・ルイ・アラゴン
1897年パリに生まれる。詩人、エッセイスト、小説家にしてジャーナリスト。医学生だったが言語の才を発揮。パリのダダ運動に参加してのち、ブルトンやエリュアールらとともにシュルレアリスムの中心人物のひとりとなり、『パリの農夫』(1926年)、『文体論』(28年)など多くの重要な作品を発表。機関紙「文学」「シュルレアリスム革命」の時代を通じて活躍したが、32年には共産党に転じ、82年に亡くなるまで党を代表する作家だった。
・アントナン・アルトー
1896年マルセーユ生まれ、1948年にイヴリーで没する。詩人、演劇理論家、俳優にして演出家。24年にシュルレアリスム運動に加わり、シュルレアリスム研究センターの所長となる。「シュルレアリスム革命」誌上でも活躍したが、彼の代表作はむしろのちに孤立してから書かれたもので、どんな流派の影響もうけていない。麻薬と「残酷」演劇、絶対と陶酔の探究のはてに、その内的体験は彼を狂気へとおいやった。精神病院でデッサンもこころみる。
・ジャン・アルプ
1887年ストラスブールに生まれる。詩人、画家、彫刻家。1913年にケルンでエルンストと出会う。16年、ツァラとともにチューリヒでダダ運動をおこし、19年にはエルンスト、バールゲルトとケルン・ダダで活躍。22年パリに移り、シュルレアリスム運動に参加。25年には最初のシュルレアリスム展に出品(キリコ、エルンスト、クレー、マン・レイ、マッソン、ミロ、ピカソらが加わる)。以来、その作品は現代芸術の原動力のひとつである。66年没。
・ピエール・アレンシスキー
1927年ブリュッセルに生まれる。ベルギーの画家、作家。49年から51年まで、デンマークやベルギーを中心とする芸術家集団「コブラ」を指揮。60年代に入ってからシュルレアリスム運動に参加。彼の絵は表現主義とオートマティックな線描との接点にある。
・モーリス・アンリ
1909年カンブレーに生まれる。ドーマル、ジルベール・ルコント、シマとともに「多いなる賭」の擬似的シュルレアリスム運動に参加。つづいて32年から51年まで、シュルレアリストと交流する。画家、オブジェ作家、素描家であり、マンガのなかにシュルレアリスムを導入した。84年没。
・ジャック・ヴァシェ
1896年パリに生まれ、1919年ナントで自殺。16年、アンドレ・ブルトンはナントの病院で彼と出会い、決定的な感化をうけた。その間の事情はブルトンの『失われた足あと』に詳しい。事故とも自殺ともつかぬその死は、シュルレアリストたちのあいだで一種の英雄伝説に仕立てられた。
・ロジェ・ヴィトラック
1899年ロートのパンカスに生まれ、1952年にパリで没。詩人にして劇作家であり、22年に「文学」誌に加わる。彼は『ヴィクトルあるいは権力下の子どもたち』『トラファルガー決戦』『わが父のサーベル』などにおいて、シュルレアリスム固有のユーモアを演劇に導入している。28年ごろ脱退、のちにバタイユに協力。
・ジョルジュ・エナン
1914年カイロに生まれる。エジプトの詩人。パリに出てシュルレアリスムのグループに加わり、エジプトにもどってから運動をこころみる。48年にカイロでシュルレアリスム雑誌「砂の分け前」を創刊したが、翌年には手をひく。
・ポール・エリアール
本名ウジェーヌ・グランデル。1895年にサン・ドゥニで生まれ、1952年にパリで死す。ブルトンおよびアラゴンとともに、「文学」から「シュルレアリスム革命」にいたるところ、シュルレアリスム運動の指導的グループを形成して活動し、またシュルレアリスムにおける最大の詩人のひとりとみなされもした。エルンストなどの画家たちとの関係も重要で、『見せる』(39年)のような美術論・詩集がある。38年ごろにグループをはなれてコミュニストたちに再接近し、第二次大戦中は抵抗運動に参加。共産党では旧友アラゴンと再会している。
・リヒアルト・エルツェ
1900年ドイツのマグデブルクに生まれ、21年から26年まで、ワイマールのバウハウスで活動。32年にパリでシュルレアリストたちとまじわり、大戦前にスイスへ移ったが、のちにまたドイツにもどる。人間に似た形態をもつ生命体のような風景を描くその作品は、エルンストの作品とともに、ドイツの生んだ力強いシュルレアリスムの表現となっている。
・マックス・エルンスト
1891年ドイツ・ラインラントのブリュールに生まれる。1913年にベルリンで秋季展に出品し、ケルンでアルプに会う。のちにアルプ、バールゲルトとともにケルン・ダダを創始。21年、彼のコラージュははじめてパリに送られ、未来のシュルレアリストたちに霊感をあたえた。翌年パリに出てパリに出て定住し、ブルトン、デスノス、エリュアール、ペレ、クルヴェルらとともに、「眠り」による「自動記述」の最初の実験をおこなう。画家、彫刻家、詩人として、生涯にわたりシュルレアリスムの深さと多様性を体現。『絵画の彼方』(37年)など、シュルレアリスムの絵画論を代表する著述もある。その変幻自在の幻想的な作品には、「コラージュ」や「フロッタージュ」をはじめ、自身の発明になる多くの新手法が用いられている。また偶然の作用にかんする彼の熱心な読解作業は、かつてのロマン派がこころみた諸探究を、もっとも現代的な心理学的方法にむすびつけたものである。大戦中ニューヨークよアリゾナに住んだが、のちパリおよびセイヤンにもどり、76年に没。
・ジャック・エロルド
1910年ルーマニアのピアトラに生まれる。30年からパリにあって、34年以後は断続的にシュルレアリスムに参加。「結晶」ないしは鉱物的構造と、雲や焔の戯れとを交錯させる彼の絵は、こんにちシュルレアリスムの「驚異」がもたらしたもっとも豊かで力強い成果のひとつとなっている。87年にパリで死す。
・エドガー・エンデ
1901年ハンブルクのアルトナに生まれる。画家。ミュンヘンで制作、31年以後同地に住み、ドイツ・シュルレアリスムの一角を占める。作家ミヒャエル・エンデはその息子である。
・メレ・オッペンハイム
1913年ベルリンに生まれ、スイスに住む。画家、オブジェ作業としてシュルレアリスムに参加。行動の自由さを創意に富む性格によって、生活においても芸術においても、もっとも完全な「女性のシュルレアリスト」のひとりであった。85年に没。
・ロジェ・カイヨワ
1913年ランスに生まれる。詩人、批評家。初期には「大いなる賭」のメンバーと交流、32年にブルトンと出会い、シュルレアリスム機関誌に寄稿する。のちにバタイユと接近し、人類学的研究をおこなう。幻想文学・美術の専門家となるが、その理論にはシュルレアリスムと相容れぬ一種の古典主義傾向がある。78年に没。
・レオノーラ・キャリントン
1917年にロンドンの上流階級の令嬢として生まれる。作家、画家。感受性ゆたかに幻想的な妖精世界をくりひろげる彼女の作品は、生来シュルレアリスムの要求に合致しているものだろう。パリに出てエルンストの妻となったが、大戦中に別離を強いられ、スペインの精神病院へ。その後、メキシコに住んで活動を続けている。
・アレクサンダー・カルダー
1898年フィラデルフィアに生まれる。彫刻家。パリで絵を学び、針金で「サーカス」の連作を発表。1932年パリでオブジェ・モビールをはじめる。シュルレアリストとも交流。76年没。
・フリーダ・カーロ
メキシコの女性画家(1907-54)。父はハンガリー系ユダヤ人。母はスペイン人とインディオの混血。25年に交通事故にあい、後遺症を負う。療養中に絵を描きはじめ、強烈な土俗的幻想世界を展開。29年にディエゴ・リベラと結婚、37年には亡命中のトロツキーと、38年にはブルトンと知り合う。40年、メヒコ市でのシュルレアリスム国際展に出品した。
・ジョルジオ・デ・キリコ
1888年ギリシアのヴォロスに生まれる。アーケードや柱廊、謎、人体模型、形而上的風景の画家。カルロ・カッラとともにパリで「形而上絵画」を提唱してアポリネールに認められ、のちにブルトンやエリュアールの熱烈な称賛をうける。エルンスト、マグリット、タンギーほか、シュルレアリストたちにあたえた影響は決定的なものがある。しかし1910年年代後半以後、彼の作品は霊感を喪失し、旧態依然たるアカデミズムへと埋没していったため、一種の幻滅を味わわせた。78年、ローマで没する。
・レーモン・クノー
1903年ルアーブルに生まれる。詩人、小説家、数学者、文献者にして哲学者。そn広範囲にわたる作品は、24年から29年までの間、シュルレアリスム運動に参加していた時期に着手されたものである。28年にはシャトー通りの住民のひとりだった。76年、パリで没。
・ジュリアン・グラック
本名ルイ・ポワリエ。1901年サン・フロラン・ル・ヴェエイユに生まれる。39年の処女作『アルゴルの城にて』において、暗黒小説の伝統とシュルレアリスムとの確固たる結合を示し、ブルトンの称賛をえた。47年ごろからシュルレアリストたちと交流したが、いわゆる運動には参加せず、むしろ孤立を守って着実な作家活動をつづけている。52年『シルトの岸辺』でゴンクール賞に推されたが、拒否。ある意味では、現存のもっともシュルレアリスム的な文章家ともいえる。
・ルネ・クルヴェル
1900年パリ生まれ。35年同地で自殺した。詩人、小説家、エッセイスト、パンフレット作者であり、シュルレアリスム運動の最初期の参加者のひとり。20年に心霊術の手ほどきをうけ、「眠りの時代」の発端を画する。早すぎた死のために彼の才能はじゅうぶんな開花を見たとはいいがたいが、この運動にはめずらしい同性愛者として、また哲学の研究者として、独自の思索、深い苦悩につらぬかれた作品群をのこしている。
・ジョゼフ・クレパン
1875年エナン・リエタール生まれ、1948年に死す。38年、63歳にしてはじめて絵を描きはじめた霊媒画家。彼の緻密な「不思議絵画」は、ブルトンをはじめとするシュルレアリストたちを感嘆せしめた。
・アーシル・ゴーキー
1905年アルメニアのホルコム・ヴァリに生まれる。表現派的傾向のある画家だが、ニューヨークでマッタやブルトンと会い、彼らから影響をうけた。彼の絵は多感な個性と悲劇的な生活の表現ともいえる。48年、苦悩のはてに絞首自殺。
・ジョルジュ・サドゥール
1904年生まれ。ナンシーでティリヨンらと交流、ともにパリへ出てシャトー通りに住み、シュルレアリスムのグループに加わる。29年、兵学校の生徒を公然と侮辱したため投獄されそうになる。それを逃れるためもあって、アラゴンとハリコフの作家会議へ。その後グループを離れ、映画史の領域で精力的な仕事をする。67年没。
・ジョゼフ・シマ
1891年プラハに生まれる。「大いなる賭」グループの芸術面での代表者。神秘主義的発送をもつ彼の絵は、瞑想の実践から生まれた内的生活の啓示を表現している。
・アルベルト・ジャコメッティ
1901年グリゾン(スイス)のスタンパに生まれる。29年、まず離教派シュルレアリストたち(バタイユ、レーリス、ランブール、マッソン、ヴィトラック)とまじわり、ついで31年から34年にかけて、ブルトンら公認の「グループ」に接近。その後は孤立しながらも、彼の作品は世界的な名声を得ている。シュルレアリスムのもっとも美しい彫刻、シュルレアリスムにおいて考えられるもっとも力強いオブジェは、彼のものであったといえるかもしれない。66年死去。
・マルコルム・ド・シャザル
1902年モーリシャス島のヴァコアスに生まれる。18世紀に移住したスウェーデンボリの弟子の後継で、彼自身もこの神秘思想家の影響を強くうけている。同島でひそかに活動していたが、47年、特異な散文集『サンス・プラスティック』によってブルトンに認められ、以来シュルレアリストと交流する。81年没。
・ルネ・シャール
1907年ヴォークリューズのリール・シュル・ソルグに生まれる。30年から37年まで運動に参加し、30年代におけるもっとも有力なシュルレアリスム詩人nひとりとなる。しかし、戦後の詩集に響いている深い歌声は、あらゆる限定をこばむものとなっている。88年に死去。
・マルセル・ジャン
1900年ラ・シャリテ・シュル・ロワールに生まれる。画家、詩人、批評家。パリに出て30年ごろからエルンストと交流。32年にシュルレアリスムのグループに加わり、「革命のためのシュルレアリスム」「ミノトール」誌に協力。戦後は「フロッタージュ・ポエム」などをこころみる。59年、ハンガリー人アルパード・メゼーと、『シュルレアリスム絵画の歴史』を出版。93年没。
・インドリヒ・シュティルスキー
1899年チェルムナ生まれ、1942年プラハに死す。チェコスロヴァキアの画家。34年にプラハのシュルレアリスム集団を設立し、妻ワイヤンとともに指導者となる。色彩を使ったコラージュの開発者としても知られ、死の直前には聖職者侮辱のコラージュ集を仕上げた。
・フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン
1899年ベルリン生まれ。苦悩の半生をへてのち、1956年に自己流の絵を描き始める。狂気をはらみ、自然発生的にシュルレアリスムを体現するその作品は、ブルトンらによって熱く迎えられた。長く西ベルリンの「壁」の近くに住み、82年に没。
・ヤン・シュヴァンクマイエル
1938年プラハ生まれ。57年から人形劇、コラージュ、オブジェ制作を開始、63年以来、特異な魔術的アニメーション映画をつぎつぎに発表。現在なお戦闘的シュルレアリストを自称し、妻エヴァとともに独自の運動を展開している。
・ロジェ・シルベール・ルコント
1907年ランス生まれ。43年にパリで自殺。詩人、「人工楽園」の探索者であり、シュルレアリスムに近い雑誌「大いなる賭」の中心人物のひとり。過敏で深遠な人格の持主で、物質世界に順応しがたく、その形而上的関心と行動のダンディスムによって、一種の「世紀病」を体現した。
・スキュトネール・ルイ
1905年ベルギーのオリニーで生まれる。詩人、エッセイスト、アフォリズム作家、26年にマグリット、メサンス、ヌージュ、ゴーマンらのベルギー・シュルレアリストのグループ展に参加。夫人もまた詩人で、イレーヌ・アモワールの筆名で書いている。87年没。
・フィリップ・スーポー
1897年セーヌ・エ・オワーズのシャヴィルに生まれ、パリでくらす。大ブルジョワ家庭出身の詩人、作家。「文学」誌の同人とともにパリのダダ運動に参加し、ついで初期シュルレアリスム運動の一員となったが、1929年に除名され、小説家、旅行家、ジャーナリストとして多彩な後半生をおくる。アンドレ・ブルトンとの共作で、「オートマチック」な最初の作品『磁場』(20年)を書いたことは忘れられない。長命だったせいかさまざまな回想録をのこし、90年に没。
・マックス・ワルター・スワンべリ
1912年スウェーデンのマルメに生まれる。画家。56年ごろ、シュルレアリスムと接触。ブルトンをして「生涯のもっとも大きな出会いのひとつ」といわしめた。想像上の妖精世界を現出させしめる彼の作品は、理想主義的サンボリスムの画家と共通のものをもっている。
・ケイ・セージ
本名はキャサリン・リン・セージ。アメリカの女性画家、詩人。1898年オーバニーの裕福な家庭に生まれ、イタリアへ。ついでパリにわたる。1937年にシュルレアリストたちと出会い、タンギーと結婚。合衆国にもどって夫婦でウッドベリーに住む。期待と不安をたたえた「ゴースト・シティ」のごとき光景を描きつづけたが、61年、夫タンギーを追うようにして自殺。
・エメ・セゼール
1912年ロランに生まれる。マルティニック島の偉大な黒人シュルレアリスム詩人。当地の雑誌「正当防衛」や「熱帯」、39年に発表した『帰郷手帳』などによってブルトンに迎えられる。
・クルト・セリグマン
スイス出身の画家(1901-62)。34年ごろからシュルレアリスムに接近、38年の国際展では「超家具」と称するオブジェを出品して話題をまいた。以後は魔術の研究に没頭、著述家として知られる。第二大戦中はニューヨークにあり、44年ごろまでシュルレアリスムに協力。
・カレル・タイゲ
チェコの詩人、芸術理論家でコラージュ作家(1900-51)。両大戦間の同国の前衛芸術運動の中心的役割をはたす。34年、プラハにシュルレアリスム集団を結成、理論的指導者となる。写真コラージュや詩的タイポグラフィーにも注目すべきものがあった。
・瀧口修造
1903年富山県生まれ、79年東京に死す。詩人、批評家。26年ごろ西脇順三郎を通じてシュルレアリスムを知り、28年に『地球創造説』を発表。また30年にはブルトンの『超現実主義と絵画』の翻訳を出版し、以来多くの詩作、美術論、翻訳などによって、日本におけるシュルレアリスムの体現者となる。大戦中は投獄されたが、戦後になってもその立場は一貫して変わらず、若い尖鋭な芸術家たちの精神的支柱となる。ミロ、デュシャンらとも交流。現在、『コレクション瀧口修造』を刊行中。
・ドロテア・タニング
1913年、移民スウェーデン人の娘として、合衆国イリノイ州のげイルズバーグに生まれる。42年にジュリアン・レヴィ画廊でエルンストと出会い、46年に結婚。夢想的ヴィジョンを描くレアリスムから出発したが、しだいに地平の風景をもたぬ揺れ動く空間や、官能と野生にみちた幻の舞台へと移行した。パリおよびセイヤンに住む。
・サルバドール・ダリ
1904年、スペインのフィゲーラスに生まれる。画家、著述家。未来派やキュビスムの段階をへたのち、29年ごろパリでシュルレアリスムに加わり、詩人たちから熱狂的に迎えられた。「偏執狂的批判的」方法の発明者である彼の絵は、アカデミックな技巧を駆使して幼児期的妄想を綿密に描き出す。のちに、たえざる自己宣伝とスキャンダリズムの結果もあって世界的な名声を得たが、ブルトンらシュルレアリストのグループからは除名された。戦後は原子物理学やカトリック教に色気を出す。カタルーニャのカダスケに妻ガラとともに住み、89年に没。
・イヴ・タンギー
1900年にパリで生まれる。55年に合衆国コネティカット州のウッドベリーで死去。ブルターニュの家系の出で、この半島の風土、ケルト的想像界とのむすびつきを自覚。21年からプレヴェールらと知り合い、25年にはシュルレアリスムに参加、独学で驚くべき作品を描き続ける。39年には合衆国へ亡命して市民権を得、画家ケイ・セージとともにくらす。画家として、芸術におけるシュルレアリスムを代表するすばらしい連続的作品をのこして去ったが、それらは無意識および幼年期の深い源泉に汲み、なにか本質的なイメージの世界を現出させたものである。
・トリスタン・ツァラ
1896年ルーマニアのモイネシュテぃに生まれる。1963年にパリで死んだ。詩人だが、彼の名は概してダダ運動そのものと同一視される。事実、16年チューリヒでダダを創始し、そのもっとも活発な指導者となった。20年、パリにあらわれて「文学」誌グループとまじわる。この雑誌運動の延長であるシュルレアリスムからは最初ははなれた位置にいたが、28年に参加。だがのちにふたたび離脱して共産党に入党、抵抗運動にも加わった。その光彩陸離たる作品群はこんにち再評価されつつある。
・アンドレ・ティリヨン
1907年生まれ。24年ごろ、ナンシーでサドゥールやフェリーとつきあう。25年に共産党に入党、他方シュルレアリスムに強い関心をいだく。27年にパリに出てブルトンらと出会い、32年までシャトー通りに住む。「革命のためのシュルレアリスム」誌の時代に政治面で活躍し、その後はなれてゆく。88年、回想記『革命なき革命家たち』を発表。
・ロベール・デスノス
1900年パリ生まれ。45年、チェコスロヴァキアのテレジン収容所で死んだ。「オートマティスム」をはじめて実地に生きた詩人のひとり。みずから催眠術をかけて眠りに入り、口述記述によって驚くべきテクストを書き続ける。『自由か愛か!』(27年)など。長くシュルレアリスムの主力メンバーのひとりだったが、29年の抗争の末に運動を去り、ジャーナリズムの世界で活躍した。
・デュアメル、マルセル
1900年パリ生まれ。映画俳優にしてアメリカ文学の翻訳者。24年、シャトー通りに居をかまえ、プレヴェール、タンギーのグループを同居させる。行動のシュルレアリストである彼は、のちに「黒のシリーズ」を企画・編集した。77年に死す。
・マルセル・デュシャン
1887年ノルマンディーのブランヴィルに生まれる。ジャック・ヴィヨンおよびレーモン・デュシャン・ヴィヨンとは兄弟である。1913年、旅行中のニューヨークで、『階段を降りる裸体』がスキャンダラスな成功をおさめる。第一次大戦後にパリにもどり、しばしばシュルレアリスムに協力。25年にとつぜん制作を停止し、以後さまざまな造型表象や言葉の遊戯などによって、芸術における「創造」の神話を失墜させてゆく。こうしてシュルレアリストたちからは現代芸術の鍵になる人物とみなされていたが、50年代に入って、とくに若い芸術家たちが彼の作品にあらたな魅力を見出すようになる。自分の活動について質問をうけたとき、彼は「私は呼吸器具である」と答えた。68年に死去。
・ジャン・ピエール・デュプレー
1929年ルーアンに生まれる。詩人でもあり、彼の書物『その影の背後に』はブルトンの序文を得た。冶金師となり、のちに彫刻をはじめる。59年にパリで自殺。
・ポール・デルヴォー
1897年ベルギーのアンテーに生まれる。イタリア、フランスの旅行の途上、シュルレアリスムを発見。彼の絵は、16世紀のマニエリストたちの女性像や、アントワーヌ・ヴィールツの『美女のロジーヌ』や、キリコの柱廊や機関車などを、夢遊病者たつ裸婦の歩む想像世界のうちに統一している。運動には直接参加しないまま、シュルレアリスム展にしばしば出品。長くブリュッセルに住んだが、94年に没。
・エンリコ・ドナーティ
1909年ミラノ生まれ。34年から40年までパリに住む。合衆国に亡命してブルトンに会い、48年からシュルレアリスムに参加。オートマティスムを応用する彼の画風は、当時かなり清新なものであった。
・ルネ・ドーマル
1908年アルデンヌ生まれ。44年パリに死す。詩人にして作家、批評家、インド文学の研究者。15歳のころから「呪われた詩人たち」や隠秘学に興味をいだく。ランスの高等中学の友人ジルベール・ルコントやロジェ・ヴァイヤンとともに「ル・グラン・ジェ」誌をはじめ、シュルレアリストたちと接触。のちにアルプスの近くを転々とし、シュルレアリスム的な未完の小説『類推の山」をのこす。
・オスカル・ドミンゲス
1906年カナリア諸島のテネリーフェに生まれる。画家。35年からパリでシュルレアリスムに加わり、「デカルコマニー」の方法を創始。きわめて特異な「超現実的オブジェ」なども制作したが、58年の大晦日、パリで自殺。
・クロヴィス・トルイユ
1889年ラ・フェールに生まれる。広告用の蝋人形をつくるかたわら、自己流のエロティックなタブローを描いていたが、30年シュルレアリストに発見される。しかしグループには加わらず、あくまで傍系のシュルレアリストとして、露骨な見世物風の夢想場面を構成しつづけた。75年没。
・トワイヤン
1902年チェコスロヴァキアに生まれた女性画家、詩人。36年にプラハでシュルレアリスム集団を創立し、夫シュティルスキーとともに活動。第二次大戦下のプラハで深い苦悩を体験したが、『眠る女』などを描いたのちに、パリに移住。当地ではブルトンとそのグループにどこまでも忠実に、独特の優美な想像的世界をくりひろげていった。80年没。
・ピエール・ナヴィル
1903年パリの裕福な家庭に生まれる。「シュルレアリム革命」誌の編集委員として活動したが、27年に決別。以後もっぱら政治運動に身をゆだね、やがてトロツキーを支持、第四インターナショナルの創立に一役かう。シュルレアリスムと共産主義の接点にあった重要人物のひとり。妻ドゥニーズも忘れがたいそんざいである。
・ポール・ヌージェ
1895年ボルドー生まれ。詩人、エッセイスト。マグリット、メサンスとともにベルギー・シュルレアリスムの指導的存在。「ディスタンス」「コレスポンダンス」「マリー」「ドキュマン34」「レ・レーヴル・ニュー」などの雑誌に散逸していた彼の作品は、『笑わぬことの歴史』に集成された。1967年没。
・ヴィステラフ・ネズヴァル
1900年プラハに生まれる。詩人、チェコのシュルレアリスム運動の推進者のひとり。33年にパリでシュルレアリストたちと出会い、翌年プラハに集団をつくる。35年にはブルトンとエリュアールを招待する。38年からは方向を変え、共産党員として活動するようになった。58年没。
・マルセル・ノル
ストラスブールに生まれる。1923年ごろからグループと交流、24年の『シュルレアリスム宣言』では正式メンバーに加えられている。「シュルレアリスム革命」誌にも自動記述や夢物語を発表、27年にはジャック・カロ通りに「シュルレアリスム画廊」を開設するなどしているが、32年にアラゴンを支持して運動からはなれる。
・エンリコ・バイ
1924年ミラノに生まれる。51年ごろ「核運動」グループの一員として出発し、59年のシュルレアリスム国際展を機に運動に加わる。ガラスや布や木材などを縦横に用い、既成の風景画や静物を転置して独特の想像世界をつくる。
・インドリヒ・ハイズレル
1914年クラスト生まれ。53年パリに死す。トワイヤン、シュティルスキーとならぶチェコ出身の代表的シュルレアリスト。38年プラハのシュルレアリスム集団に加わり、47年にはパリに移って、翌年から雑誌「ネオン」を編集。
・オクタビオ・パス
1914年メキシコ生まれ。今世紀の同国を代表する詩人、批評家。31年、シュルレアリスムの影響下に前衛雑誌「バランダル」を創刊、詩を発表しはじめる。37-38年にヨーロッパを旅し、ブニュエルやデスノスと出会う。メキシコではペレやカリントンとも交流。戦後にはパリでブルトンと親密な関係をむすび、一時シュルレアリスムのグループに協力。
・モーリス・バスキーヌ
1901年ロシアのハリコフに生まれる。神秘思想家でもあり、「ファンタゾフィー」を創始した。46年から51年にかけてシュルレアリスムに協力。奇怪な象徴的絵画を描き、ブルトン『秘法17』の豪華本にエッチングを添えた。
・ジョルジュ・バタイユ
1897年ビロンに生まれる。今世紀西欧を代表する、だがきわめて特異な思想家、作家。異常な少年期をおくったのち、パリで国立古文書館に勤める。1920年代にはシュルレアリスムを羨望しつつ批判し、29年創刊の「ドキュマン」誌で論陣を張る。30年代なかばにはブルトンとも協調関係をもったが、37年に「社会学研究会」を組織してシュルレアリスムの脱退者を集める。強力な「敵対者」の位置を占めたが、晩年にはブルトンとのあいだに相互理解があったといわれる。62年没。
・バルテュス
1908年パリに生まれる。画家。バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラが本名で、作家ピエール・クロソフスキーの弟。直接シュルレアリスム運動に加わったことはないが、34年の最初の個展がブルトンらに注目され、「ドキュマン34」や「ミノトール」誌などを通じて紹介された。幼児性と虚妄性が顕著な、沈黙にみちたエロティックな画面を構成し続けている。
ヴォルガング・パーレン
1907年ウィーン生まれ。59年にメキシコで自殺した。画家、エッセイスト、理論化であり、最初アブストラクトの段階を踏んでいたが、30年から41年までシュルレアリスム運動に加わる。フランス、ドイツ、イタリアで学んでから39年までパリに住み、以後メキシコに移ってシュルレアリスム的な雑誌「ディン」を創刊。火焔でカンバスを焦がす「フュマージュ」の発明者でもある。
・ジャック・バロン
1905年パリに生まれる。17歳にして運動に加わり、シュルレアリスム詩人の秘蔵っ子といわれる。アポリネールの影響いちぢるしい『アリュール・ポエティック』(25年)は、のちに『海の木炭』(49年)へと発展した。
・シモン・ハイタイ
1922年ハンガリーのビアに生まれる。49年にはパリで、シュルレアリスムの影響下に、特異な幻想的人物像を描き始める。しばらく孤独な生活をおくっていたが、52年にブルトンらに迎えられる。しかしそれ以後、彼はむしろジョルジュ・マテューのグループに接近し、55年にシュルレアリスムを離れた。
・アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
1909年パリに生まれる。考古学をおさめてのち作家活動に入る。早くからシュルレアリスムに共感をもち、47年には運動に参加したが、むしろ超然とした位置にあることを好み、しだいに直接活動からは遠ざかる。「驚異」と「異様」、黒いユーモアと残酷なエロティスムにみちた彼の小説は、現代幻想文学の最高峰のひとつをなす。美術・文学批評にも優れたものがある。95年没。
・パブロ・ピカソ
1881年スペインのマラガに生まれる。ブルトンの『シュルレアリムスと絵画』によって芸術家の頂点にある者とされ、1938年ごろまでシュルレアリスムの一員とみなされる。彼自身シュルレアリスム「グループ」の集会にはしばしば参加し、その大きな影響をうけている。戦後には共産党員となって批判を浴びる。その生涯と作品については、ローランド・ペンローズの『パブロ・ピカソ』(58年)などがある。73年に没。
・フランシス・ピカビア
1879年キューバの外交官の子としてパリに生まれ、1953年同地で死んだ。その名はダダおよびシュルレアリスムと切り離すことができない。はじめ、13年ニューヨークのアーモリー・ショーに出品、つづいてツァラやアルプと知り合い、19年にはパリにもどってシュルレアリストたちとまじわる。現代芸術におけるさまざまな新傾向の先駆者だったが、彼自身はけっして一派の一手法のみにとどまらない。詩人、画家であり、意想外でしかも優美なふるまいに出る「ダンディー」でもあった。彼の影響をうけた芸術家や詩人の数はいやましている。
・レオノール・フィニ
1908年アルゼンチンに生まれた女性画家。両親はトリエステ人。退廃的な魔術の画家であり、レズビアン的幻想家であり、すでにラファエル前派に滞在していた「超現実化」の傾向を再現してみせる。パリに住み、96年に死す。
・ルイス・ブニュエル
1900年スペインのカランダに生まれる。20年パリに出て音楽などを研究していたが、28年にはシュルレアリスムのグループとまじわり、その理論と志向に刺戟されて最初の映画を制作する。『アンダルシアの犬』(28年)、『黄金時代』(30年)がそれであり、「シュルレアリスム映画」の衝撃と名声を世界に広めた。のちにメキシコに渡り、晩年はフランスでも映画を撮ったが、いずれの作品にもシュルレアリスムの刻印がある。83年メキシコで没。
・ジャン・ブノワ
1922年カナダのケベックに生まれる。47年以後、妻のミミ・パランとともにパリに住む。寡作の画家であるが、絵画ならぬイヴェント『サド侯爵の遺言執行式』(49-50年)によって一躍注目されるようになる。59年、シュルレアリスムに参加。
・プラシノス、ジゼール
1920年イスタンブールに生まれる。14歳のときブルトンに発見され、「ミノトール」および「ドキュマン34」誌上に数篇の詩が紹介された。15歳で最初の詩集を出版、のちにいくつかの小説を書く。その初期作品は「詩人だれもが彼女をねたむ」といわれた。
・テオドール・フランケル
1896年パリに生まれる。1964年に死す。精神病医。高等中学時代からブルトンの同級生であり、ともにパリ大学の医学部に進む。「文学」誌、ダダ、初期シュルレアリスムの時代を通じて交友をつづけ、各運動の貴重な目撃者であったが、彼自身は文学的活動を好まず、作品はなにものこしていない。妻ビアンカとバタイユの妻、マッソンの妻とは姉妹であった。
・アンドレ・ブルトン
1896年オルネ県のタンシュブレーに生まれる。詩人、エッセイスト、オブジェ作家であり、シュルレアリスム最大の理論化である。パリの初期ダダ運動において重要な役割をはたしたが、21年ツァラおよびダダと決別。24年に『シュルレアリスム宣言』を起草して以来、この運動の理論的支柱となる。『ナジャ』(28年)や『シュルレアリスムと絵画』(同)、『通底器』(32年)や『狂気の愛』(37年)など、その多くの著作は青春の活気をよびおこし、現代の芸術、文学、美学および倫理に絶大な影響をおよぼした。第二次大戦中にはニューヨークに亡命、46年にパリにもどってからも運動をつづけ、正統シュルレアリスムの最高具現者としてその聖堂を守り続けたが、66年にパリで死去。
・ジャック・プレヴェール
1900年パリに生まれる。25年、弟のピエールや友人のデュアメル、タンギーらとともにシュルレアリスムに参加、32年に離反した。言葉の自由奔放さと、日常生活のなかに驚異を見出す鋭い感覚によって、その詩は当代のもっとも豊かなものに数えられる。また俗謡や映画のなかにシュルレアリスムを導入。たとえば、マルセル・カルネが監督した彼のシナリオに、『天井桟敷の人々』『悪魔が夜来る』などがある。77年没。
・ピエール・プレヴェール
1906年パリに生まれる。ジャックの弟で、おなじく映画制作に従事するが、その作品には驚異とユーモアとの遭遇があり、シュルレアリスムが生かされている。『さらばレオナール』『大クラウスと小クラウス』など。
・ヴィルヘルム・フレディー
1909年コペンハーゲンに生まれる。おそらくデンマークにおける最初のシュルレアリスム画家。彼の展覧会は毎回スキャンダルの種をまいているが、とくに「超現実的オブジェ」の奔放な表現には見るべきものがある。47年のシュルレアリスム国際展などにも参加した。
・ヴィクトル・ブローネル
1903年ルーマニアのピエトラ・ナムツに生まれる。画家、彫刻家。25年にパリに出て、キリコやシュルレアリスムの画家たちの影響をうける。32年にタンギーの紹介で運動に参加。当時、片目の自画像を描いたが、38年にドミンゲスらとの喧嘩のさいにその片目を喪失。個人的な妄想と、集合的無意識の産物とおぼしい象徴的イメージの総合を追求しつづけ、すこぶる特異な絵画世界の実現にいたる。66年没。
・デヴィッド・ヘア
1917年ニューヨークに生まれる。画家であり、オートマティスムをよりどころとする。第二次大戦中、ニューヨークに亡命してきたシュルレアリストたちを迎え入れ、ブルトン、デュシャンとともに雑誌「W」を創刊。「ケミカル・ペインティング」(42年)などの方法でも知られる。
・ハンス・ベルメール
1902年ポーランドのカトーヴィツェに生まれる。画家、素描家、写真家。変形可能のフェティッシュ的オブジェ「人形」の作者。36年にナチスをのがれてパリに移住し、シュルレアリスムに参加。戦後は妻ウニカ・ツュルンと悲劇的な生活をおくる。彼の数多いデッサンには、固有の心理的・性的発想が示されていた。75年没。
・バンジャマン・ペレ
1899年ナント近郊のレゼに生まれる。1959年にパリで死んだ。シュルレアリスム運動を代表する詩人のひとりであり、生涯を通じて忠実なシュルレアリスムの使徒だった。幻想味と挑戦的態度に柔和な性格の入り交じる彼の作品は、日常言語から汲まれた尽きせぬイメージの花火であり、シュルレアリスムの定義に合致するものでもある。革命の闘士としての一徹な態度もまた同様であった。ピエール・ナヴィルとともに、「シュルレアリスム革命」の最初の編集人をつとめる。スペイン内乱時には反フランコ軍に参加。第二次大戦中はメキシコにわたり、2つの重要な『アンソロジー』の著者となる。
・ローランド・ペンローズ
1900年ロンドンに生まれる。26年からピカソ、エリュアール、エルンストと知り合い、イギリスにおけるシュルレアリスムの指導的存在となる。詩人、写真家、画家でもあり、きわめて特異なコラージュをつくる。83年没。
・ジャック・アンドレ・ポワファール
1902年生まれの写真家、画家、詩人。21年に「固ゆで卵」詩のグループの中核となり、34年にシュルレアリスム運動に参加。もともと医学生だったが、マン・レイの助手となって写真の道に入る。「シュルレアリスム革命」誌に協力しつづけるが、29年にはブルトンと対立し、以後グループを離れた。61年没。
・ルネ・マグリット
1898年ベルギーのレシーヌに生まれる。1925年ごろから幻想に没頭していたが、27年にパリのシュルレアリストたちと知り合って以来、異常なものへの感覚をさらに強め、人関関係では対立のあったものの、生涯シュルレアリスムの表現思想に忠実だった。人を面くらわせるような彼の作品の形而上的性格は、「神秘の巨匠」の名に恥じない。単純で正確な絵画表現をもって、事物をその日常的な意味から引き離し、本質的存在いおいて復元するべくつとめる。エルンストやタンギーとともに、シュルレアリスムの生んだ偉大な「描写派」のひとりである。67年没。
・アンドレ・マッソン
1896年オワーズのバラニーに生まれる。1922年にミロと親交をむすび、つづいてランブール、バタイユ、レーリスと知り合って、24年、シュルレアリスム運動における最初の画家のひとりとなる。彼のオートマティックなデザインは、ほとんど毎号のように「シュルレアリスム革命」誌を飾った。のちに「存在の神話学」「生贄」など、多分に形而上的な探求に没頭し、大きな成果をあげる。87年没。
・マッタ
1911年チリのサンティアゴに生まれる。35年からパリでル・コルビジエの建築アトリエにいたが、38年にブルトンとシュルレアリストたちに認められ、運動に加わる。第二次大戦中はニューヨークに移住し、45年から48年までのあいだ、その混沌としたオートマティックな宇宙的画面の表現によって、海外におけるシュルレアリスムの革新者の地位を築く。のちちにその作品は一種の革命的政治観がくわわる。
・ピエール・マビーユ
フランスのエッセイスト、医学者(1902-52)。「ミノトール」誌の時期にシュルレアリスムに接近、同誌上で清新な芸術論を展開した。多分に神秘的な傾向をもち、知られざる「不思議」作家の系列を発掘・研究する。
・ロール・マリー
パリに生まれる。夫のシャルル・ド・ノアイユ子爵とともに、シュルレアリスムをはじめて支援し、世に紹介したメセナのひとり。彼女の絵は驚異の小径を歩んでいる。
・ドラ・マール
ユーゴラスビア生まれの写真家、画家。一時マン・レイの助手にしてモデル。1935年から37年にかけてシュルレアリスムを通過したころには、のちに孤独な隠遁生活は予想されなかった。修道女のように神秘体験を追い、俗世との交渉を経つ。
・ジョルジュ・マルキーヌ
画家、詩人(1898-1969)。ロシア人とデンマーク人のヴァイオリニストの子としてパリに生まれる。24年、最初の運動参加者のひとりとなって、ブルトンらとまじわる。俳優、校正係、旅芸人など、数多くらの職人をもった。のちに合衆国に移り、絵を描き続ける。「行動のシュルレアリスト」の一典型かもしれない。
・アルベルト・マルティーニ
1876年オデルツォに生まれる。1954年ミラノの死す。24年パリに出てエルンスト、マグリット、ピカビアらと交流。以後シュルレアリスムの影響下に制作をつづけたが、彼の画風はむしろ現代マニエリストの一方の極を示している。
・ジョイス・マンスール
1928年イギリスのバウデンに生まれる。エジプト人の女性詩人、小説家。53年ごろ、パリでブルトンと出会って認められ、運動に参加。以後その残忍なエロティスムと、夢幻イメージの爆発によって(『充ち足りた死者たち』)など)、特異な詩的世界を形成する。86年没。
・ジョアン・ミロ
1893年スペイン・カタルーニャのモンロッチで生まれる。画家として出発し、1917年にバルセロナでピカビアと出会う。24年パリでシュルレアリストたちとまじわり、『宣言』にも署名。25年にはピエール画廊での最初のシュルレアリスム展に参加し、以来この運動の代表的な画家のひとりとなった。彼のオートマティックな絵は、謎めいた世界のなかの人間の謎めいたい心理状態とかかわりをもち、つぎつぎに出現する斑点によって新しい現実を生起せしめる。形態と色彩におけるその全き自由は、つねに幼年期の自然な感動にむすびついてたものである。晩年はマジョルカ島のパルマに住み、83年に没する。
・E・L・T・メサンス
1903年ブリュッセルに生まれる。はじめ作曲家、つづいて詩人、コラージュ画家となり、マグリットとともにベルギーのシュルレアリスムを主導する。その作品は洗練と諧謔味をそなえている。ロンドンで活動し、71年に死去。
・マックス・モリーズ
1903年パリに生まれる。シュルレアリスムの初期メンバーのひとりで、とくに「シュルレアリスム革命」創刊号に書いたエッセー「魅せられた眼」は、シュルレアリスム絵画を語る最初の文章のひとつ。29年に脱退。77年に没。
・ピエール・モリニエ
1900年アジャンに生まれる。特異な偏執的手法をもって、もっぱらエロティスムを探究していた画家。54年からシュルレアリストと交流し、最初の展覧会にはブルトンの序文を得た。ボルドーを拠点とし、密室にこもって女装写真を撮る。76年、ピストル自殺。
・ヴァランティーヌ・ユゴー
1888年ブーローニュ・シュル・メールに生まれる。女性画家、夢幻的な挿絵や肖像画の作者。はじめロシア・バレエ団などに協力していたが、28年からブルトン、クルヴェル、エリュアールらと親しくつきあう。68年に没。
・ジョルジュ・ユニェ
ブルターニュとロレーヌの血を引く詩人、劇作家、批評家、装幀家(1906-74)。幼児をアルゼンチンですごし、パリへ出てマックス・ジャコブらとつきあう。26年にシュルレアリスムに加わり、とくに画家たちと交流。数々の書物・オブジェの装幀によって一領域を招いたが、41年ごろ、政治的見解の相違のゆえに離脱。74年に死去。
・ラウル・ユバック
1910年ベルギーのマルメディに生まれる。34年から38年にかけてシュルレアリスムに加わり、「ミノトール」誌に注目すべき「ソラリザシオン」を発表。ブニュエルの映画に協力したこともある。写真家であり、のちには画家となって「コブラ」運動に参加。85年没。
・フェリックス・ラビッス
1905年ドゥエに生まれる。画家にして悪魔学研究家。架空の愛をうたう絵物語の構成や、芝居、オペラ、バレエの舞台装置もする。シュルレアリスムのグループに加わったことはないが、エリュアール、デスノス、プレヴェールらに認められ、その名を知られるようになる。82年没。
・ヴィフレド・ラム
1902年キューバのサグアに生まれた。画家。父は中国人、母はアフリカ系黒人とインディオと白人との混血。24年スペインに渡り、37年にはパリへ出てピカソに評価される。38年からシュルレアリスムに加わり、40年、ブルトンの『全き余白」に挿絵を描く。彼の「ジャングル」や「アイドル」には、原始の激しさがそのまま生き生きと体現されており、自然と神話の入り交じる精妙なポエジーの世界を呈する。82年没。
・ジョルジュ・ランブール
1901年ルアーヴルに生まれる。マッソン、レーリス、バタイユ、クノーの友人として、22年、初期シュルレアリスムのグループに加わった。稀有な美しさをもつ詩的散文集『栄ある白馬』をのこしたが、29年に決別。小説『ヴァニラの木』も忘れがたい。
・ジャック・リゴー
1899年パリに生まれる。1929年に自殺。「文学」グループの一員であり、「シュルレアリスム革命」にも協力した。自殺を「天職」とし、シニカルで辛辣なユーモアと、隠されることで逆に挑戦と化してゆく絶望を体現していたが、これらはダンディスムによって救われることのない、第一次大戦後の青年に特有のものであった。
・マルコ・リスティッチ
1902年ベオグラードに生まれる。ユーゴスラヴィアのシュルレアリスム運動の推進者のひとり。22年から前衛雑誌活動をはじめ、「文学」誌に紹介される。26年にパリに出てブルトンと出会う。32年にはベオグラードで「不可能」誌を発行、「シュルレアリスム、今日、ここに」をも出版したが、33年、苛酷な検閲にあって当地の運動は解体する。
・ディエゴ・リベラ
1886年メキシコに生まれる。画家、ヨーロッパで学び、帰国後は土着の民衆文化をといれて制作。妻のフリーダ・カーロとともに亡命中のトロツキーを擁護し、ブルトンとも親しく交流。38年、この両巨頭の共同声明「独立革命芸術のために」の代理署名者となった。
リュカ、ゲラシム
1913年ブカレストに生まれる。詩人、コラージュ作家。30年ごろから当地で前衛的活動をはじめ、38年にはパリに出てシュルレアリストたちと交流。戦後の45年、ルーマニアのシュルレアリスム運動を指揮する。52年にはパリに定住し、エロルドと共作などしていたが、94年、セーヌに身を投げて死す。
・ジャック・ル・マレシャル
1928年パリに生まれた画家。60年、ブルトンによって称賛され、その混沌とした都市画像が注目を集める。以後、独立不遜の精神をもって、情熱的な画風を保持。
・マン・レイ
1890年フィラデルフィアに生まれる。合衆国におけるダダ、シュルレアリスムの先駆者、推進者。1915年にデュシャンやピカビアと知り合い、22年にはパリに出て「文学」の詩人たちと交流。稀有な画家、オブジェの発明家、写真家、映画作家、回想記作家であり、その作品は現代芸術のもっとも豊かな所産のひとつに数えられる。とくに彼の多領域にわたる写真の数々は、当代の文学および芸術の歴史のこのうえもない挿絵となるであろう。第二次大戦中は帰国したが、戦後はまたパリにもどり、76年に死去。
・ミシェル・レーリス
1901年パリに生まれる。作家、批評家、人類学者。ジャコブ、ピカソ、ルーセルらと知り合い、25年からシュルレアリスムに参加。夢の記述や「語彙集」の作者であるが、彼がこんにちのフランス文学に占める高い地位は、『遊戯の規則』シリーズにあらわれる「日常生活の現象学」によるものだろう。90年没。
・パトリック・ワルドベルグ
1913年合衆国サンタ・モニカに生まれる。美術批評家。41年、妻の彫刻家イザベル・ワルドベルグとともにニューヨークに亡命中のブルトン、エルンストらと出会う。戦後はフランスに定住してシュルレアリストと交流、51年の「カルージュ事件」以後は離反した。シュルレアリスムに対しては批判的でありつつ、その知見の広さをいかして多くのモノグラフィーを書く。85年没。