受賞、2012年にはオスカー・ココシュカ賞、また応用現代美術におけるオーストリア最高賞を受賞した。
現在、レノンの未亡人としてオノは遺産管理事業を担っており、これまでマンハッタンのセントラルパークのストロベリーフィールドやアイスランドのイマジンピースタワー、埼玉のジョンレノン博物館(2010年に閉鎖)へ資金提供などをした。
ほかにも、芸術、平和、フィリピンと日本の災害救援などほかにもさまざまなシーンで多大な慈善的貢献をしている。2012年、オノはレイナー・ヒルデブラント博士人権賞を受賞。 この賞は、毎年人権に対する並外れた非暴力的なコミットメントを行った人に対して毎年授与されている。
彼女には前夫アンソニー・コックスとの間に生まれた娘キョーコ・チャン・コックスと、ジョン・レノンとの間に生まれた息子ショーン・レノンがいる。ショーンとは音楽でコラボレーション活動もしている。
略歴
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Yoko_Ono、2020年1月3日アクセス